第201話 散りたくない!
7月28日、深夜……長束正家は、震える手で槍の感触を確かめた。
長松城。
大垣城からさらに西に4キロ、広大な平地にその小さな城はあった。
周囲を堀と木々によって囲まれている。
関ヶ原の合戦では武光忠棟が西軍として城を護ったが大垣城にいた福原長堯同様、忽然と姿を消している。
「フワぁぁぁ!」
隣の背の高い男が突然、大あくびをした。
正家の肩はビクッと跳ねる。
「来ないわよ」
「……」
背の高い細身の男は、白粉をはたいた肌に口紅をベッタリと塗っている。
「ここが一番、来る確率が低いわよ。あんた、ビクビクしないで、ドンと構えてなさいよ」
メイクアップアーティストの権左は、懐から手鏡を出して後れ毛を直し始める。
正家は人知れずため息をついた。
そうだ。
この長松城を瀬名姫の軍勢が選ぶ確率は低い。
他の支城……曽根城に安国寺恵瓊、吉田城に増田長盛、楽田城に島津豊久などがそれぞれ入って夜を明かしている。
正家に付き従って長松城の護りに付いたのは寡勢である。
攻められる可能性が無いわけではないが、かといって一番攻められにくいであろうこの長松城を正家は任された。
瀬名姫軍の大垣城攻略の際……背後を衝くために万が一でも、この城に先に入られると痛い。
東軍領内に入っている松野重元から少数だが別働隊の動きがある、と報告が入ったのが一昨日の深夜である。
先に城を毀しておこうかとも思ったが普段は兵糧を格納しているから、それらを運ぶのにも人員が要る。
国境沿いでもないし地味だから、目をつけられなければそれで良い。
念のための布陣である。
「何で……俺が……」
青白い頬を持つ豊家を代表するこの吏僚は、合理的にこの城を守るのは寡勢で良いと判断をした。
長束家家臣団は少数を残し、家臣団のいない増田長盛に預けた。
代わりに充てがわれたのは、普段は芝居小屋を営んでいる芝居一座や賭場を仕切っているような連中である。
一番可能性が少ないため……まっとうな軍人の人数を割けなかった。
何を隠そう、決めたのは正家自身である。
ピキッ……ピキッ。
「ま、まさか……?」
静けさの中を、突然、小枝を踏み締めるような音が響いた。
正家は目を剥いて飛び上がる。
「……おやまあ」
権左がひょい、と障子を開けた。
「わぁ、勢揃い!」
正家が恐る恐る外を確認した。
城門の向こう側、木々の間から兵士たちの蠢きが見えた。
その瞬間、矢が次々と放たれる。
城の外壁の漆は極限まで乾いてササクレ立っていたため、容易に炎が矢から壁へ乗り移る。
「わぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
信じられない!
正家は思わず悲鳴を上げる。
「ちょ! ちょっと! どうしよう!?」
ウチである。
ウチの城が攻められている。
這いつくばって、正家は権左の足許で震えた。
「ちょっと! 落ち着きなさいよ。大丈夫よ」
家臣が慌てて水をかけて炎を食い止める。
権左が両肌を脱いで、弓を射掛ける。
腕の筋肉が盛り上がる。
シュバッ、と音を立てて矢が放たれる。
「ちい! 外したか!」
すぐに二本目の矢を射る。
一本目は外したが二本目は敵方兵士の喉元を見事に貫いた。
敵方の兵士はもんどり打ってその場に斃れる。
権左は弓から槍に持ち替える。
「槍の権左とはアタイのことよ! さて、一暴れしてくるとしようかネェ!」
芝居口調でニヤリと笑うと、権左は颯爽と奥の間を飛び出していった。
――天は我々を見放した!
某有名映画セリフを口ずさんで、正家は震える手で槍をグッと掴む。
目視で敵方は三百はいそうだ。
味方はせいぜい、百二十。
しかも、正規軍ではない。
みな、芝居小屋や貞慶寺で屯していたような面々である。
これまで色んな大変なことがあった。
異世界に飛ばされてから、ロクな目に合わなかった。
だが……これまで何とかかんとか、やってこれた。
茶々様のため、なんやかんやの仲間のため。
「よ、よし! 最期くらいは武人として、派手に散るぞ!」
散りたくはない。全然、散りたくない。
汗が滲む手のひらを袴で拭いて、槍を構えた。
正家は目を閉じた。
汗が額から頬へ流れていく。
扉に向かって槍を構えると……自然と腰が据わって落ちる。
体幹の揺らぎが無くなり、心臓の音が静かになる。
正家は不思議な面持ちで、深呼吸をして黒い木の扉が開くのを待った。
たぶん……すぐに敵方はこの奥の間まで攻め入ってくる。
士気が高いのだ。
敵方は味方を鼓舞するため、大将首を狙うだろう。
そうだ。自分の首だ。
簡単には渡すまい。
正家はゴクリと唾を呑み込んだ。
静かだった。
バタバタとした足音と火縄銃の音が――なぜか遠くで聴こえる。
正家には異様なほど静かに感じられた。
扉が開いた。 正家は目を開ける。
――正家の予想に反して女が立っていた。
世にも美しい女だった。
女は、肩の辺りの着物をはだけさせて、真っ白な柔肌を見せつけて、床にへたり込んだ。
正家は女は幽霊なのだと思った。
女の幽霊は裾を乱して腿辺りまで着物を上げる。
しなやかな細い脚が蝋燭の炎に浮かび上がる。
「お殿様、しばしお待ちを」
女は嫣然と正家に微笑みかけた。
小首を傾げ流し目で正家の顔を見遣る。
「はぁ……はい?」
女は大きな瞳を木の扉に移して、ジィッと穴が空くほど見つめている。
正家はその光景を唖然として後ろから見守ることしかできない。
男たちの喚声が近づいた。
バタバタとした足音と鎧が擦れる音が正家の耳にもようやく大きく響く。
木の扉が乱暴に開いた。
勢い余って部屋に雪崩込んだ男たちは、女を見て一斉に立ち止まった。
女の幽霊はスッと右腕を上げた。
「西軍に投降する人! この指、止ーまれ!」
甲高い声が響き渡る。
男たちは戸惑いを隠せない。
最前列のあどけない顔をした兵士は隣の兵士の顔を窺った。
「と、と、投降じゃと? ふざけるな!」
隣の髭面の兵士は、大声を出した。
槍先を女の胸元に充てがう。
「残念! 助けてあげようと思ったのにな!」
女は素早く懐から苦無を取り出して、男の顔面に投げた。
刃が頬に突き刺さって、血飛沫があがる。
「わぁぁぁ!」
兵士たちはそれを見て、一斉に女に斬りかかった。
「わぁぁ! お、おんなぁぁぁ!」
悲鳴を上げた正家が助太刀しようとへっぴり腰で槍を突き出す。
そこへ、天井から巨大な物体が落ちてきた。
「ふん!」
槍をブンブン振り回し、女から兵士たちを遠ざけた男に……正家は驚愕した。
背中にデカデカと『本多立ち葵』。
本多平八郎忠勝である。
「あ、義兄上ーーーー!!!」
「義弟よ。待たせたな」
忠勝は鬼のような笑みを浮かべて義弟を振り返る。
忠勝が槍を一振りすれば敵方の兵士が数名まとめて斃れた。
「惣次郎! 無事かぁ!!?」
瀬名姫の軍勢の背後をついた男が、颯爽と槍を繰り出す。
絵巻から出てきたかのような良い若武者振りで、正家は目を見張った。
「真佐人! 遅い!」
女が襟元を直しながら頬を膨らませた。
若武者は華麗な立ち回りでバタバタと敵を薙ぎ倒す。
西軍の軍勢に取り囲まれた時点で……奥の間に雪崩込んだ二十名ほどの敵方は、無事な者は観念したのか槍を置いて手を上げた。
「義弟よ……もう、安心なされよ」
忠勝がその堂々たる背中で正家を護っている。
「敵方は大半は城に攻め入る前に、逃げ帰っちゃったわよ」
髪を振り乱して権左が戻ってきた。
士気が高いと思われた敵方も伏兵がいたので、驚いて半ばパニック状態だったらしい。
権左は凄まじいほどの返り血を浴びている。
(うわぁぁぁん! 怖かったよぅ!)
正家はヘナヘナとその場に座り込んだ。
うっかりしてると、心の声が口に出しそうだった。
権左が返り血を纏ったままニヤリと笑った。
血みどろの髪を掻き上げる。壮絶な笑みである。
「さて……前哨戦は勝利したけど、本戦はどうなんでしょうね? アタシ、このまま観に行こうかしら」




