第20話 愛がない!
「あちち! ちょ、ちょっと待った!」
「貴様!!! 黙って聞いておれば!! 殺してやる!」
「治部!! 落ち着け! ちょ、ちょっと待て!」
大谷が後ろから三成を羽交い締めにする。
武蔵はその間に余裕で三成の手から抜け出し、さも物珍しそうな者を見る目をしながら襟ぐりを整えた。
「貴様!! ナメたこと言いやがって! 何がカリスマだ! 何が大河ドラマだ! そんなことどうだっていい! 仕官しないならしないでどうでもいい! さっさとクタバレ! 野垂れ死ね!」
三成は悪態をつきながら大谷の腕から抜け出そうと必死で暴れている。
「おまえは俺たちが豊家の威光をかさに着てるなんてこと言ったが、じゃあおまえはどうなんだ。偉そうに!
見た目や腕っぷしの強さを頼みに、相手を軽くみて、おちょくって!
じゃあ其の実、本当に人間を軽んじてるのは一体どっちなんだよ!」
三成は落ち着きを取り戻すまで、大谷によって本堂を追い出されてしまった。
武蔵はさも楽しそうにフツフツと肩を揺らし笑っている。
「あのひと言であそこまで激高するかね」
「ひと言にではない。おぬしが真剣に話を聞かないからだ」
「あんな夢物語。シラフじゃ聞けませんよ」
武蔵の着物の裾はビショビショになっている。
手ぬぐいで拭きながらチラリと大谷を見た。
「それより、俺はあんたの方に興味があるね。なんでここに連れてきたんです? 傷つくのは分かってたんでしょ。
それとも、お友達をいたぶるのが趣味ってわけ?」
大谷は目を伏せて苦笑した。
「確かに治部には大層考えに甘いところがあるからわからせたくて、というのもある。
ヤツの頭で考えたものと現実には大いなる隔たりがあるからな。
ただ、俺の感情はもうちょっと複雑だ……」
大谷はひとり優雅に茶を飲んだ。
「おぬしは本当にこのまま内府が西軍を飲み込んでいく既定路線で構わないのか?
ならば、なぜさっさと東軍側に加わらない?
親父殿がいるのであろう?
親子ゲンカったって高が知れてるだろう」
武蔵が自身の緩めの天然パーマを掻き毟る。
「ま。まずいことに、俺は徳川家康のことが大嫌いなもんでね。
別にあんたらの味方もしたくはないけど、家康の配下になるのは忍び難い」
「じゃあ、近い内に飲み込まれる運命だぞ。
そうなった時に我らに助けを求められても、もう遅い」
ごちそうさま、と大谷は静かに湯呑を置いた。
「武蔵よ。こちら側がバラバラだったら絶対に内府には勝てない。
ひとつのビジョンで固まらないと簡単に打ち破られる。
おまえには治部の言ってることが絵空事に聞こえるかもしれないが、ヤツはそこまで馬鹿じゃない。
お題目を掲げて何とか団結を図ろうとしてるのだ」
「馬鹿なのは撤回できませんね。今は」
武蔵は盛大にため息をついた。
「まあでも、素手でこの俺に向かってくるとは大した度胸だ。
石田貞宗、一目抜き身を拝みたかったがね」
外は既に夕焼け空である。 本堂の木製の階段に座り、三成は夕日に照らされる大垣城と鱗雲を見ていた。
隣で、先ほどの惣次郎という少年が摘んできた花でブーケを作っている。
青や黄色、ピンクに赤、様々な色が惣次郎の手元でひしめき合っている。
思わず、三成は目を奪われる。
この世にこれほどまでに鮮やかな色彩があったなんて、今まで気が付かなかった。
「ごめんなさい。これは人にあげる予定のもので、お侍さんに差し上げられないのです」
惣次郎は大きな目を潤ませて三成に言った。
三成は慌てて頭振る。
「いやいや! 別に欲しくて見ていたのではない」
バツの悪さに三成は脇の下にじんわり汗をかいた。
よっぽど物欲しそうな顔をしていたのだろうか。
「あたし、大事な人がいるんです。その人に差し上げたくて……」
「……」
「あなたにも居ますか? 大事な人?」
惣次郎はフッと微笑んだ。
天使のような笑顔だった。
「いるよ」
三成は立ち上がった。
夕日が三成の顔を正面から照らす。
「みんな死んだ。みんな俺が殺したんだ」
佐和山城が落城したとき、城内に居た女たちは辱めを受けぬようにみな谷底へ身を投げた。
三成は実際の光景は見てはいないが、彼の夢の中では幾度も幾度も、美しい絹の着物が舞った。
緑や黄色や朱色や紫、美しい、美しいものが谷底へ落下する光景――幾度も夢の中で見た光景。
夢の世界はモノクロだという者もいるが、三成は逆だった。
この世界に生きるようになってから、色彩は急激に色褪せ、夢の中はリアルに彩られた。
そして色鮮やかな夢を見る度に自らの叫び声で目を覚ます。
突然、黄色い花が一輪、視界に入った。
「お侍さま、これを」
惣次郎が黄色い花を一輪、三成に差し出している。
「俺にくれるのか?」
惣次郎は美しい唇を少し開いて頷いた。
その顔はいろんな誰かと重なり、三成の心は震えた。
その時、ちょうど大谷が扉を開けて出てきた。二人の様子を不思議そうに交互に見る。
「あの少年と何を話していたのだ」
「別に……」
三成は貞慶寺の石段を降りながら、一輪の花を所在なげに振り回した。
大垣城に戻る道には小川があり、小さな橋が架かっている。
三成は欄干で足を止めて、沈みゆく夕日を見た。
大谷も眩しそうに目を細めながら、隣に佇む。
――美しいものは美しい場所へ還さねばならない。
突然三成は思い立って、黄色い花を思い切り川に打ち捨てた。
大谷が驚いた顔をして三成の横顔を見つめる。
小さな花はあっという間に夕日を細かく映した小川に流されて行った。
愛するもの。美しいもの。
「餞だ! 死んだ者への」
父上、母上、兄上、妹たち。
妻――美しい妻、子どもたち、家臣たち、佐和山の城、佐和山の緑、佐和山の田畑。
佐和山の美しい民、美しい、美しい、懐かしい思い出の日々。
優しい、暖かい、懐かしい、尊い、二度と戻れない。
信じられないほど美しかった、かつて愛したもの。愛したもの全てへの――。




