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第194話 捉えて離さない!②

 黒髪の女性――ヴィクトリアは、マヤが淹れてくれたコーヒーを一口飲むと、震える手で身振り手振りで話し始める。


 ヴィクトリアの話によると、戦禍に晒されている、かの国でP大学に通っていた17歳の娘・ナターシャが取り残されているという。


 娘のナターシャとナターシャの従姉妹で5歳のアナスタシア。


 昨日から全く連絡がつかないという。


 P大学のある街は戦略上の要衝地とは言えず、いまだ砲撃を受けてはいない。


 が、東部に位置している。親としては気が気ではない。


 開戦直後に脱出を打診したが……アナスタシアの母親・マリアは軍の理学療法士だったため、現地に踏みとどまらざるを得なかった。


 マリアはヴィクトリアの元夫の妹とのこと。


 肝心の避難経路が敵国経由でしか無かったこともある。


 親と別れた子どもたちは……敵国に次々と人質のように拉致されているのである。


 ナターシャはP大学で児童心理学を学んでいるので……開戦後でも下宿先だった叔母の自宅に留まった。


 東から少しでも西へと市内や大学校舎に避難してきた子どもたちの精神的ケアにあたっていたという。


 ヴィクトリアは散々、帰ってくるように娘を説得した。


 それなのに……ナターシャは「傷ついた子どもたちがいるから」と言って頑として譲らなかった。


 正義感が強いところがある娘である。


 そして独立心の強い娘でもある。


 そのナターシャと一昨日まで普通にTeleg〇amでやり取りが出来ていたのに……昨日から携帯が全く繋がらなくなったという。


 ヴィクトリアは唇を噛んだ。


 なぜ迎えに行かなかったのか。


 たとえ国に反対されても入るべきだった。


「貴女……久世弓子さんの娘さん?」


「The name of my mother is Yumiko Kuze. It is a Japanese. But I am American nationality……」


 長谷川は久世弓子から開戦直後に報告を受けて、既にアメリカ大使に架電していた。


 その時も17歳と5歳の孫娘たちが現地に留まっているという相談だった。


(実際、弓子と血が繋がっているのは17歳のナターシャのみであるが)


 ヴィクトリアは杉山を横目でチラチラ気にしながらも、長谷川に必死な形相で助けを求めた。


 杉山は黙って口元に手をあてて、彼女の顔を見つめている。


 杉山の顔色も……ほとんど蒼白になっている。


「国籍がアメリカだと……アメリカ大使の案件なんですよね……私ではどうにもならない」


 長谷川はまずは日本語で杉山に小声で説明する。


 アメリカ国籍ならばそちらの方が断然良い。


 日本国籍よりも格段に打てる手が多い。


 この場合……残念ながら、日本の大使館で打てる手は今のところ無いに等しい。


 渡航禁止命令も出ていて……自力で脱出してくれなければ、助けにも入れないのである。


 以前、久世弓子に相談されて、すぐに長谷川はアメリカ大使に渡りをつけていた。


「その、久世弓子って?」


 杉山の質問に、長谷川はコペンハーゲン修学院大学の高名な物理学者であるイヴァン・レフチェンコの話をした。


 妻の弓子は、長谷川とも古くから懇意にしている。


「そっか……違うのか……」


 杉山が放心したように呟く。


――誰かと勘違いしていたのか。


 ヴィクトリアは結局、泣きながら部屋を出ていった。


 今の長谷川に打てる手はないのである。


 久世弓子との話し合いの時も同じ結論であった。


――アメリカに任せるしかない。


 できることは無い。


 辛いが正直に話すしか無い。


 長谷川は徒労感を感じで肩を落とした。


 杉山は相変わらず、口元に手をあてて呆然としている。


 暫し二人の間に重苦しい沈黙の刻《とき》が流れた。


「ハァァ……」


 長谷川はこれ見よがしにため息をついた。


「な、何?」


 杉山はハッとして振り返る。


「いやぁ、噂って本当だったんですね。女癖が相当悪いって噂です。少しは尊敬してたのに……」


 貴女を知っている、などと言える場面か!


 長谷川は心底呆れた。


「いやいや! あれは間宮が俺を陥れるために広めた噂で……根も葉もない! 風評被害だよ」


 間宮というのは、杉山にとって十歳ほど年上の上司にあたる男で、二人はウマが合わないことで有名だった。


「あの温厚な間宮さんに嫌われるなんて、よっぽどですよ」


 杉山は苦虫を噛み潰したようような顔をする。


 眉間に深いシワが寄った。


「いや……あんた、間宮の本当の顔を知らないからだよ。あの男の下で働くのは並大抵のことじゃないぞ。

 それにまともな仕事してたら……敵くらい作るさ」


「……そうでしょうかねぇ?」


 長谷川は呆れたように片眉を上げた。


 煙草を吸おうと部屋を出たところで、まだヴィクトリアが待っていたので、長谷川は思わず手から煙草ケースを取り落とすところだった。


 彼女は両手で携帯電話を固く握っている。


「どうされました?」


 画面をこちらに見せた。


「これ、ワタシ、の」


 大きな目を見開いて、たどたどしい日本語で必死に訴える。


「ワタシのシスター、お、ね、い、さん?」


 震える指で画面をつつく。


 美しい大輪の花のような笑顔を浮かべた女性が写っている。


「アナタ……もしかして……私の、お、ねいさん、知ってる?」


「いいえ」


「俺は知ってる」


 いつの間にか、長谷川のすぐ後ろに杉山が立っていた。


 画面に写る女性を杉山はジィっと見つめている。


 懐かしむような愛おしむような目線だった。


 長谷川はヴィクトリアと画面の女性を交互に見た。


 目の前の女性と面差しがそっくりというわけではない。


 ヴィクトリアはかなり欧米寄りの顔立ちをしている。


 たいして似ているわけでは無いが……光る瞳の色は同じアンバーブラウン。


「やっぱり……そうだよね……」


 ヴィクトリアは杉山の言葉を固唾をのんで待った。


「貴女は……織田篤子の妹なんだな。ということは……今、行方不明なのはオダツの姪っ子たちってわけだ」



  ◇



 機内無線LANシステムが装備されていたため、安藤は機内でノートパソコンの電源を入れた。


 早瀬直希から、転送されてきたメールを確認する。


 分かったことはメールだけではなく、Fa〇ebookでのやり取りがあったことである。


 主なやり取りの相手は杉山ではなく、アメリカ人の女性である。


 安藤は、直希からアカウントを教えてもらい、入ってやり取りを確認した。


――Fa〇ebookでのやり取りで、篤子が自分のルーツを必死で探していたことが分かる。


 メッセージを追っていくと……篤子のルーツ探しの旅は、ヴィクトリアという女性の登場によって終わっている。


 荷物を受け取ると、カストラップ空港(コペンハーゲン国際空港)の到着ロビーで安藤幹夫は意外な人物と再会を果たした。


「わわわ! 黒田さん! 黒田さんじゃないですか?」


 時差ボケの頭に急に血液が回りだして、顔が熱くなった。


 黒田長政には、揖斐川の河川敷で行われた和平会議で、散々怖い目に遭わされたのを思い出す。


「はじめまして、長谷川です。長谷川吉彦。っていうか、大胆に名前間違える方ですね〜貴方」


 長谷川と名乗った男は、安藤の言葉に苦笑いを浮かべた。


 手を差し出して、力強い握手をする。


 長谷川は真美子には、恭しく手を差し伸べた。


 にこやかに柔らかく握手を交わす。


 長谷川は自然に真美子の手荷物を持った。


「では、行きましょうか?」


 長谷川の背中を追いかけながら、安藤は胸の高鳴りを感じる。


「さ、寒い! 寒すぎる!」


 巨大な空港を出ると、真美子が叫んだ。


 頬にあたる風が冷たい、というよりは痛いくらいだ。


 時刻は夕方である。


 黒塗りの高級車が安藤の前に止まった。


「どうぞ」


 長谷川はドアを開けて手を差し伸べる。


 彼は安藤を別世界の入り口へと案内した。


 車を暫く走らせると、夕日に照らされたコペンハーゲンの街が見える。


 黄金色に輝き、綺麗に並んだ美しい家屋がまるでおとぎ話の世界へ誘うように佇んでいる。


「……美しい」


 そういえば、デンマークはアンデルセンの生まれた国だった。


 呪いの魔法をかけられた王女様を救うために自分たちはここにいる。


「綺麗ね」


 真美子が言った。


 彼女の指が安藤の手の上に重なる。


 安藤は真美子の瞳の奥を見た。


 彼女の瞳は、夕日に照らされて夢のように光り輝いていた。

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