第193話 捉えて離さない!①
長谷川吉彦はデンマークのカストラップ空港(コペンハーゲン国際空港)ターミナル3の到着ロビーで安藤幹夫を待っていた。
長谷川は北欧らしいスタイリッシュな黒の椅子に深々と身を預け、空港にしては珍しい木目調の床に足を投げ出した。
安藤とパートナーの本郷真美子を出迎えるように長谷川に頼み込んだのは、久世・レフチェンコ・弓子である。
弓子に日頃から恩のある長谷川としては、断ることは出来ない。
仕事帰りでそのまま。
徹夜明けである。
睡眠も取らずに大使館のEV車を空港まで運転手に頼んで走らせた。
運転手には、そのまま車内で待機してもらっている。
――あの男に最後に会ったのは、いつだっただろうか?
長谷川は腕を組みながらふと思い返してみる。
頬に手をあて少し伸びたヒゲに触る。
あの男、杉山光男が長谷川の勤務する日本大使館を訪れたのは、ちょうど開戦から二ヶ月後の確か四月下旬……。
あれから実に三年余りの月日が経ったことになる。
あの後のことは……長谷川は、思いもしなかった。 慎重でルールを重んずる、あの男があのような重大な事件を引き起こすなんて。
長谷川の記憶は、あの男・杉山光男が尋ねて来た午後に遡る。
◇
「珍しいですね? お一人で? どういった風の吹き回しですか?」
小柄な背中が振り返って長谷川吉彦を見つめた。
白皙の顔に、特徴的なアーモンドアイ。
明るいブルーの背広がちょっと嫌味である。
「……相変わらず挨拶の仕方も知らんのか?」
杉山光男は長谷川吉彦より二歳年長。
若い頃から面識はあった。
一緒に酒を飲んだこともある。
但し、長谷川は外務省、杉山は内閣府という肩書の違いはあるが。
長谷川は杉山の挨拶云々のくだりはいつも通り無視した。
「今回はどのようなご要件で?」
少し前にも大使館に突然現れては、オルガルヒ(ロシアの富裕層のこと)の資産凍結の件で動いている、といったことだった。
この時は、塚本という男を引き連れてきて、紹介された。
塚本は財務省からの出向とのことだった。
メガネのいかにも真面目そうな背の高い男だった。
聞けば、大学で長谷川と同窓だったという。
長谷川の方は記憶になかった。
塚本は朗らかに笑って気にしてなかったが、ちょっと悪いことをしたと思う。
「せっかく連れてきてやったのに。気のキカン奴だなぁ」
その時も杉山は不貞腐れたように呟いた。
その塚本はいなかった。
今回の訪問は杉山単独である。
杉山は雑談から入った。
「新たに数名の日本人がボランティアで戦地に入ったらしいね」
「ボランティアどころか、義勇兵ですよ。彼らは」
当時、戦地での日本国籍の人間の所在を掴むために、長谷川は奔走していた。
デンマークは日本と直行便があるが、コペンハーゲン経由で現地に入ろうとする者は無く、実際にはみなポーランドから入る。
それでも長谷川はドイツやポーランドの日本大使と連携して、日本国籍を持つ者の退避を促し、入る者を踏みとどまらせている。
退避勧告が出ているため、戦地に入ることはもちろん禁止されている。
――昨年末より敵国は国境沿いに17万5千人の兵士を配置。
楽観的なヨーロッパ諸国を尻目にアメリカのインテリジェンス部門のみが再三にわたって前年の11月から「軍事侵攻」を警告していたが……まさか首都まで一気に攻め落とす計画だったとは。
西側のインテリジェンスが入っているとはいえ、若き大統領は大方の予想を裏切り、首都に居続けて、SNSで世界中にメッセージを届けている。
「タマが大きすぎて乗れなかったらしいじゃない?」
杉山は口の端を上げて、今流行りの大統領への賛辞を口にする。
若き大統領はアメリカ政府が用意した避難用軍用ヘリには乗らなかった。
奇しくも昨日……彼らの虎の子の自国製・地対艦ミサイル・ネプチューンが敵国の首都の名を冠したスラバ級巡洋艦を撃破したところである。
この事実を一番喜んだのは、日本の陸自だったとか、なかったとか。
「日本人の安否確認ですか?」
そんなの、WEB会議か電話で済む。
当時の長谷川は忙殺されていたため、杉山のいちいち優雅に見える振る舞いが気に入らない。
「いや……それだけじゃないんだ」
話を聞くと、オルガルヒに関わる資金洗浄の件で動いているらしかった。
そこで……資金洗浄先に日本の企業が関わっているという。
「マズイですねぇ」
今のタイミングでは国際社会からの誹りを受けかねない。
極東の天然ガス共同開発事業も今回の軍事行動により、今や暗礁に乗り上げた。
正直、各国のエネルギー問題は綺麗事ではもはや済まされないが、日本の立場としては当然、国際法に準拠し、力による現状変更は一切認めない立場で、西側の国々との連帯するとともに価値観を共有する方針を早々と打ち立てた。
「大きいとこですか?」
「いや……規模はかなり小さい」
個人的に現地に繋がりがある企業なのだろう。
大規模な問題にはならないが、尚早に差し止めなければならない。
今回の核保有国である大国……しかも国連常任理事国による『軍事侵攻』を独裁者に決断させたのは、誇大思想もさることながら……その大国の持っている石油や天然ガスなどの地下資源にヨーロッパなど他の国々が大きく依存していたという事実に依るところも大きい。
八年前にクリミアを奪取したように、国際社会は沈黙するだろうと踏んでいたのだ。
ところが大方の予想に反して……攻め入られた小国は若き大統領の積極的なSNS発信によって国際社会の味方を得ている。
一週間で墜ちるといわれた首都に大統領は大胆に居座り続けて、結果、墜ちなかった。
独裁者が首都攻略のために奇襲を計画した空港への攻撃で、独裁者直轄のスペツナズ(旧KGB)は阻まれ目的を達成できなかった。
世界屈指の海軍力を誇る黒海艦隊でさえ……砲弾の餌食になっている。
これにてオデッサ方面からの海からの攻撃を不可能にした。
そのかわり……相変わらず軍事目的ではない民間への攻撃は続いていて、日に日に犠牲者が増大していた。
厭戦気分を高まらせ、内部から諦めさせて崩壊させようという魂胆である。
各地の小児病棟や学校・民間施設へのミサイル爆撃が相次いでいた。
アメリカ製対戦車ミサイル・ジャベリンや地対空ミサイル・スティンガーなど小型携帯型ミサイルで迎え撃っているものの、依然として圧倒的に兵士の数・兵器の数の差はある。
ノックの音が響き渡り、現地スタッフのマヤが顔を覗かせた。
「Excuse me sir.」
マヤが長い金髪を揺らしながら、長谷川に問いかける。
「女性が会いたいとお見えです……いかがしますか?」
「後にしてくれ」
「いや、俺のことは気にしなくていい」
杉山はすぐさま部屋を出ようとしたが、長谷川はそのまま引き留め、彼にテーブルの端に腰掛けるよう促した。
入って来た女性はおどおどしていて……乱れた黒髪を手ですきながら大きな瞳を彷徨わせている。
年の頃は同年代くらいの中年女性だ。
「わ、わたし……ニホンジン、ハーフ」
「English is fine.(英語で構いませんよ)」
「My daughter is missing! I want you to look for it!」
――娘を探して欲しい。
長谷川はその衝撃的な言葉に対する応えを用意していなかった。
ヴィクトリアと名乗った彼女の瞳は、信じられないほど震えている。
腰掛けると細い肩がガタガタと音を立てているようだった。
思わず隣の杉山を見た。
長谷川はいまだに杉山のその顔を忘れることが出来ない。
――驚愕、である。
彼女の顔を不躾なまでに見つめ……彼はゆっくりと指を口元にあてた。
「……貴女の目を俺はよく知っています」
――何を言ってるんだ? この男は?
長谷川は思わず心の中で突っ込んだ。
もう一度、長谷川はヴィクトリアの瞳を観察する。
珍しい色のアンバーブラウン。
ヴィクトリアの瞳から一筋の涙が流れた。
杉山は小声で、でもハッキリと呟いた。
「……俺はきっと、貴女を知っている。貴女を知ってるんだ」




