第190話 因果に囚われない!
「貴方になんか、会いたくない!」
大垣城二の丸の廊下に茶々の悲痛な声が響いた。
「あっちゃん! ちょっと待って!」
茶々に追い縋って、細腕を掴むのは大野治長である。
「待って、話を聞いて!」
治長は茶々へ必死に訴える。
「いや! 何でそうなるの??」
茶々は大きな瞳に涙を浮かべている。
「私を救うために? それは嘘よ! 私を苦しめるために、の間違いでしょう? 私はぜったいに承服しない! 貴方……頭がおかしいわよ」
「これしか無いんだ……」
治長は一層真剣な眼差しで妻の顔を見据える。
「いいか、あっちゃん……これしか方法が無い。石田三成はこの世にもう居ない……だとすればあっちゃんを救うのは誰か? 考えればすぐに分かることだ」
「治さんが護ってくれればいい!」
茶々はなおも甲高い声を張り上げた。
「私の旦那様は治さんだよね? 他には居ないのよ……」
「……直希はどうなる?」
茶々は息子の名前を出されて……一瞬固まる。
「直希は……今のままでは、君を心配するあまり受験も失敗して、このままこの世界に閉じこもってしまうかもしれない。
直希の人生はどうなるんだ?」
治長の言葉に思わず茶々は血の気の引いた顔を下に向けた。
「時間が無い。君も救う……直希も救う。その方法はひとつしか無い。この世界を平和に統一するために」
「……小早川秀秋を信用するの?」
茶々の瞳から大粒の涙が幾筋も溢れて床を濡らしている。
「確かに……あの人は、この世界のことを良く知っていたそうけど」
小早川秀秋はなぜだかこの世界の仕組みを早くから知っていた。
「いや……彼は飛ばされてきた当初は何も知らなかったよ。 僕が、教えたんだ。久仁彦がこのゲームを作ってた時、一緒にいたから」
早瀬治は、高校までアメフトをやっていたがケガをして競技を諦めざるを得なかった。
大学に入ってもさしたる目標の無かった治は、久仁彦にだいぶ話しを聞いてもらっていた。
あのゲーム研究会の部室で、彼のゲーム作りの細かな設定に付き合った。
だから大まかな世界観は分かる。
「余計なこと……」
茶々の眼差しが鋭く吊り上がる。
「どうしたの? どうして怒っているの?」
戸惑う治長の手を茶々は思いっきり振りほどいた。
「余計なことよ! なぜ、邪魔ばかりするの??」
茶々は夫が信じられない。
頭がおかしくなりそうだった。
話が通じない異星人と話してるみたいだ。
「小早川秀秋って人を……貴方は勘違いしている! あの人は《《盛親を刺した》》のよ!」
「でも……そのおかげで、現代とのやり取りが出来てるんだよ」
時空のヒビは、長宗我部盛親こと、安藤先生じゃないと開かない。
結果論だが、秀秋が盛親を刺さなければ、現代と通じる手段が無かった。
「あなた……どうかしてる!」
茶々は大きく瞳を見開いたまま、絶望感で上手く息が吸えない。
治長は倒れ込みそうな茶々の細腰を支えた。
「あっちゃん……それでも……もう答えはひとつしか無いんだよ。やるしかないんだ」
早瀬治にとって……何よりも妻の篤子をこの世界で殺させないことが重要である。
他のことはどうだっていいくらい……と言ったら言い過ぎだろうか。
――他の人間のことは篤子を救った後に考えれば良い。
杉山もきっと同意してくれるだろう。
篤子は完全に顔を背けている。
早瀬治は、青ざめて倒れそうな篤子を優しく抱きしめた。
◇
揖斐川の対岸には、既に一万を超えるであろう東軍の兵士たちが終結し、野営している。
全て瀬名姫の軍勢である。
兵士たちの表情は本格的な戦闘前だというのに、妙に明るい。
黒田長政は二十名ほどの家臣団を外に待たせたまま、風に煽られている帷幕の中に足を踏み入れた。
「武蔵守! お久しぶりです! いやはや、大盛況ですな」
「お、お久しぶりです……珍しいですね。筑前守……」
黒田長政のニコニコした挨拶に、武蔵守こと池田輝政は特徴的な弓形の濃い眉毛を上げて曖昧な笑みを浮かべる。
帷幕の中には池田輝政と数名の家臣がいるだけでガランとしていた。
輝政は鼻先に汗をかいている。
「今日は……どういったご用件で……?」
池田輝政には、とある事情で黒田長政の訪問を無碍にすることはできない。
輝政は腰を折り身を低くして、長政の顔色を伺っている。
「どういうおつもりなのかな? と思ってね。率直な人間なので手心を加えられなくてすみません」
「……」
輝政は長政に床几に座るように促した。
自らもテーブルの脇の床几に座ると長政に顔を近づけて、小声で囁く。
「ここだけの話……私は、瀬名姫様が正しいとは思っていません」
聞かれないよう細心の注意を払っているのか、輝政は周囲を見回す。
「ただ……今は瀬名姫様一派が勝つだろうと思っています」
輝政の表情は緊張のためか固い。
目の下が時折、微かに痙攣している。
「正しいか、正しくないか、ではない。勢いがある方につく……貴方様も、それはお分かりになりますよね」
戦国大名としては至極真っ当な意見である。
正しい方に付いて無惨にも滅ぼされた家など、数え切れないほどある。
大義はある程度、効果のある場合も多いが、最後は強さと勢いになってくる。
「瀬名姫様の勝利が確実となった後に付いても良いのですが……それでは存在感が薄れます。この場合、はじめから瀬名姫様に付き従うのが得かと……」
黒田長政は、納得したように深く頷いた。
ひとまず……池田輝政が瀬名姫に付いた理由は分かった。
「悪いこと言いません……昔の好で……筑前守、こちらに付きませんか?」
池田輝政がぐっと顔を近づける。
「筑前守が徳川を捨てて瀬名姫一派に加わってくださったら、これは大きな流れを生むキッカケになる。どうです?」
「貴方……戦争を起こす気ですか?」
長政が藪睨みの目で冷たい視線を輝政に投げかけた。
「……やむを得ないでしょう。だからなるべく人を集めて短期決戦に持ち込みたい。そうすれば西軍の犠牲も最小限で済むし、こちら側だって少しの犠牲で済むはず」
「そんな都合よく戦争が終結する、なんてこと、今までも無かったじゃないですか?」
長政は池田輝政の主張を静かに抑え込む。
「遺恨が遺れば……こんな箱庭みたいな小さな世界なんだ。どちらかが完全に叩きのめされるまで、争いは絶えませんよ」
一方的に嬲って侵略してから、救いの手を差し伸べても彼らは決して信用しないだろう。
その牙を砥ぎ続けて、いつか突き付けてくる。
「そこは、人類の叡智で」
輝政は少し口角を上げて微笑んだ。
「そこだけ都合よく、恨みが叡智に変わりますか?」
長政は対立姿勢を崩さない。
「戦争に勝ってから考えますよ、筑前守」
「いやいや。まずは戦争にならないように努力すべきでしょう? 煽ってどうするんですか?」
輝政はふと思い詰めた視線を長政の手元に寄越した。
「恨み……きっと、貴方は私を恨んでいるのでしょうね」
輝政は呟いた。
輝政には長政の訪問を無視できない理由がある。
「恨んでません。きっと、あれはお互い不幸な運命だったのでしょう……」
長政は関ヶ原に降り立ってから、今までひと言も言えなかったことを……ひと思いに言ってしまう。
「でも、我らの死後、貴方の息子が私の可愛い亀姫を殺したのは確かだ」
「恨んでるじゃないですか?!」
輝政が反駁した。
戦乱を終えて泰平の世が訪れたところだった。
とある日――筑前国福岡城に、三女・亀姫の訃報が届いた。
池田輝政の六男・輝興が乱心を起こし、彼女を惨殺したのだ。
黒田長政の死後の話である。
池田輝政もとうにこの世を去っていた。
「いや! 恨んでない! でも……でも! 私は亀姫が可愛かった! 愛おしかった! それだけど貴方を恨むことなんて無い! 後悔はあれど恨んでなんかいない! 私は因果の輪から既に離脱している! だから、今回は私の言うことを聞いてください!」
恨まないから、今回は自分に味方して欲しい。
なりふり構わない長政の懇願である。
長政は輝政の両の手を握った。
「頼みます……私の言葉を信じてください! 戦争を起こさない! これが唯一、この世界がこのまま存続して我々が生き残る術です! 武蔵守、平にお願い申し上げます!」




