第189話 怖くない!
成田空港には、与田真佐人と惣次郎こと、高梨結亜……それに早瀬直希が見送りに来てくれていた。
「えー! 嬉しい! 来てくれたの?!」
真美子が目を丸くする。
四苦八苦して出国審査を終えたばかりの安藤も、意外な来訪者たちに驚きを隠せない。
三人は東京見物のついでだと言う。
気を遣わせないための方便だろう。
与田真佐人が安藤にツツツっと歩み寄って囁いた。
「まさか、真美ちゃんが人畜無害のアンドゥに掻っ攫われるとは思ってなかったッスよ」
えっ、と驚きの表情で見返す。
与田真佐人よ……お前、高校生だろう。流石に守備範囲が広すぎる。
「ウチのババアによると、真美ちゃんは校長の超お気に入りだから、帰ってきたらアンドゥは怒涛のパワハラに晒されると思う。
覚悟しといたほうがいいね」
真佐人の目は心なしか楽しそうである。
校長は七十代の妻帯者だ。
言われてみれば確かに艶福家、といった雰囲気で歳の割にはギラついたようなところのある人物ではあるが。
伊吹学園の負の部分……あまり知りたくはなかった。
安藤は真美子の様子を見つめた。
こざっぱりした性格の彼女は普段、そんなことおくびにも出さなかった。
「女の人は……何歳になっても、大変だな」
男も職場で上司の当たりが強いなどの苦労をすることも多いが、女も男とは別の苦労を背負っている。
安藤は真美子の側で話しをしている早瀬直希に声をかけた。
「そういえば……内記くん、茶々様……じゃなかった篤子さんのお勤め先って、大学以外は何かの研究所だったよね? 何の研究所だったの?」
早瀬直希は淡いグレーのサングラスをかけている。
色素の薄い瞳を護っているのだ。
それが恐ろしく似合っている。
「ナガイ研究所ですね。遺伝子です。遺伝子データ。DNAですね。言ってませんでしたっけ?」
人は必要なことをその場で聞かなかったために真実や答えから遠回りになることが多々ある。
安藤は実感する。
――遺伝子研究所。
確かではないが……篤子が自分の出生に興味を持つのは普通のことだ。
もし安藤が篤子の立場だったら……どんな方法を使ってでも、自分のルーツを探していただろう。
想像に難くない。
もしかしたら……早瀬篤子は、何らかの方法で知っていたのかもしれない。
自分がイヴァン・レフチェンコの娘であることを。
自分の出生の秘密を知っていた篤子と……杉山光男は《《敢えて》》何も知らない体で久世弓子を結びつけたことになる。
偶然にしては出来過ぎている。
もしかしたら、杉山も知っていたのかも。
別ルートで、篤子の本当の父親の存在を。
「あ、あの……申し訳ない。内記くん、篤子さんのメールのやり取り、ここ二年分くらい全てを僕のパソコンに転送してもらえませんか?」
杉山と篤子のやり取りに、何か隠されている可能性がある。
直希は少し迷ったようだが、うん、と頷いた。 安藤と真美子は三人の見送りに頭を下げて手を振った。
◇
搭乗口に並んでいると、携帯電話がけたたましく鳴った。
「も、もしもし!」
「リカバリー・テックのやっそじっまでーす!」
「八十島さん……すみません、あと数分で飛行機の中なので……」
間が悪い。
八十島穂積は普段から間の悪い人間なのだろう。
「あの! では、手短に! このゲームが独自の進化を遂げちゃっているのはお話しましたよね?
勘伝さん? という元の作者がハードディスクに一緒に入れ込んでいた他のゲームとか、なぜか市販のものとかまで侵食してきて、それで複雑なことになっちゃっているようなのです!」
「はぁ……」
勘伝久仁彦がシナリオを書いた『夢伽草子』まで侵食しているのだから、今更である。
「つまり、他のゲームの影響もあるみたいで、すっかり元のゲームのままというわけでは無い、とご承知おきください!
その上で、ゲームの得点とゴールですね。このゲームをクリアする方法なのですが……」
「ちょっと! 早く電話切りなさいよ!」
真美子が眉間にシワを寄せて苦言を呈する。
「あの……八十島さん、向こうに着いたら掛け直しします」
「あ! あと、ちょっとだけ! 魔法ポイントで呼び出した人物に関しては強大な力を持つので注意が必要です!
それと全体を消す方法ですが、その人物かもしくはプレイヤーが……」
「全体を消す? 全体を消すってどういう意味ですか?」
「安藤先生!」
キャビンアテンダントの女性が厳しい目線を寄越している。
安藤は慌てて携帯電話を切った。
――全体を消す?
一体何のことだろうか?
全体を消す機能があるということか?
安藤は猛烈な不安に駆られる。
「脂汗……かいてるけど」
飛行機の中ほどの通路側の席に座ると、窓側の席の真美子が心配そうに顔を覗き込んできた。
「いや……大丈夫です」
初めての国際線である。
飛行機は短時間なら何度も乗っている。
だから何てことはない。
何てことはないのだが。
「き、緊張してきた……」
「う、嘘でしょ? 飛行機怖いわけじゃないわよね?!」
空調が暑いのか……冬だというのに汗をかく。
これから約5,410マイルの旅である。
安藤は身を固くして、肘置きに両手をガッチリかけて離陸に備えた。
「だ、大丈夫?」
真美子が呆れたような目線を送ってきた。
そんなような目で見られても怖いものは怖いのだから仕方ない。
(……コペンハーゲン! 着いたら!)
着いたら、やることを反芻して心を落ち着かせる。
まずは外務省の長谷川吉彦である。
到着したてでも粗相の無いよう、飛行機内でじっくり身体を休めておかなければならない。
時差だなんだ、言っていられないのだ。
「ファぁぁ……」
飛行機がゆっくりと動き出した。
「安藤先生、シッカリ!」
離陸準備のため飛行機が滑走路内を走行している間、真美子が安藤の右腕を支えてくれている。
「こ、コペンハーゲン!」
安藤の身体にGがかかり、フワリと浮いた。
早瀬篤子を巡る旅の終着点へ……全ての謎を解くために。
全てを終わらせるために。
二人はとうとう出立した。




