第188話 女の知恵は抜かりない!
「初、八十島はおるか?」
清洲城、奥座敷。
松平忠吉は襖を開けて妻の初に話しかけた。
「いえ……先ほどまでおりましたけど。所用があるとか言って出かけました」
八十島助左衛門は留守らしい。
忠吉は最近、八十島に西軍の島左近との書状のやり取りを頼んでいる。
今回も、長めの書状を書き終えたので、左近の元へ届けてもらおうと思ったのだが。
初は小姓から油紙に包まれた滋養になるという粉薬を渡されていて、湯呑茶碗を片手に喉に流し込むところである。
この薬は……家康が姿を消す前、初のために手ずから薬草を挽いて作ったものである。
もう残り少ないが……舅として、初の身を案じていたことは、忠吉にも分かりすぎるほど分かっている。
――自分も父上も、お互い、不器用なのだ。
忠吉は妻の顔を見て、少し落ち込んだ心を鼓舞した。
「初、安心してくれ。筑前(黒田長政)が……武蔵守(池田輝政)と交渉してくれるぞ」
関ヶ原の後、黒田長政は三女・亀姫を池田輝政の六男に嫁がせた関係で、いわば縁戚関係である。
今、東軍領内で演説に駆けずり回っている瀬名姫を止めるためにも、忠吉は、田中吉政らと共に彼女の側で仕えている池田輝政に接近して懐柔する方法を探していた。
一方で、古田織部が忠吉夫妻のために弟子らに招集をかけて、徳川政権を支えようと各地で会合を持ってくれている。
忠吉としては着実に打てる手を打っていくしかない。
「城下の様子は……どうなの?」
「うむ……」
初の問いに応える忠吉の顔色は良くない。
微笑みを浮かべたまま、暫し沈黙する。
正直、徳川政権を支えようとしてくれている勢力よりも、瀬名姫を中心とした過激派が急速に支持を集めているのは事実である。
「タダヨシ……私、何でも知りたい」
初は切れ長の涼しげな目を輝かせて、忠吉に訴える。
「タダヨシが一人で悩むほうが耐えられない。私は大丈夫だから、何でも話して。良いことも悪いことも一緒に考えようよ」
瀬名姫派を止めるには、東西の垣根を越えて一致団結するしかない。
「この際……私で良かったら、みんなの前に出ていっても構わないよ。タダヨシ」
身重の初は、本来ならば、この世界の希望となり得る存在である。
お腹に宿った新しい命の存在を広く知らしめたならば、この世界の将来に少しでも希望を抱いてくれる者もいるかもしれない。
と、同時に他人の子など……と、ササクレだった心には響かないのも、また事実。
初は、初なりに方策を考えてくれている。
忠吉はたまらず感謝して、ひれ伏す。
「初……ありがとう! 絶対に負けないように団結するから! みんなの気持ちが離れないように、僕が頑張るからね」
忠吉は初の目立ちはじめたお腹にそっと触れた。
頬を寄せてみる。
出来ればその胎動を感じてみたい。
じんわりとした温もりが忠吉の頬に伝わる。
「お前の……お父さんだぞ」
忠吉は初の白い手を取りグッと握りしめた。
そのまま愛おしげにジッと見つめる。
――初と子どもを護る!
例えこの身が八つ裂きにされようとも。
忠吉は荒波に一人立ち向かう決心を固めた。
◇
石田重家は大垣城・執務室の座高の高い椅子に座って小さな足をぶらぶらさせている。
「うーん」
重家が読んでいるのは、松平忠吉からの書状である。
瀬名姫の派手な動きと、黒田長政の池田輝政への懐柔作戦、さらには古田織部の動向や諸侯の動きが事細かに記されている。
書状は関所を通らずにそのまま『緘』がされて送られてきた。
「どうされますか? チビ殿?」
左近の問いに、重家は書状に落としていた目線を上げた。
「ねえ……左近、そのチビ殿ってのは……止めてくんない?」
重家の目は、心なしか尖っている。
「いやいや……殿もちっちゃかったですけど、輪をかけて小さいから……つい」
「父上は平均身長ですよ! 周りが異様にデカいだけで!」
重家は不服そうに頬をぷくっと膨らませた。
「とにかく、チビ殿は止めてください!」
可愛らしい反応に左近は思わず苦笑する。
「ところで左近。この……古田織部さんってのは、信用できるんですか?」
「お会いした感じだと……味方になってくれそうな、なってくれなさそうな」
左近は古田織部の人を食ったような態度を思い出していた。
「それじゃ、全然わかんないじゃん!」
「あ、でも、なんか面白そうな感じの方でしたよ!」
面白いか面白くないかは訊いていない……重家はハァと深くため息をついた。
そこへガシャガシャと何やらけたたましい音が廊下に響く。
執務室の扉を勢い良く開けて入って来たのは、菊と藤、翠奈の三人娘である。
手には薙刀を持ち、額には鉢巻、色とりどりの袴を履いて、今から戦にでも出るような物々しい様相だ。
「チビ殿! 私たちも戦いまする! 薙刀ならこの菊にお任せくださいませ!
高校では薙刀部に所属し県内では敵無しでした! 薙刀部隊を作りまする! お下知を!」
「チビ殿! この翠奈に考えがございまする!
同人誌を刷って、東軍の男どもを腑抜けにいたしまする! 新刊を読まずには死ねない身体にしてみせまする!」
「チビ殿! 城内の米俵、私、藤に数え直させてください!
今一度、経費を精査し、籠城に備え、城を長く持たせる算段をいたしまする! 同時に料理のアレンジを考案しレシピにしてまとめまする!」
左近は呆気に取られて何も言葉が出てこない。
隣の重家の顔を見た。
血がのぼったのか、重家は耳まで真っ赤にしている。
「……止めて」
「はい?」
翠奈が訊き返す。
「……も、申し訳ございませぬ!」
菊が慌てた。
「……もしかして……余計なお世話でしたでしょうか?」
藤がおずおずと言った。
「止めて! もう! チビ殿って呼ばないで!!」
重家は憤怒の表情を浮かべて、涙目になっている。
「何なの? チビ殿って!! ワンちゃんじゃないんだから!
わ、わたくし……いや、オレは立派な男だから! 何か傷つく! めちゃくちゃ傷つく!」
重家は三人を指差して烈しく説教をかました。
そこから、机に突っ伏して肩を震わせている。
しばらくしてから……顔を上げた。
「……とにかく……それ以外は……良いアイデアなので、早速……その……みなさん、取り掛かってください。後でサポートの人員、付けますね」
「私たち、チビ殿が可愛くて可愛くて、つい」
藤はハンカチを取り出して涙をぬぐっている。
「も、申し訳ござりませぬ! チビ殿! 我らなんたる無礼を!」
菊は片膝をついて頭を下げる。
「確かに……チビ殿も立派な男……ぐぬぬ。翠奈は不覚にも萌えました……」
翠奈は悪びれていない。
「……」
「もう……いろいろ諦めた方が良さそうですね……重家様……」
左近は雑に慰めた。
「そうだな。もう……チビ殿で……良い。左近」
ガックリと肩を落とした重家に、左近はいいこと思いついた! とばかりに手を打った。
「あ! そうだ。みなさん……若殿、でいかがでしょう?」
「若殿! いいですね!」
「若殿! 確かにしっくり来ます」
菊と藤が即座に同意した。
「若殿……こちらも美味しい響き……グフフ」
紆余曲折を経て、重家の呼び名は「若殿」で決定した。




