第184話 リアクションが出来ない!
東軍領内から村田新左衛門が大きな身体の大野治長を庇うように連れて来たのは、あくる日の夜半のことである。
「新左衛門、ご苦労だったな」
大谷が礼を言った。
大野治長がこうして、難なく揖斐川を渡って来られたのも彼が日頃から、意識しないで看守の目を油断させていたのもある。
というのも、看守が目を離したり、厠に行ったりしても逃げようとはしなかった。
それどころか治長は看守に話しかけたり、和やかに日々を過ごしていたのだ。
だから……村田新左衛門が工作した鍵を使って南京錠を空けて、治長を連れ出してもあまり大事にはならなかった。
村田はかつて家康付きの側近中の側近だったし、看守らは詳しい事情は知らない。
「看守たちが処分されなきゃいいけど」
治長は心配そうに村田に話しかけた。
「そこは筑前守(黒田長政)が対応してくださるでしょう」
世はまさに混乱の極みである。
幽閉されていた男がひとり消えたからといって、かかずらってる暇は無さそうだ。
ここのところ、巷では魔法の力は不完全であると結論づけられている。
それよりも、東軍領内では徳川家へのクーデターがまことしやかに囁かれている。
田中家や山内家、加藤家、池田家などの比較的大きなまとまりが急速に出来つつあり、予断を許さない。
有象無象であった会派が大きなひとつのウネリになろうとしていた。
細川家や吉川・毛利両家、蜂須賀家など静観の構えの家もある。
徳川家臣団は井伊直政を中心に頑張っているものの、抑え込むまでには至っていない。
不逞の輩が西軍国領内に侵入し、つまらない小競り合いが続いていて……戦乱の萌芽があちらこちらに出没している。
大広間に通された大野治長は陽に焼けた精悍な顔を緊張のためか引きつらせていた。
大広間横の廊下に床を擦る衣擦れの音が聴こえた。
飛び跳ねるように、治長は入り口を凝視する。
艶やかな赤の着物を着て、化粧をした茶々が姿を現した。
「あっちゃん……!」
治長が駆け寄って茶々を抱き締めた。
思わず大谷刑部は目を伏せる。
「会いたかった……! あっちゃん!」
茶々は虚ろな目で、夫の背にそっと手を回した。
やがて……大粒の涙が堪えきれずに溢れる。
感動の再開を大谷刑部は、彼らから距離を取って暫し眺めた。
「刑部様……ちょっとよろしいですか?」
村田新左衛門が三白眼で大谷を見上げた。
部屋の隅に移動して、注意深く周囲を見渡して声を潜める。
「上様の奥方様が消えたそうです」
「夢、という女子が?」
確か、清洲城の座敷牢に収監されていたはず。
「そう。瀬名姫様です」
彼女はもはや東軍内で、醜聞の女王である。
看守に身体を差し出して逃げたとか、とある大名の手引きで既に囲われているとか……様々な真偽不明の噂を立てられている。
「彼女は……危険です。野放しにしていると、何が起こるか分からない」
現に茶々と島信吉を悪質なデマによって陥れ、三成と家康の二人に銃を突き付けて川底に突き落としている。
この度のクーデターの企みも彼女が先頭に立っている、などと言う者もいる。
「どうされます?」
「どうって……?」
新左衛門の質問に大谷刑部は苦笑する。
「こんな時……いままで幾分、楽をしてきたのに気がつくな」
「楽?」
「そう。隣にいれば、黙っていても俺より早く矢継ぎ早に意見が出てた」
三成が隣に居れば、この瞬間にもあらゆる可能性が瞬時に口を突いて出ていただろう。
それを聞いた相手に感心されたり、時には顰蹙を買ったりしながらも。
三成の脳内回路は、いくつかの予測、いくつかの可能性、それに伴っていくつかの方策が瞬時に浮かび上がって、一番味方にとって有益性が高く、且つリスクの少ない方策を導き出す。
たまに彼の生来持つ生真面目さや揺るぎない……言いようによっては融通の効かない正義感によって、高いリスクを伴った非合理的な方策を選ぶから、厄介なのだが。
「こちらからも……追っ手を差し向けよう」
「ありがとうございます!」
その答えを期待していたようで、村田新左衛門は笑みを浮かべて頷いた。
今、東軍領内では大名たちの引き締めにリソースを取られ、たぶん瀬名姫の捜索まで手が回らないのだ。
「あと……もう一点」
村田新左衛門はより顔を近づけて声を潜め、慎重な面持ちで大谷の顔を見つめる。
「私がアマチュア無線を趣味にしていたのをご存じでしょうか?」
申し訳ないが……知るわけがない。
「私の現世? 来世? まぁ、いいや、で趣味がアマチュア無線だったのですが」
(※第二部第59話『望みなどない!』参照)
いきなり何なのだ。
話の先が全く見えない。
「先日、周波数をいじっていたところ……なんと繋がりました」
村田新左衛門は家康がいなくなってから暇を持て余し、この世界に無線電波が飛んでいないか模索していたらしい。
他の場所に人類がいる形跡を探りたかったという。
無線電波であれば地球上であったら裏側まで辿り着く。
通信型受信機は村田の自作で、器用な彼は以前、三成から譲り受けた乾電池を利用して作った。
屋外にアンテナまで設置。
(※雷が来そうだったら良いこのみんなはすぐに外しましょう)
当然……今まで何の反応も示さなかったが。
「刑部様は、防災無線の周波数をご存じですか?」
「……」
だから、知るわけがない。
「先日たまたま合わせたところ、なんとメリットファイブなんです」
メリットファイブとは『完全に了解できる』、相手からの電波の状況を五段階で評価したもので、すなわち極めてクリアに聴こえるということである。
「この世界に防災無線があることになります」
「ダメだ……」
大谷は思わず長い指で顔を覆った。
「どうされましたか?」
「予測不可能なことに、まだ慣れてないのかもしれない。上手くリアクション出来ずにすまないな」
三成だったら、『マジか?!』とか『何でだよ?!』とか言う場面である。
大谷は首をフルフル振って、肩を落とす。
「リアクション? 何に落ち込まれているのか……よく分からないけど、無理しないでくださいね」
村田が心配そうに大谷の顔を覗き込んだ。気を遣われてしまった。
「ちゃんと……免許も持ってますので」
因みに防災無線の内容は『緊急地震速報』であったらしい。
この世界でまだ、身体に感じるような揺れを経験していない。
だからなお不思議だ。
「そういうわけで! とにかく引き続き通信を試みてみます! せっかく作った受信機をぶっ壊さない程度にですけど!」
村田新左衛門はひとりで納得して帰っていった。
そうこうしている内に、戸田内記も現れて、茶々と治長と談笑している。
家族水入らず。
茶々の久しぶりの笑顔が溢れている。
「良かった……」
大谷は茶々の嬉しそうな表情を横目にそっと廊下を出て、そのまま彼らに背中を向けた。




