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第183話 狂気なのかもしれない!

 住宅街を白いセダン車が猛スピードで通り抜けていく。


 杉山光男の父親は埼玉県の元県議会議員で……家の前には現職の市議会議員らしき人物の立て看板があった。


 クリスマスイブだというのに、冷たい雨が降っている。


 雪にならないのが幸いであるが……安藤が遠出する日は何故か雨が多かった。


 住宅街のわりに抜け道になっているのか、車通りが烈しい。


 安藤は行き交う車に気をつけながら、杉山家の玄関前に立った。


「おとーさん、行くよーー!」


 突然、玄関が開いて小学校高学年くらいの女の子が出てきた。


 安藤を見て、キョトンとした顔をする。


「おとーさん! お客様ーー!」


 女の子が家の中に戻り、呼びかける。


 女の子の父親らしき人物が現れた。


 背が高く、眼鏡をかけていて幾分か神経質そうな男である。


 歳は50歳くらい。


 表札から二世帯住宅であることが判明した。


 ということは光男の兄だろう。


「杉山光男さんのお宅ですか?」


 光男の兄は眼鏡の奥の目を尖らせて警戒心を露わにした。


「どういったご用件ですか? 何もお話できることはありませんが!」


 光男の兄は早口で捲《まく》し立てる。


 傍《かたわ》らには不安げな女の子がぴったりとくっついて父親を見上げている。


「いえ……いえ! あの、私は光男さんの友人で、お線香を上げたいと」


 和菓子のお供え物を手にかざした。


 途端に兄の目が柔和になる。


「し、失礼しました! どうぞこちらへ」



  ◇



 光男の逆光で輪郭のぼんやりした遺影に手を合わせていると、お盆に茶を入れて仏間に持ってきたのは、光男の父親である。


 元県議会議員……杉山聖晴(まさはる)は、ロマンスグレーの豊かな髪に柔和な笑みを浮かべている。


 異様に若く見えるが――歳は過去の選挙記録から推察すると、来年で82歳である。


「ようこそ、おいでくださいました。大学の時の……?」


 声は流石に老人らしく嗄《しゃが》れている。


「ええ。申し遅れました。安藤幹夫と申します。大学が一緒でした。学部は違ったのですが、サークルで知り合って」


 安藤はスラスラと嘘をついた。


 岐阜県内で高校教師をしているというと、父親は少し安心したように頷いた。


「あまり……友人づきあいの多い倅《せがれ》では無かったですが、こうしていらしていただけると……嬉しいものですね」


 隣の部屋からは幼児のぐずり声が聴こえる。


 先ほどの女の子の年の離れた妹か、弟かが母親とともにいるのだろう。


「……倅の件は……どこでお知りになったので?」


 想定内の質問である。


「共通の友人である勘伝久仁彦くんから聞きました」


 父親は柔和な笑みを崩さない。


「……左様ですか」


 微かに警戒心が口元に現れる。


 そんな時の用心深い眼差《まなざ》しは三成に似ている。


「あの……お父様は織田篤子さんはご存じですか?」


「いいえ」


 父親だったら、思い出話のひとつやふたつは聞きたいはずだ……にも関わらず、この返答である。


「織田篤子さんは私たちの同級生で、同じサークルの仲間でした。彼女、今、大変な病と闘っていて……」


「左様ですか……今日は、本当にありがとう。倅も喜びますよ」


 話を遮《さえぎ》られた。何かがある。


「光男くんのお母様はいかがされていますか? 光男くんからお母様のお話は伺っていて」


 久仁彦から大学時代の光男は比較的お母さんっ子だったと聞いている。


 手料理を食べに週末都内のアパートから実家まで戻ることも多かったそうだ。


「なんとか……元気にしておりますよ」


 言葉が少なすぎる。


 このまま帰るわけにはいかない。


「戦場で亡くなられたのですよね?」


 暫しの沈黙が仏間に流れる。


「……貴方……誰ですか?」


 父親の眼の奥が鋭く光り、安藤を射抜いた。


 穏やかな老人の姿から、途端にベテラン政治家が顔を出す。


「光男くんの友人です」


「みんな、スギとか、スギヤマって呼びますけどね。記者か、何かですか?」


「違います! 本当に友人です」


 これは事実である。


「……お引き取りください」


 父親な先ほど仏壇に供えた和菓子を手に持って突き返す。


「光男くんが、どのように亡くなったのか、知りたいのです! どうして亡くなったのか? なぜ戦場で亡くならねばならなかったのか?」


「……申し訳ありません……私には……話せないことが多々あります」


「何で話せないんだよ!!」


 いきなり襖を開けて入って来て大声を挙げたのは、先ほどの光男の兄である。


 手にはケーキの袋を持っている。


「政府が、そんなに怖いか? こうして友達が来てくれてるのに? 友達だったら、最期を知りたいと思うのは当然だろ??」


 父親は息子の言葉に反応せず、目線を畳に落として口を閉ざしている。


 問い詰められるのは初めてではなさそうだ。


「親父……なぜ、なぜなんだ? なぜ何があったのか俺にすら話してくれないんだ? なぜ……わからないよ」


 隣の部屋から突如幼児の鳴き声が響いた。


 警報のような……必死な鳴き声である。


「……お引き取りください」


 聖晴はくぐもった声で言った。



  ◇



「申し訳ない。こんな有り様で」


「いえ、とんでもない。急に押しかけてすみません」


 安藤はペコリと頭を下げた。


 クリスマスイブにとんでもない来訪者になってしまった。


「俺らも……何も聞かされてないんだ……久仁彦くんも、訝《いぶか》しがってたから」


 光男の兄――杉山浩志(ひろし)は、家の軒先《のきさき》で安藤にそう話した。


「たぶん……政府の仕事だったんだと思う。本人は黙ってたけど長年そういう仕事やってたから。国は補償したくないからなのか……何の説明もない。マジで腐ってるよ」


 浩志は骨ばった長い指先で眼鏡を押し上げた。


 目の奥に悲しみと怒りを宿している。


「そして、親父は国家権力の物言わぬ手先ってわけ。自分の息子が国に殺されたってのに」


 浩志は皮肉げに口の端を上げた。


「お袋は憔悴《しょうすい》して……もう限界だよ」


 そういえば――光男の母親は姿を見せなかった。


「何も聞かされていないのに、いきなり死亡届って? どう考えてもおかしいだろ?

 どうして、遠くの異国の地……しかも戦場で弟が死ぬ必要があるんだよ」


 行方不明になって、まだ遺体の確認も取れていないのに、父親の要請に応じて国はすぐに杉山光男の『認定死亡』を発布《はっぷ》したという。


「すみません……実はこの件を友人として調べておりまして……」


 安藤も自分の名刺に携帯番号を記入して兄に渡した。


 浩志も名刺を取り出す。


 安藤は、今後何か分かればすぐに報告すると約束する。


 女の子が軽く手を振る。


 突き返された和菓子を女の子に押し付けるようにして、安藤は杉山邸を後にした。


 大きめの傘を差して駅までの河川敷の横の道を歩いていると、後ろから足音が聴こえた。


 走ってくる、か細い足音である。


「……待って!」


 振り返ると三成に面差しの似た痩せ細ったた色白の女性である。


 歳は70代後半くらいだろう。


 すぐに光男の母親だと分かった。


 ビニール傘を手に、サンダルで走ってきたようでかなり息が上がっている。


「待って……! 話しがしたいの!」


 安藤と母親は駅前の喫茶店に入った。


 長い話をした。


 途中かなり詰まった。


 話が前後したり、しどろもどろになって、沈黙する場面もあった。


 慣れてきてはいたが……熱心に聴き入る母親の姿に、このままこの話を続けて良いのか……躊躇《ちゅうちょ》したのもある。


 話しをすることで目の前の女性の感情の波に飲まれてしまいそうで、怖い。


 今まで話した中で誰よりも、光男の母親が一番熱心に耳を傾けていたと思う。


 彼女は異世界――戦国時代の話に僅《わず》かな戸惑いすら見せなかった。


「そう……あの子はやっぱり生きて、元気なのね……」


 言えなかった。


 あの世界でも行方知れずだなんて。


「そう……信じてました」


 彼女の瞳に力が漲り、生命力が急激に取り戻される様《さま》を目の当たりにする。


「会いたいわ……早く」


「このことは、絶対に内密になさってください」


 ハッキリ言って……息子を喪った衝撃で頭がオカシくなったと思われて後々面倒なことになりなねない。


「きっと、篤子ちゃんを救いに行ったのね。篤子ちゃんのことを……ずっと大事に想ってたから」


 母親は懐かしむように微笑む。


「篤子さんをご存じですか?」


「ええ。ええ、よく知ってますよ。あれからずっと会ってないけど」


 大学時代、お付き合いをしている時には頻繁に遊びに来たという。


「明るくて可愛くてヒマワリみたいな娘だった。お嫁さんになってくれると信じてたけど……上手くいかないものね」


 篤子は決して心底から明るい娘ではなかったことを安藤は図らずも知っている。


 交際相手の母親に気に入られたくて、明るく無邪気に振る舞っていた姿が目に浮かぶ。


「あの子は、その世界できっと篤子ちゃんを救うつもりなんだわ」


 安藤は母親の目の色を見た。


 その色を『確信』と呼ぶべきなのか、『狂気』と呼ぶべきなのか――安藤には見分けがつかない。


「あの子は……きっと、最後には篤子ちゃんを救ってみせると思う。あの子はやろうと思ったら必ずやり遂げる子だから」


 安藤は迷った。


 迷った末にスマートフォンを取り出した。


「光男くんの……写真があります」


 時空のヒビを通じて、やり取りしたスマートフォンである。


 現在は東軍の監視の目があり、時空のヒビは自由には使えない。


 手前に島左近がピースサインで写っている。


 その奥に俯《うつむ》き気味の青白い顔が写る。


 日付は、一週間ほど前である。


「やっぱり……生きてた……!」


 安藤は母親の目から溢れ出る涙に罪悪感を感じる。


 でも……どうしても目の前のひとりの打ちひしがれた母親を元気づけたかった。


 三成も……赦《ゆる》してくれると思う。


「信じてた……! 信じてたの……」


 細い肩が上下に激しく揺れて、微かな嗚咽《おえつ》が安藤の心の奥底にいつまでも響いた。

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