第179話 志を継ぐ気はない!
大垣城の大谷刑部の元に尋ねてきたのは、頗る背の高い彫りの深い男である。
相変わらず懐手に着流し――宮本武蔵である。
「刑部さん、こんちはー!」
武蔵の傍らからひょこっと顔を出したのは岩佐又兵衛。
大谷の息子・木下頼継が出てきて、楽しそうに二人で出かけて行った。
貞慶寺境内のフラペチーノ(カキ氷)の屋台に連れ立って行く約束をしたらしい。
いつの間にか、頼継と又兵衛は友達になっていたのだ。
父親の大谷刑部も舌を巻くほどのコミュニケーション能力である。
因みにカキ氷は、去年の雪を大量に氷室で固めたものにシロップを掛けたもので、数量限定、もう溶け出しているから、貴重な味となる。
西軍領内は表面上、大きな混乱も無く、国民たちもいつもと変わらぬ日々を過ごしている。
石田隊だけは例外で……灯火が消えたようにしんと静まり返っている。
大垣城の中庭を大谷と武蔵の二人は肩を並べて歩いた。
「で、どうするんです?」
武蔵が色素の薄い眼差しを大谷の横顔に向けた。
「どうするってのは……?」
大谷の応えに、気に入らない、と言うように武蔵は首を振る。
それからもう一度、大谷をじっと見つめた。
「その気はない」
「あんたがやらなきゃ、誰がやるんだ?」
武蔵としては、大谷刑部にこの際、何としてでも立ってもらって、事態の収拾に努めてもらいたい。
「アイツは……死んでないよ」
大谷は足元に目を落として言った。
黒々とした影が地面に焦げて張り付いている。
「そう思いたい気持ちは分かるけど、ね……俺もあの人はただじゃ死なないと思ってるから」
武蔵は父親の新免無二斎から、捜索の進捗を聞いていた。
「川底から、あの人の小刀が見つかったらしい。その内、形見として送られてくると思うよ」
川底は徹底的に攫っている。
「あの人の遺志を継ぐのは、あんたしかいない。とにかく……あんたが次の俺らの大将だ」
武蔵の言葉に大谷が曖昧な笑みを浮かべる。
「小刀は茶々様に持っていてもらう……全てお決めになるのは、きっと茶々様だ」
茶々は祈りを続けていて、大谷は彼女の痛々しいまでな一心不乱の姿を見守ることしかできない。
「茶々様は……まだ諦めておられない、と思う。茶々様が諦めた時に考えるよ」
武蔵はポンッと大谷の肩に手を乗せた。
セミの鳴く声が大垣城の中庭に響いている。
「武蔵……ありがとう」
大谷は頭を下げる。
そこへ、秘書の千野伊織が飛び込んできた。
伊織の額に汗をかいて青白くなった顔を見て、大谷のこめかみに緊張が走った。
「刑部様!!! 敵襲です!」
「なんだって?」
伊織は胸に手を当てて息を整える。
全速力で走ってきたのだろう。
「揖斐川の沿岸警備隊……重傷二名……!」
伊織が一度、大きく息を吸って吐いた。
切れ長の目を見開いて、大谷の顔を凝視する。
「……死者、四名!」
◇
執務室には既に執務室メンバーと安国寺恵瓊が顔を揃えていた。
白皙の顔を紅潮させて、宇喜多秀家が鋭い視線を大谷に送る。
「明らかな約定違反……まさか、こんなにすぐに破ってくるとは思わなかった」
東西の和平条約締結など……何も意味をなさなかったことになる。
攻撃してきた隊が誰のものなのか、まだ情報は錯綜している。
「クソッ」
流石の長束正家も項垂れて、立ち上がる気力さえも湧かないようだ。
「治部も……いないのに、これからどうするのだ?」
安国寺恵瓊がポツリと言った。
この臨済宗の陽気な僧は三成が消えたことで憔悴が激しく、しばらく自室に籠って口を閉ざしていたほどだった。
「とにかく! 直ちに応戦態勢を整えて、次の敵襲に備えるしかない!」
燃えるような目で話すのは増田長盛である。
顔が強張り、額には青筋が浮かんでいる。
いつもの柔和な表情は影を潜め、口を真一文字に引き結び緊張の面持ちである。
彼らは各所に指示伝達するため、すぐさま散り散りに解散した。
大谷は息子の吉治隊に急いで向かう。
吉治を捕まえると、急ぎ隊列を組んで現場に直行するように指示した。
武器を手に急ぐ吉治隊の後を追うように、医師の曲直瀬玄朔が医療用木箱を持って大谷に走り寄る。
「死者が出てるとか? 怪我人は?」
曲直瀬が尋ねた。
「怪我人は二人……詳しいことはまだ分からん!」
大谷は短く応える。
曲直瀬は木箱を大谷に持たせて馬にまたがる。木箱を大事そうに抱えた。
「曲直瀬、ありがとう」
「礼はいらぬ。仕事だ」
曲直瀬は馬を旋回させた。
「やっ!」
曲直瀬は馬の横腹を蹴って器用に馬を走らせた。
大谷も脚絆を付けて山登りの準備する。
血相を変えて戻ってきた次男の木下頼継と合流して、馬を並べて先を急いだ。
鬱蒼として伸び切った木々の枝先が頬を掠める。
深夜の伊吹山である。
松明の明かりが煌々と洞窟内を照らす。
洞窟の入り口には警備員が配置されて、EWCI付きの職員たちが入れ替わり立ち替わりに出入りし、物々しい雰囲気である。
藤堂高虎と、大谷刑部は東西両軍の代表として洞窟入り口に新設された扉を開けた。
女が四人……いや、よく見ると一人は小姓姿である。
大谷は松明の明かりを翳して、洞窟内を広く照らした。
「あっ! 刑部様!!」
甲高いよく通る声が洞窟内に響いた。
「良かった……みなさま……大谷刑部様が助けに来てくださいましたよ」
不安げに項垂れている女たちにハキハキと声をかける。
三成によく似た小姓姿の少年は、藤堂高虎に深々と平伏しお辞儀をした。
歳の頃は十二、三歳といったところである。
顔を上げて背筋を伸ばし真っ直ぐに高虎を見つめる。
花のような顔が少し紅潮している。
「ご家紋から藤堂佐渡守様とお見受けいたしまする。
わたくしは、石田三成が嫡男・石田重家と申します。
はじめまして! 以後、お見知りおきを」




