第178話 忠誠心などない!
――清須城、大広間。
「一体……何の真似だ?」
松平忠吉が苦言を呈する。
その目線の先は田中吉政である。
「何の真似? さぁ……軍備を整えているだけですが」
田中吉政が規定以上の火薬を仕入れているという。
彼は薄い唇に酷薄な笑みを浮かべて、椅子から手足を伸ばして悠然と会議に出席している。
「筑後守……もう、東西の約定はなったのだから、いまさら軍備を整える必要は無いでしょう。それよりも一致団結して領内統治に精を出さねば……」
忠吉は吉政をコンコンと諭す。
規定以上の火薬を仕入れたことよりも、忠吉に指摘されてもなお、太々しい態度を崩さないことに面食らう。
「ちょっと……待ってください」
田中吉政の目が剣呑に光る。
「なんで? 忠吉様に、いちいちお伺いを立てねばならないのでしょう? 家中のことは家中で取り決めますゆえ」
大広間で行われているこの会議の序盤は……比較的和やかに進んだのだ。
父・家康の捜索に当たってくれた諸侯たちを労い、忠吉は深々と頭を下げた。
そこから本日の議題である二つの懸案について話し合おうとした。
一つは……禁止されている無届の会合が頻繁に行われていること。
もう一つは……一定量以上の火薬を購入すること、である。
これらの懸案を話し合い、誓約書を取って、今一度諸侯たちの気を引き締めたい。
忠吉としては、無理のないごくごく自然な頼み事である。
「我々は……そもそも忠吉様に忠誠を誓うべきなのでしょうか?」
「……えっ?」
吉政の言葉に、忠吉は瞠目する。
「忠吉様は……上様に直接、跡取りとして認められたわけではないですよね?」
家康が居なくなる前……忠吉が謹慎処分中であったことも、彼の立場を悪くしている。
謹慎中の忠吉は……父の婚礼の場にも出席出来なかった。
「ぶ、無礼だぞ!!」
血相を変えて反論したのは井伊直政である。
因みに松平忠吉は井伊直政の娘婿・いわば義理の息子である。
前世の話ではあるが。
忠吉は絶句する他ない。
とりあえず誓約書は井伊直政が取りまとめて、後日、忠吉に提出することになった。
――誓約書があるからといって、守られるとは限らない。
「父上がおられなくなった途端……これか……」
誰も口には出さないが……行方不明から一週間以上経ち、徳川家康の死は確かな事実として受け止められている。
『お前に、この世がまとめられるのか? ワシ無しで、お前がこの世で生き残る術があるのか? 』
今なら父親が言っていたことが痛いほど分かる。
忠吉ひとりでは、欲深い戦国大名たちを一纏めにすることは不可能……。
身重の初を護りながら……領内運営をしなければならない。
群雄割拠を望む武人たちを抑え込むのは徳川家家臣団をもってしても、至難の業である。
「……忠吉様、ご安心なされよ」
肩を落として大広間を出る忠吉に声を掛けたのは古田織部である。
「この織部……どこまでも忠吉様のお味方ですぞ」
「ありがとう。織部殿……」
忠吉は思わず落涙しそうになる。
頼れる味方が少ない中で、そのように声を掛けてくれるのはありがたい。
「各種会合の場でも……情報を仕入れて、すぐに忠吉様にご報告いたします」
「織部殿……頼みまする」
忠吉は頭を下げた。
そこへ小姓が走ってきた。
「筑前守、図書守……到着されました!」
小姓の声をうけて、忠吉は縋るような思いで清洲の長い廊下をひた走る。
「待っておったぞ!」
忠吉は長政の腕に抱きつかんばかりに手をかける。
「ご無事でなりより」
ニンマリと長政は笑った。
「この長政が来たからには、もう心配ご無用。忠吉様……お任せください」
「先ほど……大広間での会議は終わってしまったのだ」
長政と伊奈図書の到着を待ちたかったが、田中吉政、山内一豊、池田輝政らのごり押しで会議は始まってしまった。
彼らも昼夜、家臣団を動員して家康の捜索をしてくれていたため、忠吉としても意見しづらい。
「ま、よござんす。これから、これから」
長政は忠吉の手を優しくポンポンと叩いた。
「忠吉様……ここからが踏ん張りどころですぞ」
伊奈図書が胸の前で拳を作りながら忠吉に声をかける。
今のところ、忠吉に忠誠を誓ってくれているのは、徳川家臣団の他には……藤堂高虎、細川忠興などごく少数。
福島正則や吉川広家、毛利秀元らは静観。
その他はなし崩し的に無許可の会合に参加していると見られる。
「古田織部殿も……お味方してくださると」
忠吉が長政に話すと、彼の藪睨みの目が少し揺れた。
「左様ですか……でも、まずは私に何事もご相談ください」
長政はシッカリと忠吉の目を見て話す。
「くれぐれも、お一人で判断されることのないよう、お気をつけください」
◇
清洲の城の奥深く……金銀の綺羅びやかな掛け布団を乱して女の細い脚がまろび出た。
座敷牢の女は、暑いのか、薄手の着物をはだけて、パタパタと手で扇いでいる。
「あの……貴方、お名前は?」
その様子を凝視していた看守はビクリと肩を揺らす。
「……」
女の肢体を見ていたことがバレたのだ。
上役からは……女を見ずに、正面を見て監視せよ、との命令であった。
看守は慌てて正面を向く。
「あの……私、ちょっと気分が悪いのです」
耳元である。
息がかかるくらい近い。
吐息交じりの声が男の耳の奥をくすぐる。
「……」
「朝から頭がクラクラして……目眩が。きっと気温が暑いからだわ」
女は息も絶え絶えである。
「とても……暑いのです。出来れば薄着になりたい」
男は思わず振り返る。
女の着物はだらしなくはだけている。
小ぶりだが形の良い胸の谷間が目に入る。
「ねぇ……私をお外に出してくださらない? 水浴びしなければ……倒れそうなのです」
女……瀬名は縋るような目つきで看守の顔を覗き込んだ。
濡れた唇がゆっくりと開く。
瀬名は看守の無骨な手を、自らの胸に招き入れた。
◇
「逃げた?」
呆けて呟いたのは井伊直政である。
「奥方様が……看守と、逃げた……?」
泣きたい気持ちを抑えて、直政は床を二、三度踏みしめる。
「なんで! 次から次へと厄介事が俺の身に起こるのだ!!?」
直政は思わず叫んだ。
看守には信頼のおける田所という男を立たせていた……無骨で見所のある男。
それなのに。
「何か……過去世で悪いことしてきたのかな。自分」
突然、運命を呪いたくなる。
「兵部……そこは後で考えればいいから、まずは瀬名姫様を探しましょう」
黒田長政が井伊直政を鼓舞した。
既にまんまと逃げられてしまったのだから仕方ない。
東軍領内には嵐のように、不穏な空気が派手に音を立てて吹き荒れていた。




