第177話 取り付く島もない!
「……よいこのみなさんは、もう……おうちへ……りましょう……ちら……ぼうさい……からの……です……」
波の音が聞こえる。
温かい。柔らかな風が頬を撫でる。
寄せては返す。
太古から変わらぬ響き……。
潮の匂い……鼻腔をくすぐる、爽やかな独特の匂い。
ウミネコの鳴き声が響き、心地よいリズムの微かな防災無線の音が辺りにこだましている。
懐かしい……子どもの帰宅を促す放送……帰ってきたのだ。
日本へ。
なんだ。いつの間にか、還ってきたのだ。
肉体が? 魂が?
そのどちらも――あの極寒の地から――夢にまで見た故郷に還ってきたのだ。
良かった。
安心した。
安住の地に帰還した。
何の憂いも無かったのだ。
ただ一つ――矛盾点があるとしたならば、自分が生まれ育った県にはそもそも海がない――。
うっすら目を開けると、目の前に見覚えのある顔。
日に焼けて、若々しい……胸がムカムカするような、よく知った顔……。
「ウゲェェェ!」
三成は急に気分が悪くなり盛大に吹き出した。
吐瀉物が容赦なく家康の顎付近にかかる。
「……」
「な、な、なんだ? どうなってる? どうなった?? 夢は? はっ??」
三成の右手は闇雲に宙を掴む。
「おぉ……内府……無事か? 何だ? 夢の追跡はどうなった?」
家康はゆっくりと左袖で顔を拭っている。
三成が慌てて動いたため、繋がれた手錠がカチャカチャと音を立てている。
目覚めた時、家康の手は三成の心臓付近に置かれていた。
「お前……内府、もしかして、俺を助けてくれたのか?」
「あのな……お前に死なれると、ワシが動きが取れなくなって困るからな」
家康の腰を見ると、婚礼の場であったため脇差しすら差していなかった。
三成は胴周りに小刀を忍ばせていたが、あいにく、川に落ちた際に川底に落としたらしい。
これでは……確かに、どちらかが命を落とせば、手首を切断することが出来ずに相手を引きずって移動するしかなくなる。
相手がもし、腐ってきたら……考えるだけで恐ろしい。
「現世でライフセーバーの資格を取っておいて良かった」
「ライフ……セーバー……?」
「オーストラリアへの語学留学の前に取っておいたのだ……まぁ、役に立った」
「内府、お前……現世でも、ボンボンかよ!」
話せば話すほど憎しみが湧く。
家康によると、あの時……橋の下に小舟があるのが見えたという。
川に飛び込んでから、意識を失った三成の首を腕で水面に固定して、音を立てずに必死で泳いで小舟に辿り着いた。
瀬名が川を覗き込んで、しばらく探していた。
彼女は火縄銃を抱えたまま、河原に駆け降りてこようとしていたので、仕方がなく桟橋に繋がれていた舟の縄を解いたという。
残念ながら、一昨日まで降っていた雨で水嵩が増していて、櫂を漕いで抗おうにも、あっという間に小舟自体もこんな場所まで流されてしまった。
「ところで……ここは一体、何処なのだ?」
白く輝く砂浜。
ゴキゲンな海の家が建ってそうな常夏ビーチである。
小舟は三成のすぐ傍らに打ち上げられている。
三成は強烈な陽射しを受けて、頭がクラクラした。
「陽射し……陽射しが眩しい……! 俺って敏感肌なのに!」
家康が目を細めて冷ややかな眼差しで三成の顔を見つめる。
三成はお構いなく、袖で顔を隠す。
袖がかなり磯臭い。
「どっかの島……なんだろうな」
家康が呟いた。
三成には先ほど来まで、防災無線が遠く聴こえていたような気がしたが、夢の中の出来事だったのだろう。
「いやーどうせ、伊勢湾出たとこだろう? きっと。領土内くらい調査しとけよぉ、まったく」
「……」
命の恩人に対してこの態度。
家康は目を閉じて長く息を吐き、気を鎮める。
「いや……島……なんだと思う」
家康は三成が目覚める前から、この周囲を注意深く観察していた。
確かに伊勢湾内のどこかに辿り着いた可能性もある。
だが……明らかに自生している植物の形状が本土とは違う。
「無人島? ホンマかいな?」
三成は急に喉の渇きを覚えた。
まずは水だ。
――井戸か湧き水があれば。
三成と家康が立ち上がって、手錠をプラプラさせながら、自生している木々に向かって歩き出すと……真っ黒な木陰が動いた。
「な、な、なんだ???」
褐色肌の小さな子どもが顔を出す。
四、五歳くらいか。
「こ、子ども? なんでこんなとこに?」
子どもは怖がるような様子もなく、黙って三成と家康を見つめている。
藁を編み込んだような粗末な着物を着ている。
「おい! なんだ? ここはどこだ? 君! お父さんは?」
子どもはジィッと黒い大きな瞳で二人を凝視している。
「お父さん、呼んできてくれないかな?」
三成は無理矢理ニッコリと微笑む。
子どもは小さな手を唇に添えたまま、微動だにしない。
「……おい! 無視かよ!」
「治部。なんで……こんなとこに子どもがいるんだ?」
家康が不安げに話す。
「ん?」
「今まで……子どもの姿なんて見たことあったか?」
「……」
「まさか……また、異世界」
「わああああああああ! ハーマタラワああああ!」
突然、子どもが叫び出した。
「ナヴァーハラーマーナァあああ!」
子どもは指を差して、何やら、言葉にならない言葉を発している。
子どもの後ろから褐色肌の頗る痩せた男が出てきた。
白髪で明らかに歳を取っている。
「えええ! 年寄り? と、年寄りがおる!」
今度は三成が叫んだ。
白髪の男は、三成たちを見付けると、なにやら手招きしている。
男の後ろから屈強な大男が現れた。
槍を持っている。
「ま、マジか?!!」
家康も声を震わせる。
「ハラーフィーナァイアあああ!」
子どもが二人を指差して力強く喚く。
屈強な若い男は槍を構えた。
三成は思わず逃げようとするが、家康の身体に手錠が一周して絡まり、足が砂に捕らわれて上手く動けない。
「イテテテテテ! 三成! 貴様!!」
手錠が絡まった状態のまま家康が悲鳴を上げる。
二人は協力し合って二人三脚のように、砂に足を取られながらも砂浜を走り続ける。
前方の木々の奥からも、何人か男が出てきて、砂浜を駆け下りてくる。
「ちょ、ちょっと! なんなの?!!」
三成は慌てた。
屈強な褐色の男たちの群れにあっという間に追いつかれる。
ひとりの男が、ガッシリと二人の首根っこを掴んだ。
「ファーーー!!!」
「ヒャァァァ!!」
「ハラーマーファーアイアーー!」
二人と子どもの叫び声が長閑な海岸に響いた。




