第176話 歴史上の人物じゃない!
「とにかく……あちらの世界は右往左往の大騒ぎで。またイチから関係性を構築していくことに なりそうですね」
伊吹学園――二階の理科室で、安藤は本郷真美子と向かい合って小さな木の椅子に腰かけている。
「でも……いがみ合っていた二人が居ないのだから、もしかしたら平和が訪れるかも」
真美子が何気なく口にした。
その言葉に安藤は少なからず衝撃を受ける。
「僕は治部さんと……凄く仲が良かったんですよ……そんな、ゲーム内での出来事みたいな言い方……酷いですよ」
「そうだった! ゴメン……」
真美子の顔は一瞬で蒼白になった。
「私……なんてことを」
真美子は瞳を閉じて頭を下げる。
安藤は慌てて慰める。
「……あの世界に行ったことがなければ、仕方のない話です。随分と前の歴史上の人物だし」
考えてみれば、真美子にとってはバーチャルな世界の話である。
現実感を持って考えると言ったって、あの世界に入ったことがなければ難しい。
ハッキリ言って、立場を置き換えてみれば自分だってそう思う。
「本当にゴメンナサイ……私が浅はかでした」
悄然とする真美子に安藤はいいんです、と手を横に振る。
「でも……物事は二人が居ないからといって、良い方向に転ぶとも限りません」
「どうして?」
真美子が目を見開いて小首を傾げる。
「あの世界の人たちは『戦国武将』ですから、基本的に天下人を目指してるんです。現代の人よりも征服欲が強いんですよ」
現代の知識を持っている者が少なからず居るからといっても、戦国的気風がそのまま残る。
「金も女も……思いのままにしたい人が多いんです。二人が居なければ、そのタガが外れる可能性もあります」
戦国時代の記憶がなく、逆に現代の記憶があった安藤でも、記憶はなにやらおぼろげで、昨日見た夢みたいに日に日に薄れていったような気がする。
もしかしたら……いずれか現代の記憶や想いを完全に喪ってしまっていたのかもしれない。
「渇き……なのかな……? 彼らを突き動かすのは、生きている証への熱望……」
ゲーム内の世界のはずなのに、肉体的にも精神的にもリアルを伴っているから余計にリアルを感じるような生き方を望んでしまう。
「難しいわね。正直、よく分からない」
真美子が呟いた。
素直な感想だと思う。
「今週末も、東京に行きます」
安藤は真美子に宣言した。
「東京って言っても、埼玉なんですけど……治部さんのご実家にお線香をあげに行こうかと」
「私は付いていく資格、無いわね」
真美子は力なく微笑んだ。
「気にしないで……本当に、会ったことなければ分からない感情ですから。僕こそ強い口調になっちゃった。ごめん」
気の毒なくらい肩を落とした真美子に、安藤も気持ちをストレートにぶつけたことを申し訳なく思う。
「僕がキッチリとリカバリー・テックの八十島さんからの報告を聞いていて、治部さんたちに伝えていればこんなことにはならなかったのに……」
そもそも、二人の女性……熊と夢は、家康の命で西軍の間諜として切腹させられた鈴木文右衛門と能勢三郎の魂と引き換えに伊吹山に現れたのである。
切腹は、半分、自殺。
自殺した場合は隠しキャラのストックから飛んでくる。
切腹は二分の一の確率で、隠しキャラのストックから飛んでくるということを言っておくべきだった。
隠しキャラには過去の者――その時点での死者が含まれる。
「しょうがないわよ。死者が蘇るなんて、それまであり得ない世界軸だったわけだし。その当の死者が嘘を付くなんて分からなかったわよ」
二人で現れたからだ。
夢こと瀬名は混乱しただろうが……大坂に居た熊という娘の生い立ちを参考に夢という娘の存在をいわば即興的に捏造した。
大坂城の女中は数が多いから、熊に倣って私も……などと言っておけば良い。
瀬名が身分を隠したのは、咄嗟の判断なのだろう。
この世界がどんな世界か不明だったから。
なんて抜かりなく賢い女性なのだ。
「長宗我部先生、本郷先生」
ドアをノックして入って来たのは早瀬直希である。
「お父さん……大丈夫なのか?」
「大丈夫ではなさそうです」
直希は彫りの深い顔を歪ませる。
「僕以上にのめり込んでます……マズイ傾向ですね」
時間が無いから焦ってはいるが、あちらの時間の進み具合とこちらの時間の進み具合はマチマチであり、長く入っているからといって早く物事が進むわけでもない。
「なんで……こんな複雑なのかな。人間って……みんなイイ大人なのに。どうして仲良くできないんだろう」
直希が伸びた前髪を白く長い指で触る。
「社会性があるからよ」
真美子が真剣な表情で言った。
「人間だけじゃない。蜂とか、蟻とか。ペンギンとか猿山の猿とかも……」
安藤は真美子の部屋に行った際、延々とアニ◯ルプラネットを観せられたことを思い出す。
真美子の意外すぎる趣味である。
「不安です……これからどうなっちゃうのか。多少クソでもやっぱ治部少が居たほうが城内がまとまったというか」
城内は浮足立っている。
「でも……治部少の置き土産で、東軍との停戦合意がありますから、軍事侵攻の心配はないかと」
あの後、東軍代表・藤堂高虎と西軍国総理大臣・増田長盛の間で約定は無事に締結され、半永久的、いわば歴史的停戦合意となった。
「魔法の方はどう?」
安藤が尋ねた。
「魔法は……全然ダメです。治部少の命を救ってもらうように祈ってますが……人の命とかは、魔法ではどうにもならないのかも」
家庭内でも父と話し合い同時刻に合わせて家族みんなで祈ることにしたが、結果は一向に出なかった。
「そのことなんですが、リカバリー・テックの八十島さんからご忠告があって……」
安藤の話に直希が真剣な顔つきになる、 「あの魔法も、魔法ポイントをゴリゴリに削っていくので、このまま利用し続けるといずれかゼロになってしまうそうなんだ」
「な、なるほど……」
魔法を乱発していると、いつか使えなくなるということか。
「先生、魔法ポイントはどこで稼げるのですか?」
「単純にログインしている長さだったり、宝箱を手に入れたりするみたいだね」
「宝箱?」
直希は眉間にシワを寄せて顎を軽く触った。
「宝箱がどうやって出現するのか……詳しくは八十島さんもまだ分からないみたい」
まだまだ謎だらけである。
「なんで、勘伝久仁彦は、こんなややこしい世界作ったのかなー!」
直希はボヤいた。
「勘伝先生も……ここまでややこしいことになるとは想像してなかったみたいだよ」
安藤もため息をつく。
ゲームは勝手に進化を遂げたのだ。
真美子が不安げに揺れる瞳で安藤の顔を真正面から見つめてくる。
安藤の内ポケットには、杉山光男の父親からの喪中ハガキが入っている。
ここに書かれた住所に今週末、向かうのである。
杉山光男が不幸な出来事により亡くなっている分、杉山の家族に会うのは……今まで突撃してきた人々よりも若干、心理的ハードルが高い。
それでも――全てを明らかにして、見届けるために。
安藤は、直希の茶々によく似た眼差しを横目で確認した。




