第174話 無いとは言い切れない!
――大一大万大吉。 ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン。
――石田三成
石田三成と徳川家康の捜索は今日限り――ちょうど一週間で打ち切られた。
台風が発生したこともあり、二次災害の恐れが高まったからだ。
外は既に雨が降り出している。
台風が来る前の生暖かく、湿った強い風が吹き抜けて、大垣城の外壁を音を立てて揺らしている。
大垣城の自室で茶々は祈りを捧げていたが、捜索隊からは何の報せも無く、時間だけが無為に過ぎていっていた。
「お母さん……何か食べてる?」
戸田内記が遠慮がちに茶々に尋ねる。
「食べなきゃ、倒れちゃうよ……! 何か食堂で貰ってこようか?」
息子の手前……あまり憔悴した姿は見せられない。
茶々は心配いらないと、内記にニッコリと微笑みかけた。
内記が出ていくと……茶々は畳に突っ伏して肩を震わせる。
「何で……何でなの?」
茶々は歯を食いしばって畳に爪を立てる。
夢に何か酷いことをしただろうか……。
優しく、接していたはず。
今までもあらゆる嫉妬の対象となってきたから、茶々は周りに気を遣いながら、細心の注意を払って生き抜いてきた。
何が気に食わなくて、三成に危害を加えようというところまで、彼女を追い立てたのだろうか?
徳川家康に嫁ぐのは快く思っていなかったにしても……三成を殺すこと以外に何か方法があったはず。
「デマチラシのこと……私は責めなかったのに……」
信じられない。
まだ……三成が居ないことが信じられない。
夢のことを恨んでしまいそうだ。
でも、表面上はシッカリとしなければならない。
大垣城内の兵士を鼓舞して味方の精神的支柱となるのが茶々の役割だと自覚している。
自分が打ちひしがれる姿を西軍国民に晒すわけにはいかない。
「治部……早く、帰ってきて……」
どんな姿でもいい。
ただ一目会いたい。
茶々は三成の残した着物……大一大万大吉の文字を見つめて胸に抱きしめた。
◇
大垣城・執務室では宇喜多秀家が頭を抱えて、長く伸びた髪をクシャクシャにしている。
「私のせいだ……」
秀家は細い指で顔を覆う。
「まさか……まさか、あの時、夢が火縄銃と手錠を隠し持って出たなんて」
熊との婚礼の後……夢にせがまれて武器庫の鍵を開けた。
背負っていた三味線の袋に、火縄銃を入れたのだ……全く疑わなかったし、気が付かなかった。
秀家と熊は……夢のことを見ていなかった。
夢は二人が仲良く見つめ合っている中、堂々と火縄銃と手錠を盗み出したのである。
火縄銃が一丁紛失したと聞いても……よもや女の夢を疑うことは無かった。
夢は書庫や食堂など大垣城内の他の場所も見たがったし、今思えば他はカモフラージュであったと分かるが……不覚であった。
「誰も夢を疑わなかったのです。中納言様だけではありません。仕方ない……中納言様、お気を落とさずに」
そう秀家を励ました左近も、目の下にクマがハッキリと表れている。
何日も徹夜で捜索に当たったが……川面からも川底からも二人の身体は未だに見つからなかった。
「これから……どうなる?」
腕を組んで深くため息をついたのは長束正家である。
東西両軍の実質的なトップが、二人揃って姿を消したのである。
今までのパワーバランスは崩れ、これからはまさしく、未知の領域である。
「諦めないで、引き続き和平に努めましょう」
左近は言った。
それこそが主君の意志を継ぐ、ということである。
そこへ大谷刑部がノックして執務室に入って来た。
「どうだった?」
「いや……誰も来てない」
西軍の一人が死ねば、伊吹山の洞窟に一人飛んでくる可能性があった。
EWCI(東西合同伊吹山連絡会)役員である大谷は伊吹山に出向いていた。
いわば三成の安否確認のためである。
但し、これは西軍国領内で死んだ場合、という条件付きの可能性があるため、伊吹山に誰も飛んでこないからといって、三成が命を落としていないことの証明にはならない。
先ほど東軍から派遣された同じEWCI役員の藤堂高虎の家臣によると……東軍内も蜂の巣を突いた状態のようだ。
今まで、徳川家康は東軍の動きを一人で決めていたことが多く、後継の忠吉はまだ若年ということもあり、領内の統率の面で手こずっているという。
「まずはあちら側で、様子を探ってきますよ」
フットワーク軽くそう言ったのは黒田長政である。
ここしばらく彼は西軍領内に留まっていた。
彼の席も執務室に当然のように用意されている。
「もしかしたら、この事態……治められるのは筑前守(長政)だけかも」
真剣な目で長政に話したのは増田長盛である。
「過分な褒め言葉として受け取っておきますよ」
長政は笑った。
長政は軽やかに席を立った。
長政は伊奈図書を伴って東軍領内へ戻っていった。
伊奈図書も、天気が回復して後に予定されている主君・家康の捜索に加わるという。
ときおり、雨が長政と図書ら一行の背中に烈しく吹きつけている。
馬に揺られながら東軍へ戻る二人の背中を見守りつつ、大谷刑部が隣の増田長盛に尋ねた。
「その……夢という女子は、どうなったのです?」
「井伊直政殿によって捕らえられて、座敷牢に入れられている、とか」
瀬名……別名・築山殿は、井伊直政の伯従母(父親のいとこ)にあたるという。
直政が幼い頃、その伯従母を見ていたから、式の最中に彼女だと気がついたのだ。
「いやはや……恐ろしい女子ですな」
長盛が嘆息した。
――やはり三成に強烈な張り手を喰らわせるのは女。
なんとなく、大谷刑部には予想がついていた。
「これから……どうなるのです?」
「さぁ……どうするかな……」
今、思えばEWCIがあって良かった。
そのまま中立機関として機能できる。
現に東軍側のEWCIを通して、東軍領内の情報も入る。
西軍領内にも地下組織『もぐら』を創ったが、ここ最近は会合なども持てずにいた。
EWCI役員は、今のところ、東軍からは藤堂高虎、細川忠興、西軍からは大谷刑部、小西行長である。
小西行長は渋っていたが、大谷と三成が頼み込んで結局、加わってもらった。
まだ役員を増やすつもりでいたが、まだ立候補者および推薦人を集めている段階である。
「これから……群雄割拠ってな具合にならなければ良いですね」
「それは……」
無いとは言い切れない。
和平を目指す者もいれば、再び乱世に舞い戻って天下人を目指すゲームを始める者も出てくるだろう。
伊吹山さえ手に入れば、女も金も自由自在なのである。
「はぁ……先が思いやられますよ」
増田長盛は力なく笑った。
ちょうどそこへ三成の仕事を手伝っていた堀靱負と永井辰之進が長盛を迎えに来た。
細かい仕事の相談があるのだろう。
「どこにおるのだ……治部」
大谷は雨の交じる突風を真正面から受けながら、長盛が去った後も軒先で一人佇んでいた。




