第172話 モリアーティじゃない!
宿業というものは、これほど恐ろしいものなのか――。
「と、殿……これはどういう?!」
島左近が驚愕の表情を浮かべる。
清州城の長い廊下にはワーグナー作曲『結婚行進曲』のアコーディオン演奏が流れている。
新郎と花嫁にライスシャワーならぬ籾殻シャワーをするために、廊下に居並んだ諸侯たちは、みな一様に困惑の表情を浮かべている。
三成はカチャリと手錠を挙げて見せた。
「……逝ってきます」
左近……今までありがとう。
世話になったな。
三成は目で訴える。
三成と家康は仲良く手を繋がれて清州城の廊下を進んだ。
そのすぐ後を夢こと瀬名姫が、ピタリと銃口を突きつけて進んでいく。
火縄の火を切らさぬよう、時折ブンッと振り回す。
瀬名姫は口元にえも言われぬ美しい笑みを浮かべている。
「あ……あの……結婚行進曲、続けたほうが良いでしょうか?」
アコーディオンを手に持った徳川の家臣がなぜか左近に尋ねる。
「……もう、止めておきましょう」
きっと、たくさん練習したよね。
左近はアコーディオン奏者の肩に手を置き、深く頷いた。
兵士たちに見守られながら、清州城の玄関を足袋のまま出た。
日はまだ暮れたばかりで、遠くの山々の稜線にオレンジ色の光を残している。
「お前らがまとめて死ねば……この世界はちょっとはマシになると思わない?」
夢が歌うように話しかける。
清州城の大手門を出れば、ポッカリと薄く浮かんだ月夜に照らされた川面が見える。
五条川である。
因みに、清州城は現代では移築されて別の場所にコンクリートの天守を持った城が建っている。
1610年には城下町はそっくりそのまま町人ごと名古屋城下へ移動した。(清須越し)
この五条川が頻繁に氾濫し、暴れるからである。
「和平にジャマ立てすんのは、内府でしょうが!」
三成は瀬名の顔を振り返って、必死で訴える。
「俺は平和主義だし何も無駄に争いたくないけど……この腹黒ジジイがわけのわからない因縁つけて戦争をしかけてくるから!
俺だってそれに対応するためにいろいろと手段を取らなきゃいけなかったっていうか……」
三成の言い分に家康はすかさず反駁する。
「あのな……この際、言わせてもらうけど……お前のその態度ってマジどうなの?」
家康は目を細くして睨みつける。
「ワシは曲がりなりにも年長者だぞ。大大名なんだし。お前の態度、昔からめちゃくちゃ悪いぞ?
平和主義とか言ってるけど、とても穏便にことを済ませようとする態度に思えないけど!」
家康は繋がれていない方の手で三成の鼻先を指さす。
「人を虚仮にするやり方しかしないし……礼儀を知らないっていうか。
お前、そもそも本気で和平する気あんの?」
「見苦しい……マジで見苦しい」
瀬名は整った眉を顰める。
「やっぱ……お前らひとまとめにしといて良かったわ」
瀬名はひとりウンウンと頷き、納得している。
「ちょ、ちょっと! 夢! お前が恨みがあるのはこのジジイだろ? 何で俺まで巻き込まれるんだよ!」
「瀬名……ワシがお前をどれだけ愛していたか……あの日から眠れぬ夜を幾つ越えたか……枕を涙で濡らした日々……ワシはお前と信康に冥土で顔向けできるようにと、必死で天下を獲ったのだぞ」
瀬名は家康の独白を鼻で笑った。
「別に……息子ともどもあんたに殺されてからあんたが天下人になったって、何も意味ないじゃない? バカなんじゃない?」
瀬名は後ろから三成のふくらはぎを軽く蹴飛ばす。
「それと、お前……妾を脅しただろ?
こんなか弱い女を恫喝するなんて害悪そのものだろ?」
「か弱い……?」
か弱くはねーだろ!
突っ込みたかったが、流石の三成も我慢する。
五条川の橋を半分渡ったところで瀬名は立ち止まるように指示する。
「さて、どっちから殺るかな……?」
瀬名は妖艶な笑みを崩さない。
「なぜ……あの場で殺らなかったのだ?」
家康が訊いた。
「本当は……お前はワシを殺したくなんかないのではないか? 本当は、ワシを愛して……」
家康は慈愛に満ちた目を瀬名に向けた。
本当に目の前の女を愛しているかのように。
「あのな……妾の幼い親戚が居てな……かような血飛沫飛ぶような悲惨なもの、目の前で繰り広げたくないだろう」
幼い親戚……とは井伊直政のことか。
直政は確か三成と同じ生まれ年。
もう、イイおっさんである。
しかも、戦場でもイヤというほど悲惨なものは見尽くしている。
瀬名姫が火縄銃を構えた。
銃口を二人の胴に交互に合わせる。
――本気だ。
目を見れば分かる。
本気で瀬名は二人を殺そうとしている。
「……おい、天下人だろ……?」
三成は家康の耳元に囁いた。
「……」
「おい、何とかしろよ。お前の問題だろ?」
「……」
「おい! 聞いてんのか???」
家康は何か言おうとしている。
目の奥が黒光りしている。
いきなり家康は三成の襟首を掴んだ。
「ワシがシャーロック・ホームズだ!!」
「は?!」
家康は三成の脇に手を入れて胴を抱きかかえるようにして、橋の欄干を超える。
二人は暗闇の五条川に吸い込まれるように落ちていく。
三成の叫び声が清州城下に響き渡った。
「ああああああああああああああああ! ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
『漂流! 関ヶ原』第三部 完
第三部完結いたしました!
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