第170話 角が隠せてない!①
「いやーしかし、快晴で良かったな!」
七夕……この日の三成は珍しく黒の紋付袴姿である。
昨日まで吹いていた強烈な風が一旦収まり、穏やかな夏の日が始まりそうな朝である。
三成の傍らにはどんよりとした眼差しの夢である。
絢爛豪華な花嫁衣装を身に纏っている。
薄手の打ち掛けが昇ってきた朝日に照らされてキラキラと輝いている。
メイクアップの権左に施された化粧で、ますます肌は白く光り輝いている。
小ぶりな唇の赤い色が目に眩しい。
大垣城三ノ丸の大手門には大名行列さながら、50名ほどの人集りが出来ている。
全て石田家家臣団で固めている。
この度の輿入れに関して……領内には大々的に発表はなされなかった。
出立も早朝で、人があまり出ていない時間帯を狙った。
「いやー夢、もうちっと笑顔にならんか? こういったハレの日に不貞腐れてるように見えるぞ」
「チッ」
夢は舌打ちした。
徳川家康への輿入れのために夢を送り届けるのは石田家家臣団の中でも精鋭中の精鋭である。
この日のために漆塗りの豪華な輿も用意した。
小窓があり、街道の見物客に手を振ることも可能だが……三成としては、あまり彼女の姿を衆人に見せたくはない。
花嫁の付き添い人は三成自ら行う。
他の男に任せると夢の瞳に吸い込まれて、途中で逃がしかねない。
いわば看守である。
夢はそれまで背中に背負っていた三味線の袋を、さも大事そうに前に抱き抱えた。
三成が与えた琴は、後ほど運び込む手はずになっている。
三成は輿に乗り込む夢を助けようと手を差し出す。
夢はそれを当然のように無視する。
「夢……お前、天下人の妻になるのが夢だと申しておったではないか?」
不貞腐れた態度の夢に三成は話しかける。
「家康以外の……ね」
輿にちんまりと収まり、夢は口を少し歪ませて皮肉気味に笑った。
「分かる。お前……男を見る目があるよ」
「むしろ……男など、本当はどうでも良い」
夢は独り言のように呟く。
「……私は、これからも私の道を往くのだから」
三成が馬に乗ろうとした時、長い髪を靡かせながら、城から駆け出す茶々の姿が見えた。
「夢!」
息を切らせながら、茶々は夢の乗った輿を軽く叩く。
ゆっくりと小窓が開かれた。
三成は茶々に、夢がデマチラシに関与していたことを話していた。
三成の頬に僅かばかりの緊張が走る。
「夢! これ……元気でね」
茶々が懐から取り出して夢に差し出したのはピンク色の匂い袋である。
茶々が細かな色とりどりの刺繍を施している。
「……ありがとう……ござりまする」
微かな声とともに、夢が白い小さな手で受け取るのが見えた。
大手門を出てしばらくすると三成は馬を旋回させて、門の側に佇む茶々の姿を振り返った。
茶々と目が合う。
茶々は小さく手を振った。
三成は、その幸せを噛み締めながら軽く頷いた。
◇
輿が動き出すと、夢は小窓を全開にして通り過ぎる景色をキラキラした目でずっと見続けた。
小さな子どもが走る電車から通り過ぎる風景を飽きることなく眺め続けるみたいに。
ともすれば純真な女なのだと……勘違いしそうになる。
熊も、宇喜多秀家も言っていた。
寂しがりで世間知らず。
本当は物静かで、人の心の内を読む女。
今まで、外の景色をキチンと見たことも無かったのだろうか――?
「どこぞのお姫様や?」
三成は独りごちた。
万華鏡のように見る人によってコロコロとその姿を変える。
はたして――どの夢が正解なのか。
考えてみれば――大坂城がいかに巨大とはいえ、夢ほどの美貌の女御がいたら、男たちの口の端に上がっていたはず。
三成の脳内に言いしれぬ違和感が降って湧いて出る。
しかしながら――その違和感を検証するには些か遅い。
清州城に辿り着いたのは既に夕刻である。
まだまだ日が長く、太陽の沈む気配は無い。
「着いたぞ」
輿は降ろされているから、中の夢も気がついているはずだ。
三成はしゃがみ込んで輿の中の夢に呼びかけた。
三成は夢に角隠しを被せる。
夢の希望であった。
「三成……」
「ん?」
狭い空間に白粉の匂いと茶々の匂い袋の香りが充満している。
「さよなら、だな」
「……」
夢はジッと三成の目を見つめる。
長い睫と強い目の輝き。
危うく吸い込まれそうになるほど蠱惑的な瞳だ。
「もう、本日以降、会うことも無いだろう」
「……元気でいろよ。夢」
三成は角隠しの下から夢の顔を覗き込んだ。
「内府に、何かされそうになったら、すぐに五助に助けを求めよ」
花嫁の付き添いとして清洲に残るのは湯浅五助になった。
夢と熊の面倒をずっと見てきていたし、色香に惑わされない愚直な男なので、これ以上の適任者はいない。
「お前の実家は……大垣城なのだから」
夢は驚いたように目を見開いて、ジッと三成の顔を見た。
やがて少し微笑む。
「実家には戻らないよう……努力しまーす」
婚礼の儀は、大々的には行わないこととなった。
松平忠吉が謹慎処分になっていることも関係しているだろう……東軍領内では、大谷刑部の奪還劇の影響が色濃く残っている。
「これは、これは兵部殿! ご機嫌麗しゅう!」
三成の姿を確認して兵部こと井伊直政は驚愕の表情を浮かべる。
「なぜにお前がこちら側にノコノコと現れるのだ?」
直政はライトブルーの直垂姿に烏帽子を被った正装である。
ワナワナと扇子を持つ手が震えている。
「いやいや、こんな素晴らしいハレの日に、ひとこと俺も内府にお祝い申し上げたく」
「す、少しでも不審な動きがあったら、ブッ殺すぞ」
直政は震える手で三成の襟首を掴もうとする。
「ホホホ! こんなハレの日に流血沙汰とは! 流石、兵部殿は血の気が多い」
三成は直政の手をかわして、扇子をパッと開き口元の笑みを隠した。
和平の約定が結ばれるのである。
伊吹山の取り扱いおよび夢の輿入れについては、内閣総理大臣・増田長盛と東軍の代表者・藤堂高虎の間で既に先に合意を得ており、約定を記した誓約書は島左近の懐、奥深くにしまってある。
これにて、東軍の侵攻計画に終止符が打たれ、ようやく停戦がかなう。
この婚礼が成った暁には、緊張状態を脱し、いわゆる和平への道を進めるはず――これからが両者にとっての正念場である。
「花嫁、ささ、こちらへ」
小姓が夢を案内する 夢の小さな顎と唇がかろうじて確認できるほど、角隠しが大きい。
「こちらが控室です」
大きな鏡が置いてあるので、三成は襟元を直した。
夢は三味線の袋を握りしめて、俯いている。
「夢……緊張してるのか? 案ずるな……万が一の時は俺らが護ってやる」
外には左近や舞兵庫、小幡信世、大山伯耆など、精鋭を待機させている。
もしここで花嫁と石田隊が襲われるようなことがあればまさしく、全面戦争。
今までの交渉は全て無意味になる。
ここまで交渉が進んだのだから、婚礼の前にまかり間違って殺される、みたいなことは無いはずだ。
襖が開いて……徳川家康が姿を現した。
紋付き袴姿で家康のくせになかなか凛々しい。
陽に焼けた顔を強張らせて三成の姿をじっと見つめる。
「花嫁は俺じゃなくて、こっちこっち」
三成は夢を指差しながら、軽口を叩いた。
家康は夢にチラリと視線を移して、何も言わずに出ていった。
――運命の宴は今まさに、始まろうとしていた。




