第164話 愛とか友情とかは外せない!
「父上! こんなことはお止めください! 頼継が不貞など……するわけがないではありませんか?」
抗議の声を上げて、家康の行く手を阻んだのは松平忠吉である。
「残念ながら……別の証言もあるのだ」
家康は廊下を歩きながら、横目で息子の顔を見る。
底冷えするような冷たい目線である。
「木下頼継が投石機に妙な薬品を掛けていた……という証言だ」
「そ、それは……」
忠吉が言葉に詰まった。
「私です。私が部下にやらせました。それならば私を罰してください」
戦支度の時、投石機に塩酸を掛けるよう部下に指示したのは忠吉である。
実際に掛けたのは忠吉の部下であって、頼継ではない。
塩酸は大谷刑部がどこからか調達してきたものだ。
たぶん……伊吹山の時空のヒビを使ったのだろう。
忠吉もどうしても戦争突入を止めたかったひとりである。
「お前の軽率な行動がどのような事態を招くのか……学ぶ良い機会だな」
家康は立ち止まって、忠吉を睥睨した。
「お前がワシの息子じゃなければ、とうに……」
「とうに……何ですか?」
自分が家康の息子でなければ、とうにどうだったと言うのか。
父親の言葉はまるで忠吉に突き付けられた銃口のようだった。
「それでしたら……私が頼継の代わりに死にます」
忠吉は俯いて拳を震わせた。
「馬鹿なことを言ってないで、お前も見物しろ。お前がどのような事態を引き起こしたのか、その目に焼き付けろ。それが上に立つ者の責務というものだ」
家康は息子の肩をズシリと重く叩いた。
◇
忠吉は父親の背中に隠れるように、刑場に足を踏み入れた。
広い刑場には50名ほどが砂にまみれて、既に待機させられていた。
最前列に本多忠勝、藤堂高虎、細川忠興、福島正則、伊藤盛正ら……みな、企みに加担したと思われる大名達が居並んでいる。
黒田長政にも召集をかけたが、西軍領内に逃げ込まれた後であった。
井伊直政が長刀を手に大名達の挙動に目を光らせている。
その周りを徳川家康の近習らが火縄銃を持ってぐるりと囲んでいる。
大野治長が酷く青ざめた顔でこちらを見ている。
大柄な背中が丸まって小さく見える。
隣の大谷刑部は木杭に縛られている息子とは視線を合わさずに、巻き起こる砂ぼこりを手を翳して防いでいた。
立ち姿がサマになっている。
家康は大谷に歩み寄った。
眉間にシワを寄せ、さも気の毒そうな表情を浮かべる。
「大谷刑部……おぬしの息子はワシの息子の嫁に手を出したらしい……」
「……」
「残念だが、このままでは周りに示しがつかないため……捕らえた。刑に処する前に何か息子に言ってやることは無いか?」
大谷は息子に視線を投げた。
頼継はジッと父親の顔を見つめる。
暫しの二人の視線のやり取りを、風の音だけが包んだ。
「……何も」
大谷は家康に視線を移す。
「今は……何もありません」
微かに口角を上げる。
「貴方の昔ながらのやり方に反吐が出るだけで……息子の頼継には何もありません。
立派だったと。これぞ二十四孝の閔子騫だと。流石、俺の息子だと。いつか、冥土で会ったら言ってやります」
頼継は嬉しそうな顔をしている。
忠吉は大谷刑部の言葉に身を震わせた。
これから銃弾を受ける頼継を羨ましい、とさえ感じる。
結局、父親の陰に隠れて何も出来ないでいる自分が……恨めしい。
家康は今度は青ざめている大野治長に声をかけた。
家康は息がかかるほどの至近距離に詰める。
「何でも……魔法が使える、などという馬鹿な噂が巷で広がっているそうだ。おぬしが、そう言ったのか? ん?」
「そ、それは……本当です」
治長は震える声で応えた。
魔法が使えるのだ。
それに関しては間違いない。
「本当……ね」
家康は近習に向かって軽く手を挙げた。
近習のひとりが進み出て火縄銃に火薬を詰める。
忠吉は思わず顔を背けた。
悲鳴のような風が忠吉の耳元を吹き抜ける。
「そうだな……」
忠吉は父親の声に視線を戻す。
家康は手を顎に充てて思案している。
「確かに死に臨んでの頼継の態度は立派である。このまま……頼継を死なせてしまうのは惜しい」
ふと気がついたかのように家康は大野治長を振り返る。
「修理よ。本当に魔法が使えるのであれば、この火縄銃をレプリカに変えてみよ」
大野治長が顔を歪める。
「出来れば頼継の命はおぬしに免じて助けてやる。もし……出来なければ、そなたの申告は虚偽となる。どうだ? やってみよ」
「そ、それは……」
治長が首を振る。
「出来ません……やったことがないですから」
全てのプレイヤーが同時に祈らないと、願いは叶わない。
「おぬし……もしかして、このワシに嘘をついたということか?」
家康は大野治長をキョトンした表情で見つめる。
「わ、分かりました! やってみます」
治長は跪く。
砂ぼこりの中を手を合わせて祈った。
奇跡を信じて。
向こう側で、二人が同時に祈っているのを信じて。
――何も、起こらない。
「やれ」
近習が狙いを定めた。
頼継が目を瞑る。
忠吉も目を固く瞑った。
一瞬、ほんの一瞬、風が止んだ。
「分かった。俺が全てやったのだ」
大谷刑部の声が響いた。
「息子は……何の咎も無い。俺がやったのだ。罰するなら俺を罰するべきだ」
「父上ーー!!!」
木下頼継が悲鳴を上げる。
家康はニッコリと微笑んで大谷刑部を見つめた。
「離してやれ」
近習がすぐさま駆け寄って頼継の縄を解く。
頼継は走り寄って父親に抱きつく。
大谷はシッカと息子の身体を抱きとめた。
「内府……俺は貴方のことも救おうと思って……」
「わかっておる。だが、それはワシのやり方では無い」
家康はにこやかに大谷の言葉に制する。
「大谷刑部。そなたに切腹申し付ける。以上だ」
近習達が今度は大谷刑部の身体を取り囲む。 追いすがる頼継を引き離して、大谷の身体を拘束した。
家康は満足げに一度頷くと、居並ぶ大名達をひとりひとり睨みつけながら刑場を後にした。
大名達は誰もが微動だにしない。
見せしめは、ひとまず成功した。
大野治長が砂にまみれて、膝をついて項垂れた。
髪の毛に容赦なく砂が叩きつけられる。
忠吉はしゃがんで治長の肩に手をかける。
「どうしよう……」
助けられなかった。
治長は歯を食いしばる。
「な、何だ? これは?!」
近習のひとりが火縄銃を取り落とした。
治長と忠吉は地面に落ちた火縄銃に目をやる。
「遅い……遅いよ」
火縄銃からは何本もの木の蔓が芽吹いて銃口を塞いでいた。
これでは……撃てない。
願えば叶うのだ。
治長が慟哭した。
「ううっ……何もかもが、遅い……」
◇
清州城、奥の書院作りの間である。
去年の冬……ここの庭で小早川秀秋と会ったことを大谷は思い出す。
あの時は雪が積もっていた。
後ろ手に縛られているため、蚊が顔の周りを飛んでも振り払うこともできない。
初夏である。
あれから半年経って……このような事態になるとは想像も付かなかった。
「事態を複雑化させて……面白かったか?」
目の前で優雅に茶を飲んでいるのは徳川家康である。
「別に面白いとか思ってやったわけじゃありません。平和的に上手くいく方法を考えていただけで」
東軍内で戦争に突入することを不安視する数多の声が、なぜか自分の元へ寄せられた。
出来る限り思いついた策を実行したに過ぎない。
時間も準備も不足だったが。
「不思議だ……リアリストであるおぬしがこんな企てをするなんて」
時間は無かったが、企ては上手く行っている、と大谷は手応えを感じている。
今日、居並んだ大名の顔を見ればある程度分かる。
自分の死後、早晩に東軍が瓦解することが。
「リアリストですか……確かに貴方の言うように……俺は夢想家にはなれない。もっと複雑で曖昧な人間です」
大谷は思う。
あまりに戦国的な家康のやり方は両刃の剣である。
優雅で余裕さえ感じられる家康の背後に……焦りと不安が増幅しているのが見える。
「ところが……間の悪いことに、俺は愛とか友情とか、勇気とか、そういった単純なものが異常に好きなのだ」
もはや家康に話しているか、自分自身に問いかけているか、大谷には分からない。
「そういったものに出くわす度に、これは俺が護ってやらねば、誰よりも尽くしてやらねばと考えてしまうのです……めちゃくちゃ悪い俺の癖だ」
関ヶ原の時だって、別に三成に味方しなくても良かった。
仲が良かったからと言って、何も力の差のある相手に立ち向かわなくても良かった。
現に、三成と仲が良かった人間でも幾人も徳川家康についたではないか。
「でも……俺の悪いクセで……なんやかんやで愛とか友情とかに絆されてしまうのだ」
我ながらバカである。
「貴方も、実はそうなのではないですか? 心の中では、実にそんな単純な、バカみたいに純真な……そんなものが好きなんじゃないですか?」
策を練れば練るほど、人を陥れれば陥れいれるほど、純真な宝物みたいな気持ちが愛おしくなる。
心の奥に宝物を抱いた者を愛おしく感じる。
「貴方は俺の気持ちが分かるんじゃないですか?」
関ヶ原の直前、伏見で股肱の臣の鳥居元忠を喪った家康ならば分かるはずだ。
「黙れ!!!」
家康は湯呑みを投げつけた。
湯呑みの湯が零れて大谷の着物を濡らした。
「黙れ……もう、これ以上、そんな戯れ言は聞きたくない」
家康は席を立った。
大谷の頭を見下ろす。
「切腹は明後日未の刻とする。それまで、震えて待て。大谷刑部」
※閔子騫……孔子の弟子で中国では孝行息子として知られる。




