第163話 眠れない!
木下頼継が刑場に建てられた木杭に胴を縄で縛りつけられている。
縄が後ろ手にも巻かれて、砂ぼこりが時折風に舞って、頼継の顔に直撃した。
目を開けていられない。
強風が広い刑場に嵐の前触れのように吹き荒れている。
「ゲホッ、ゴホッ」
砂交じりの風を吸い込み、頼継は烈しく咳込んだ。
それでも向かい風は容赦なく頼継の身体を嬲り、砂ぼこりはトグロを巻いて絡みついてくる。
「木下頼継! 逮捕する! 神妙にせよ!」
昨晩――頼継を捕縛したのは、清州城で仲良くしてくれた仲間だった。
みな一様に悔しそうな、何とも言えない表情を浮かべているものだから、頼継は困らせないようにとすぐに腕を差し出した。
「止めて! 止めてよ!!」
後ろで叫び声を上げたのは初姫である。
「止めなさい! これは命令です!」
必死で捕縛しようとした役人に取りすがる。
「止めろ! 頼継を離せ!!」
慌てて間に割って入ったのは、松平忠吉である。
「何の咎で! 頼継を連れてゆくのだ?!」
「……初様との不貞の罪です」
役人のひとりが松平忠吉の顔色を伺いながら話す。
「そんなもの、言いがかりに過ぎない」
忠吉には確信がある。
頼継がそのようなことをするわけがないのだ。
頼継と初が二人きりになったことなど忠吉の記憶では一度もない。
二人をいつも笑わせて和ませてくれるムードメーカーであった。
実に良く、彼ら夫婦に陰に日向にと尽くしてくれた。
「分かっております……! これは、上様のご命令なのです……!」
捕縛の役人が歯を食いしばった。
「父上には、私から伝えるから! 連れて行かないでくれ!」
忠吉は懇願した。
「忠吉様……俺は大丈夫です。内府様に何か誤解があるようですから、キチンと申開きしますゆえ」
頼継は目を瞬かせながら、軽く笑顔を浮かべる。
「初様と……お子のことを第一に……どうかお護りください」
頼継の言葉に初は自身のお腹にそっと手をやる。
「絶対に助けてやるからな! 安心せよ!」
忠吉は、連れて行かれる頼継の背中に叫んだ。
刑場に引きずり出され木杭に縛られるまで、頼継は清州城の外れの目立たぬ場所にある番小屋に繋がれた。
夜も更けた頃、やって来たのは井伊直政である。
「今日は眠れぬぞ。木下頼継よ」
「さようですか? 俺はどこでも寝られるのが特技なんですがね」
井伊直政は木棒を持っている。
頼継の肚にズシリと重い打擲を加えた。
「グフッ……ウウ」
「さあ! 吐け! 頼継! 誰がこのような仕儀を指揮し、お前を窮地に追いやっているのか? 吐けば楽にしてやる! さあ!」
直政は大音声で言い放った。
◇
「若いですが……あれは漢ですな」
明朝、青白い顔をして家康の前に跪いたのは井伊直政である。
「落とせませんでした……」
「良い。それで良い」
直政は何としてでも、頼継から父親の大谷刑部の名前を挙げさせて、頼継を救うつもりであった。
このような仕儀に加担したからと言って若い命を散らすのは直政としても惜しかった。
ところが……頼継は頑として口を割らないので、当然、痛めつける時間が長くなる。
「上様……木下頼継は……?」
「予定通り、銃殺刑だ」
家康はポンッと直政の肩を軽く叩く。
「あと……大谷刑部と、大野治長を呼んでこい。立ち会わせる」
直政は目を見開いた。
「どうした? 万千代……そんなに驚くことか?」
家康の計略を邪魔したのである。
責任を取るのは当然のことだ。
「銃殺……までは、ちとやり過ぎかと」
「なんだ? 斬首の方が良かったか?」
銃殺はまだ火縄銃が的を外す場合があり、罪人を余計に苦しめる。
家康とて、出来れば斬首にしたいところだ。
ただ……首を刎ねる職人が常に不足していた。
みな、やりたがらないのである。
技量不足を理由に断る者が増えた。
「今回は……銃殺だ。ワシに考えがある」
家康は目の奥を光らせた。
◇
執務室はまだ夜明け前だというのに、煌々と明かりが灯されている。
いつもの執務室メンバーとともに松野重元と戸田内記が加わっている。
「何か……お手伝いできることはないかと思って……」
重元が言った。
東軍領内には小西行長と重元の従卒の十佐がまだ渡ったきりだった。
三成は行長に頼んで、引き続き東軍の様子を探ってもらっている。
「まずいぞ、治部」
長束正家が深刻な顔をしている。
「この度は……大谷刑部も危ない」
――なぜ、執務室に無断で計画を練ってしまったのか。
執務室メンバーとしては納得のいかない部分があるものの、その場の全員が大谷刑部と木下頼継を救い出す算段を模索中である。
「我らが頼りなかったかな……」
増田長盛がボヤく。
確かに火縄銃紛失ひとつを解決できないほど、日々の雑務に追われていた。
忙しない日常の中で、大谷刑部による目論見が東軍内で進行していたことに長盛は純粋に驚いている。
「相談があればな……ワシとしても言えることはあったのだが」
恵瓊が悔しそうに言った。
「……頼継はまだ子供なのに」
宇喜多秀家が長い睫毛を伏せる。
頼継はまだ17歳……現代でいえば高校生の歳である。
「いや……あれは立派な男ですよ。あれはもう大人の男です」
三成は言った。
男ならば、自分の死に際は自分で決めなければならない。
戦国の世の倣いである。
「よく、そんなこと言えますね」
側に控えていた内記が三成に噛み付いた。
「頼継のこと、見殺しにするおつもりですか?」
「そんなことは、言って無い」
三成は横目で内記の顔を見返した。
内記の頬がオレンジ色の焔に照らされている。
「どうするのです?」
「……お前は、どうするのだ?」
逆に三成は内記に問う。
「この度の仕儀は、お前にも責任があるだろう? お前はどうするのだ?
いつも誰かがすぐに助けてくれるとは限らぬぞ」
「それは……」
正論である。
三成ら執行部メンバーに隠して物事を進めていた手前、いまさら助けて欲しいだなんて虫が良すぎる。
「祈ります」
「そうしてくれ」
三成は頷く。
内記は椅子を蹴って執務室を飛び出した。
――誰かを助けて欲しい、という祈りは叶うのだろうか?
物を出現させたり、天気を変えたりすることはできた。
でも……命は?
死人を生き返らせたり、逆に命を奪ったり。
命をコントロールすることは果たして出来るのだろうか?
茶々の部屋に入ると……母は、既に手を合わせて祈っていた。
母の顔を見た途端、内記の瞳に涙が溢れた。
頼継は今、必死で運命に抗っている。
友達として。
仲間として。
焦りと無力感が内記を襲う。
「お母さん! お母さん……!」
内記は思わず幼い子どものように母に取りすがった。
次々と溢れる涙を母の赤い着物で拭った。




