第162話 貴方って頼りない!
「マズイことになりました!」
夜分遅くに、黒田長政が這々の体で大垣城三ノ丸の玄関に辿り着いた。
三成は白湯を手に持って出迎える。
「お前……ノコノコこっち側に来て大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないですよ! もう!!」
長政は陣笠を三和土に投げ飛ばした。
かなりのヤケクソである。
三成の手から白湯をひったくるようにして飲んだ。
「東軍領内は粛清の嵐です。
大谷刑部は完全に見誤りましたね。上様は本気です」
東軍領内では大野治長と茶々の噂話をしただけで捕らえられてしまうという。
魔法の話など、もはや御法度になってしまった。
家康が放った役人らが町に出て、木棒を手に目を光らせている。
「いや……逆だ。怖くなったのだ。刑部のことが」
三成は呟く。
大谷刑部は本質を突いていた。
今回分かったのは……東軍内でも戦争を何としてでも回避したい大名たちが、それこそ大勢いたということだ。
表立って家康に逆らうことができない大勢が大谷刑部の味方についた。
大谷は早瀬家の三人が本気になって力を合わせて家康を害すれば、出来る可能性があることに早々に気がついていた。
だから、家康にも救いの手を差し伸べたのだ。
早瀬家が家康の上に君臨するというある種の取り決めによって。
なのに……家康は怖くなった。
大谷に家中を取りまとめられることが。
「先取りしすぎる! なぜ俺に相談しないのだ??」
まだ魔法はカニカマ段階である。
(注釈:カニカマは戦後食品三大発明のひとつで、美味しくて素晴らしい製品です)
内心、三成は大谷の行動力に舌を巻く。
短期間でこれだけの大名に号令をかけた。
いっそのこと大谷が大野治長(神官)を従えて、天下を治めた方がしっくりくるのではないか……。
「木下頼継が……死刑になります」
長政の言葉に三成は目を剥いた。
「今回、井伊直政が大谷刑部を疑っていまして……その件の見せしめであるかと……」
長政は白湯を一気に煽る。
「一体、何の咎で?!!」
訊いても詮無いことだ。
家康のことだ。こじつけに決まっている。
「治部……どうしよう? 私のせいだ」
振り返ると、暗い廊下に茶々が幽霊のように立ちつくしている。
「うぉ!」
三成はその様子にちょっと慄く。
茶々は胡座をかいて座っている三成の腕に、跪いて縋り付いた。
「どうしよう!! 刑部が死んだら!! 頼継が死んだら!!
私たち家族が不甲斐なかったから!! きっと私たちのせいだよ!!」
「お姫様……坊っちゃんも旦那様も悪くありません。自分を責めちゃいけません」
長政は藪睨みの目を茶々に向けて、優しく諭した。
茶々が泣いている。
彼女の涙がハラハラと落ちて三成の袖を濡らした。
「どうするの?」
袖を握りしめる細い手に力がこもる。
「ことの経緯を見守りましょう」
「……」
「とにかく、貴女と内記は安全な場所で落ち着いて祈ってください。家康の死を」
あとは大野治長が願えば最悪の事態は回避できるかもしれない。
「治さんが……祈らないと思う」
潤んだ瞳で茶々はおずおずと三成に進言する。
「なんでだよ! 日和るなよ! 修理!」
「治さんは平和主義者だから」
今は平和主義とか言っている場合ではない。
「いやいや、そこはガン決まんないと!」
三成は歯噛みする。
「いや。治部少。今、上様を害すれば……修理(治長)が疑われて酷い目に遭いますよ」
長政の言葉に茶々は肩を震わせた。
「……なんとかしなさいよ」
「……」
「貴方がなんとかしなさいよ!」
茶々は三成に顔を近づけて噛みつくように言った。
「え、えっとぉ……」
三成は混乱する。
先ほどまで自分たち家族が悪かったと泣いていたのに。
情緒不安定にも程がある。
「貴方……結局、私を護る護ると言ってちっとも護らないじゃない!」
肩を細い腕で叩かれる。
「関ヶ原でも先に死んじゃうし……内府の元に乗り込んだ時だって、助けたのは私じゃない! それに……ロシア語の通訳の時だって……」
通訳?
「貴方の消息を探して……どれだけ……どれだけ貴方の行方を……私に苦労かけてばっかりじゃない!
貴方なんて私を少しも助けてないじゃない! 今度くらい、私の言うこと叶えなさいよ!」
「えっと!? 一体何の話ですか?」
「真面目にやりなさいよ! もう! 限界よ!!!」
茶々は床を蹴って泣きながら廊下の奥へと走り出す。
三成は茶々の突然の豹変に暫し唖然とした。
「貴方……来世でもよっぽどやらかしてるんですね……」
長政はひとりで頷いて納得している。
知らんよ。それは知らんよ。
長政は白湯の入っていた茶碗を黙って三成に差し出した。
もう一杯持ってこいと言っているらしい。
「このまま……私はここに残って、予定通り第九の全体練習を開催します」
白湯を差し出すと、長政は遠い目をして語り出す。
「たとえ……ひとたび血が流れても、文化の力でひとつになれると証明したい。私はやってみます」
「内府に怒られるかもじゃない?」
三成は流石に長政を心配する。
全員で歌ってる場合ではない。
「いや! 何が内府だ! 何が将軍だ! 幕府め、クソ喰らえ!
もう全てがイヤになりました。今は戦国時代じゃないんだ。我々人類には積み上げてきた歴史があるんだ!
戦国脳の奴等に好き勝手にはやらせませんよ」
飛ばされてきた当初は、黒田長政は誰よりも戦国脳だった。
「貴方も、参加するんですよ!!」
長政はビシッと三成の鼻先を指差す。
「えええ……」
歌うのは、本当に勘弁である。
「貴方の席も用意してありますから! 逃げないでキチンと向き合ってください! ベートーヴェンからの平和へのメッセージを深く心に刻みなさい!」
「はぁ……」
今までの経験上、厄介な事はまとめて起こる傾向がある。
――叶えなさいよ!
茶々の言葉を反芻する。
彼女が叶えたいのは、ただただ平穏無事に生きること。
運命がそうさせるのか。
彼女はこれからもドラマティックに生きるしかないのだろうか。
三成は茶々の言葉を噛み締めながら、暗い廊下の奥を見つめていた。




