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第157話 誰がために鐘は鳴らない!②

 本多忠勝と渡辺勘兵衛が、揖斐川の中州まで一気に馬で駆け抜ける。


 観客の唸り声が地の底から響いた。


「勘兵衛ーーー!」


 声援が鳴り響く。


 本多忠勝が蜻蛉切の鋭い切っ先を勘兵衛の首元目掛けて振るう。


 勘兵衛が仰け反って切っ先を躱《かわ》した。


 見物の兵士たちにどよめきが起こる。


 勘兵衛の槍は下から忠勝の脇腹を捉えようとする。


 忠勝は右足で鋭く馬の腹を蹴って、馬が胴を上げた。


 回転して退避する。


 拍手が巻き起こった。


 忠勝は赤い蜻蛉切を振り回しながら、再び勘兵衛に迫る。


 勘兵衛も槍で蜻蛉切を撃ち返し、今度は忠勝の首元に斬り込む。


 忠勝は辛うじて小手で躱した。


 そこから天から降ってきたような蜻蛉切が勘兵衛の頭に迫る。


 勘兵衛は身を低くしてそれを躱す。


 勘兵衛の頭上のギリギリを忠勝の槍の軌道が通る。


 背中に悪寒が走り、三成は思わず立ち上がって叫び声を上げた。


「や、止めさせよ! 誰か、二人を止めてくれ!!」


「殿、あれが漢《おとこ》の生き様です。余計な制止は要らないでしょ!」


 左近は奥歯を噛み締めている。


 生き様……確かにそうなのだが、勘兵衛がもし討たれたら……。


 三成は気が狂いそうになる。


「勘兵衛……!」


 三成は指を組んで祈ることしかできない。


 両者は少し離れる。


 お互いの馬が向かい合う。


 再び駆け寄った時にはきっと勝敗は決している。


 暫しの沈黙が河川敷を包み、風がそよぐ音しか聞こえない。


「やぁ!」


 勘兵衛が馬の腹を蹴った。


「はっ!」


 忠勝も馬の尻を思いっきり叩く。


 勘兵衛の槍が忠勝の首元に伸びる。


 忠勝は身を捩って体勢を低くした。


 ザックリと忠勝の右頬が削れて血飛沫があがる。


 忠勝の槍は、勘兵衛の脇腹を撫でた。


 すんでで躱したかようにも見える。


「勘兵衛ーーー!!!」


 三成は采配を取り落とす。


 思わず走り寄ろうとして左近にガッシリ止められた。


 勘兵衛はしばらく馬の上に居たが、上体を傾けて川にスルリと落ちた。


「曲直瀬《まなせ》!! 曲直瀬!!」


 三成が悲鳴のような声で曲直瀬玄朔を呼んだ。


 馬上の本多忠勝も右頬から耳にかけての傷を手で触って、血に濡れた手を見ると信じられない、といったような表情を浮かべた。


 本多忠勝は生涯にわたって、戦場で傷を負ったことがまだ無い。


 西軍側から数人が飛び出して勘兵衛を川から上げた。


 勘兵衛は苦悶の表情である。


「勘兵衛!!」


 引き摺られるように戻ってきた勘兵衛に三成は取りすがる。


 体重をかけて、勘兵衛に乗らんばかりである。


「殿……殿……っ! 痛い! アイタタ……乗らんでください」


 曲直瀬が甲冑を脱がせて確認する。


「……急所は外れてる」


「殿、こんなのかすり傷でんがな」


 勘兵衛はニタァと笑った。


 三成はその場合で腰を抜かしてへたり込む。


 拍手が東西両軍から湧き上がった。


 本多忠勝もそれに応えて手を振っている。


「良い勝負でしたね……」


 左近が満足気に呟く。


 その目には涙を浮かべてすらいる。


「やかましいわ。全員クタバレ」


 三成はこの極めて中世的な慣習に嫌気が差した。


 腹立たしいったらありゃしない。


 これからが大事な局面なのに、渡辺勘兵衛はこれにて負傷退場である。



  ◇



「平八郎殿……大丈夫ですか?」


 揖斐川の向こう岸では、大谷刑部が戻ってきた本多忠勝に声をかけた。


「ええ……たいした時間稼ぎにはなりませんでしたな」


 忠勝の右頬から血がダラダラと流れている。


 駆け寄ってきたのは白い御殿医《ごてんい》の着物を着た男である。


 家康が曲直瀬の他に連れてきたもう一人の医師・板坂卜斎《いたさかぼくさい》である。


「失礼します」


 卜斎は礼儀正しくそう言って、背伸びして背の高い忠勝の頬に清潔な布を充てる。


 大谷刑部は天を仰ぎ見た。


 雲一つない晴天……雨が降り出すまでは刻は稼げなかった。


「堰を切るか?」


 忠勝の目が光る。


「いや……まだだ」


 大谷は応えた。


 堰を切る場合は『狼煙』を上げる。


 藤堂高虎と福島正則の隊の一部の兵士が、上流で待ってくれている。


 堰を切る決断はギリギリまで待つよう、茶々から厳命されている。


 このまま戦闘が始まれば、渡ろうとした兵士達は多くが流されるだろう。


 出来れば避けたい。


「刑部!」


 甲高い声が背中からかかる。


「何やってるんだ? いよいよだぞ!」


 全身赤備え……井伊直政である。


 チラリと舌を出して赤い唇を舐める。


「緊張してきた……武者震いがするぞ」


 直政は先ほどの一騎打ちに興奮冷めやらぬ様子である。


「川を堰き止めてるから、渡りやすい。おぬしの策であったな」


 何も知らない井伊直政は綺麗な笑顔を見せてくる。


 大谷は再度天を仰ぎ見る。


 一向に雨は降り出さない。


 大谷は戻って自分の床几《しょうぎ》に腰を掛けた。


「……天命か……」


 大谷は思わず呟いた。


 隣の黒田長政の藪睨みの目が痛いほど見つめてくる。


「撃ち方、用意ーー!!」


 井伊直政が意気揚々と采配を掲げた。


「撃てぇぇぇぇぇ!!!」


 何の音も出ない。


「鉄砲隊! 今だ……撃てぇぇぇぇぇ!」


――全く音が鳴らない。


「ど、どうした?!」


「あ……あの」


 井伊直政隊の鉄砲隊員が駆け寄る。


「鉄砲が……撃てません」


「……そんなはず、ないだろう??」


 直政が火縄銃を手に持つ。


 ピカピカしていて、新しいが何も変わったところは無い。


 ただ……軽くて、金属部分が妙に作りものっぽい。


「ハハハ……まさか」


 戦国時代に火縄銃のレプリカがあるわけがない。


 あるわけが無いから、当然、チェックもしていない。


 いや……! 今朝までは、ちゃんと本物の火縄銃だった。


 試し撃ちをしてきたのだ。


 それからプラスチック製品に置き換わるなんてこと、あるわけが無い。


 何度も言うが、今は戦国時代である。


「井伊様……ゆ、弓矢も」


「嘘でしょ?!!!」


 弓矢は明らかに鏃《やじり》がプラスチック製である。


 こんなの飛ばしたって折れるだけである。


 そもそも弦にかける時点で折れて飛ばないだろう。


「言いにくいのですが……投石機も……」


 隊員はおずおずと言った。


「プラスチックって言うつもりじゃなかろうな!!!」


「いえ! こちらは妙な液体が付いていて、錆びついて動きません!」


「は???」


 井伊直政はゆっくりと振り返った。


 振り返った先は大谷刑部である。


 大谷刑部は姿勢良く床几に座ったまま目を閉じて瞑想している。


 そこだけ喧騒から逃れるかのように。


「刑部……なんだ? これは?」


 直政が座った大谷に話しかける。


「なんだ……と言われましても」


 大谷は顔を上げて視線を直政のひどく紅潮した頬に送る。


「確認、されなかったので?」


 武器の全体的な担当は確かに井伊直政である。


「確認って……火縄銃のレプリカがここにあるわけが無いじゃん」


 ザワザワと兵士たちが騒ぎ出した。


 井伊直政の顔は赤味が引いて、みるみる真っ青になっていく。


「なんと……と、殿に申開きすれば……」


 直政の脳内に家康の顔が浮かぶ。


「貴様!! 知ってたのか?!!」


「知るわけないじゃないですか? なぁ?」


 隣の黒田長政が大谷に急に話を振られて、目を白黒させる。


「はい! そりゃ、誰だって分かるわけないですよ? レプリカだなんて……」


 井伊直政の頬にポツリと雨が降ってきた。


 先ほどまでの晴れ間は重苦しい雨雲に移り変わり、雨足は徐々に増していく。


「雨だ」


「雨……どうするのだ?」


 兵士たちは口々に呟く。


 サァッと地面に雨の痕が広がる。


「兵部殿……いかがなされますか? 今日のところは、撤退されたほうが良いのではないかと」


 黒田長政が口を挟んだ。


 そこへ……。


「皆のものーーー! よく聞けーーー!」


 突如、男の裏返ったような大声がして、みな振り返って仰ぎ見る。


 輿みたいなものの上で、白装束の大男が天を仰いでいる。


 微かに雲の狭間で雷が光った。


「今、まさにーーー! この雨を降らせたのは我なりーーー!」


 輿のすぐ脇に男が飛び出して、小さな鐘を烈しく打ち鳴らした。

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