第156話 誰がために鐘は鳴らない!①
一週間に渡り振り続いた雨は、とうとう上がってしまった。
川中島よろしく、霧が晴れると万を下らぬ大軍勢である。
堀靱負が数を数える。
「ざっとニ万二千……!」
西軍は大垣城や他の要衝に護りを残してきたので、ちょうど一万ほどである。
近くに急ピッチで普請したいくつかの砦を配し、万一の場合は逃げ込む。
しかしながら、まずは何としてでも東軍の渡河を防ぎたい。
「黒田家の幟旗、大野家の幟旗、上がりました!」
「田中家、山内家、福島家、細川家の旗、上がりました!」
「井伊家の旗、本多家の旗、上がりました!」
次々と報告が上がる。まさしく、東軍も総力戦である。
「大野家は……兵が多いですね。もしかすると、小早川秀秋の残した兵が混じっているのやも……」
左近が望遠鏡片手に冷静に見極める。
「火縄銃、用意!!!」
舞兵庫が睨みを利かせる。
雨が上がったので、塹壕の水を必死で掻き出して、火縄銃部隊を入れている。
川を渡って駆け上がってくる騎馬隊の足元を狙う。
竹束や鉄盾を用意して、先方の火縄銃や弓矢の攻撃に備える。
「おかしいな……水が異様に少なくないですか?」
左近が疑問を呈する。
「……確かに」
三成は揖斐川上流に目を遣った。
――渡りやすいように既に堰き止めているのか。
「やあやあ! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ 我こそはーーー!」
大音声で叫びながら、騎馬で川を渡る者がいる。
肩から特徴的な大数珠をかけている。
「我こそは三河の国から出でて! 日本第一! 古今独歩! 天下の徳川四天王のひとりと謳われる本多中務大輔ただかぁぁつーーー!!」
「……まさか、一騎打ちか……?」
三成は呟く。
この期に及んで信じられない。
「腕に覚えのある者ーー!! 相手を頼もおぉぉぉ!!」
忠勝は浪々と平安風の名乗りを上げる。
『蜻蛉が出ると、蜘蛛の子散らすなり。手に蜻蛉、頭の角のすさまじき。鬼か人か、しかとわからぬ兜なり』
鬼神のごとき本多忠勝を詠んだ川柳である。
「蜻蛉切」は本多忠勝の名槍で、鋭い切っ先に止まった蜻蛉が真っ二つになったことからその名が付いた。
愛馬は、名馬『三国黒』である。
「お! こいつは左近の出番ですかね」
左近が槍を掴んで立ち上がり、陽気に言った。
悠然と馬に跨がろうとする。
本当だったらこの場合は――島左近。
「いや……拙者が参ります」
左近の肩に手をかけた男がいる。
渡辺勘兵衛である。
「……」
三成は簡単には声が出ない。
この場合、死んでくれ、と言うのと一緒である。
本多忠勝は今まで数々の合戦(大小合わせて57といわれる)で無傷の実績を誇る。
かすり傷一つ負っていない。
一騎打ちにも滅法強い。
「殿……勝ちましたら、十万石でしたな。お忘れなきように」
勘兵衛はニッと笑った。
華麗な身のこなしで槍を手に騎乗して駆け出す。
東西両軍からはやんや、やんやの大歓声である。
「殿……お気を確かに! ここで怯んだ方が負けですぞ!!」
後ろに倒れそうになるのを左近が支える。
「勘兵衛を信じましょう! あの人、ああ見えてすんっごく強いですから!」
「始まってしまうのか……」
三成は震え声で呟く。
ここまで、どうにかこうにか、回避した。
もはやこれまで。
勝手に始まってしまったのだ。戦争は。
「……勝つしかない」
第一次世界大戦の火蓋が切られた切欠も、支那事変の切欠も、たった一発の銃弾からだった。
オーストリア大公を射殺したサラエボの一発も、北京郊外・盧溝橋の一発も。
そこからはもう泥沼である。
始まってしまったら、後には引けない。
全て終わらせるには、勝つしかない。
「勘兵衛……! どうか無事で……!」
三成は組んだ指に力を込めて祈る。
◇
戸田内記は小姓姿の茶々の手を引いて、険しい山道を登った。
小高い丘に砦が築かれている。
まだ兵士の姿は見えない。
頂上から揖斐川の戦いの様子が良く見える。
「勘兵衛が……川の中に……!」
茶々が声を震わせる。
相対する大男がブンブンと槍を振り回している。
「早く……! 取り掛かろう!」
内記が茶々の袖を引いた。
局地的に雨を降らせるのは練習済みで、ここ数回はかなり精度が高くなっている。
範囲は狭いが、逆に狭くて良い。
心を一つにして、同時に烈しく祈るのがコツである。
「本当に出来るのかな?」
茶々は心細くなって弱音を吐く。
「刑部様を信じるとお母さんが言ったんじゃない!!」
内記が叱咤激励する。
事前の打ち合わせで何度もシミュレーションした。
こうなった以上、火縄銃を使わせないようにプレイヤーがタイミング良く大雨を降らすしかない。
内記は思う。
投石機とかは完全には防げないが、大谷刑部には考えがあるようだった。
万が一、プレイヤーが雨を降らせられずに、東軍の渡河作戦が始まってしまったら――揖斐川上流の堰を切る。
藤堂高虎隊と大谷刑部は何日も前から今日に備えて、堰を造っていた。
表向きは、渡河作戦のためである。
堰を切るタイミングは木下頼継が判断する。
彼が狼煙を上げる計画だ。
渡っている兵士は流されてしまうので、出来れば避けたい。
「雨……今、絶対に降らせなきゃ……絶対に。戦争になっちゃう……!」
内記は跪いて祈りの体勢に入る。
「お父さんも、向こう側で! 同じことやるから! 刑部様も付いてるから、大丈夫……!」
内記は不安げな瞳をした茶々を励ます。
「信じて、やってみよう……!」
内記は天を仰いだ。
「雨ーーー! 降ってくれーーー!」
「雨ーーー! 降って!! お願い!!!」
茶々は跪いて、指をシッカと組む。
茶々も黒々とした大きな瞳を天に向けた。
二人は肩を並べて、必死の思いで雨を乞うた。




