第155話 兄弟じゃない!
「今だ! 撃てぇぇぇぇ!!!」
舞兵庫が雄たけびを上げたところで、伊奈図書が笛を口に咥えたままちょこちょこと走ってきて、胸元のレッドカードをチラつかせた。
「スタッフの方はピッチから出てください。監督もですよ」
「え? 俺?」
三成は自分の鼻先を指さす。
気がつくと、オリンピックの旗がはためき、緑の芝生を煌々と巨大なライトが照らしている。
地の底から唸り声のような男たちの歓声が上がった。
「何やってるんですか?」
キャプテンマークを付けた島左近が側まで走ってきた。
南隆之介が強引にゴール前まで駆け上がったが、敵に倒されてピッチで派手に倒れ込んでくれてるため、少し時間がある。
「時間が無いんですよ……ロスタイムは五分ですって」
「……負けてる」
0-1の電光掲示板が見える。
「PKになると思います。相手にレッドカード出るんじゃないですかね?」
主審がVRで確認中である。
左近はドリンクを飲みながら丁寧に状況を説明する。
「これ、負けたら、どうなんの?」
「負けたら全員死刑です。当たり前でしょ」
こともなげに左近が言う。
「ば、バカバカしい! サッカーごときで負けたら死刑かよ!!」
三成は青いキャン◯スノートをベンチに叩きつけた。
「いいですか、殿。サッカーは戦争です。戦争の代わりにやってるんです。勝たなきゃ全員……」
左近はみなまで言わずに走って戻っていく。
「そんなの、絶対許さない」
三成は周りを見渡す。
PKを撮るため、カメラマンのシャッターが煌めいている。
「……絶対に命は落とさせない」
向こう側のベンチで徳川家康が悠々と腕を組んでこちら側を見ている。
余裕の表情だ。
凄く高そうなスーツを着ている。
三成は刀に手をかける……。
「あれ?」
刀が無い。
「あれ? 刀? どこやったっけ?」
背広の腰の部分には何も無い。
ピッチで大歓声が上がる。
会場が地鳴りのように揺れた。
「え? なになに?」
数人が覆いかぶさってきて、もみくちゃにされる。
「さこーん! 左近?! どうなった?」
人が雪崩込んで、徳川家康の姿を見失う。
「さ、左近! 内府が逃げる! 追え! 今だ!」
フーリガンが入って来て爆竹などを撃ち鳴らす。
家康の紺色の背広が見えた。
芝生がグニャッとして走りづらい。
足がもつれて前に進めない。
その間にも、家康の姿はドンドン小さくなっていった。
「左近……! 内府を追え!」
三成は精一杯下知を飛ばした。
家康がふと立ち止まって振り返る……。
「左近!」
三成は起き上がった。
◇
「何ですか? さっきから煩いなぁ」
どうやら左近の部屋でうたた寝していたらしい。
左近は文机でなにやら書き物をしている。
「ロスタイムは……?」
「もうとっくに過ぎました。昼過ぎですよ」
地鳴りのような大歓声は大垣城二ノ丸の屋根にぶつかる大粒の雨の音だろうか。
けたたましい音を立てて降り注いでいる。
梅雨前線が近づき、いよいよ本格的な梅雨入りを迎える。
戸田内記らが願った『晴れ間』は数日しか持たなかった。
「左近……たとえば、俺と藤兵衛(長束正家)が引退して、全面降伏すれば……西軍領内は安泰になるのかな?」
床に寝た体勢のまま、左近の背中に話しかける。
薄手の布団がかかっている。
眠っている時に左近がかけてくれたらしい。
「殿……ちょっとアタマ大丈夫ですか?」
左近は振り返って、胡乱げな目で主君を見た。
「何言っちゃってるんですか? そんなわけないでしょ? そんな都合の良い話、あるわけないでしょ?
殿と大蔵様(正家)がたとえ晒し首になったって無理でしょ」
「やっぱ、そうだよね」
なんだか、罪の大きさを自覚する。
「はい。バカも休み休み言ってくださいね」
左近が書き物に戻った。
「で、でも! 刑部が第三勢力を結集して、ある程度の規模になれば」
三成はガバッと起き上がる。
「難しいですよ。それでも」
左近は振り返りため息をつく。
「内府が律儀に茶々様を護るとは思えませんね。
ましてや、西軍国民を護る義理なんて無いでしょ。
西軍国民を一人でも多く屠れば女が手に入るんですよ」
なにも慈善事業で動いているわけではない。
「そんなお花畑を散策してたいのだったら、まだ夢の中で寝ててください。意味ないんで」
「だよね~〜」
三成は再び床に寝そべり、左近に背中を向けた。
「自分が死ねば、とかカッコいいこと考えちゃいました?」
左近が軽い感じで主君をからかう。
「そういうわけじゃないけど……単なる仮定の話で」
大谷刑部が目指すのが第三勢力の結集ならば、西軍はどの立ち位置で向き合うべきなのか、考えているだけである。
「向き合うも何も、そんなもん、作られた日にゃ、味方につけるか、ぶっ壊すしかないじゃないですか?」
第三勢力は簡単にはまとまらないだろうな、とも思う。
なにしろ各隊とも個性が際立った集団だから、力による統治ならまだしも『緩やかな連帯』となるとそうもいかない。
「Xデーはいつになると思う?」
揖斐川の向こう岸では既に東軍による侵攻準備が進められている。
幾重にも竹束がかさなっているのが目視できる。
「あちらさんは、あまり……先延ばしにする意味は無さそうですよね」
この機に一気に力攻めして、こちらの士気を挫きたいはずだ。
「この雨が上がったら、じゃないですか?」
土砂降りの雨はまだ一向に止む気配は無い。
その夜、びしょ濡れになって戻ってきたのは黒田長政である。
「首尾は?」
三成が三ノ丸の玄関に走り寄って尋ねる。
「……不首尾です」
長政は藪睨みの目を最大限見開く。
「徳川家康は本気で陣を張ってます。交渉には一切応じないつもりのようです」
三成は長政に手拭いを渡した。
長政が豪快に顔を拭く。
「目指すは伊吹山の領有……応戦しなければ、深い位置まで踏み込まれそうですね」
茶を差し出されると、長政は一気に流し込んだ。
「そうか……ありがとう。交渉してくれて」
「……井伊直政とともに先陣を申し付かりました。今生の別れとなりそうですな」
揖斐川を渡る第一陣は井伊直政・黒田長政の連合軍となったらしい。
「来週末には、第九の第一回の全体練習がここの大広間で行われる予定だったのですが……開催できずに残念です」
この雨が開けたら……敵味方となって撃ち合うのである。
三成は眼前の現実を俄に信じられない。
「手回しの蓄音機とレコードは置いて行きますから……もし良かったら城内に流してください」
慌ただしく長政は背を向けたが、すぐに振り返る。
「Alle Menschen werden Brüder,」
「えっ?!」
三成は上手く聞き取れない。
「貴方には……私ほどの教養が無いからお話しますが、1964年の東京オリンピックでベートーヴェンの第九は東西統一ドイツ選手団の国歌の代わりに表彰式で流されたのですよ」
――そうか。
それで第九に拘っていたのか。
三成は合点する。
「すべての人は兄弟となる……いつかこの歌が東西の壁を超えるのだと、信じたかった」
長政は遠い目をした。
その目は空を切り、雨が降る暗闇の外を見据えた。
「叶わぬ夢でしたがね……では」
「吉兵衛!」
雨の中に消えようとする長政の背中に三成は呼びかける。
「……ありがとう」
長政は大雨の中、二、三度頷いて照れくさそうな笑顔を見せた。




