第150話 戻る道はない!
三成が井戸水で顔を洗おうとしたその時だった。
「オワッ」
後ろからタックルされて、背中に何者かが覆いかぶさる。
「殿!」
「イテテテ!」
トントンと、小気味よい音が井戸の側面から聴こえる。弓矢が刺さった音だ。
「殿!」
ドカッと音がして、またもう一人、人が背中から覆いかぶさった。
「イタい! イタタ! 死ぬ!」
三成はうつ伏せになってもがく。
小柄な三成は大男二人にタックルされて、ジタバタと手足を動かした。
「殿を逃がせ! 移動させろ!」
駆けつけた左近が叫ぶと、数人が乱暴に三成を引っ張り起こして、そのまま大垣城の城内に運んだ。
「イタい! ちょっと! 優しく!」
ワッショイワッショイ運ばれながら、三成は悲鳴を上げた。
命を救ってくれたのは、石田家家臣の蒲生頼郷と、林半助である。
蒲生頼郷は関ヶ原で討ち死に、林半助は杭瀬川の戦いで一番槍と殿をつとめた、二人とも忠臣中の忠臣である。
「忝ない」
三成は深々と二人に頭を下げる。
全身が酷く痛む。
「いえいえ! そんな滅相もない!」
蒲生頼郷が武人らしい大きな手を顔の前で振った。
大きな身体を縮こませて、逆に恐縮している。
「いや、自分は二番目だったので悔しいです!」
林半助は飄々とした表情を浮かべて言った。
競うところでは無いのだが、率直な感想が可愛らしい。
半助のストレートで正直なところを三成は頗る気に入っている。
「何者かが! かように殿のお命を狙いました!」
渡辺勘兵衛が持ってきたのは井戸に刺さった鏃、二本である。
「誰が……かようなことを……!」
勘兵衛が唇を噛む。
「誰か、目撃した者がいないか、家中に聞いてみよう」
蒲生頼郷が言った。
主に石田隊が日々使っている井戸である。
比較的安全であるはずの場所で、暗殺未遂事件である。
今更ながら、三成は震えだした。
「な、なんで? 今、暗殺?」
胡座をかいた足が細かく震える。
味方が固まって過ごしている城内に三成を殺そうと思う者がいるという事実に愕然とする。
「なぜ、早く動けたのですか?」
林半助は、蒲生頼郷に尋ねた。
不満顔である。
「三階の廊下から反射の光が見えた」
頼郷は応える。
鏃の部分が光ったのだという。
「いつも、殿の安全を注視してましたから」
三成は弾かれたように頼郷を見た。
――そうか。いつも、身の安全を気にかけてくれていたのか。
不覚にも涙が零れそうになる。
半助も顔を紅潮させて尊敬の眼差しで頼郷を見ている。
頼郷、半助ら家臣五人に周りを固められて、三成は執務室に入った。
中で長束正家が顔色を青くして震えていた。
「どうした?」
「い、命を狙われた!!」
正家は三成の両袖に縋り付く。
「降伏しよう! ね! もう、降伏しよう!」
正家は半分泣いている。
「ちょ、ちょっと、ちゃんと話せ!」
状況はほぼ同じである。
用を足そうとして、寝ぼけ眼で厠に向かったところ、弓矢が厠の側面に刺さった。
「もうダメだ……殺される……」
正家は小刻みに震えている。
「ワシはまだ親東軍派だと思われているということか……」
増田長盛は一人で納得している。
「私は……もしかして、二人より重要人物じゃないって思われてるってこと?!」
宇喜多秀家が両手で顔を覆う。
別に命が狙われなかったから、重要人物じゃないわけではない。
執務室にいきなり安国寺恵瓊が入って来た。
白い法衣の袖に血が滲んでいる。
「まさか?!」
三成が叫んだ。
「サバにヤラれたわ……油断した〜」
恵瓊が猫に引っ掻かれた腕を捲って見せた。
一気に執務室に牧歌的な雰囲気が流れ、会議はお開きとなった。
長束正家はまだ泣きそうだったが、石田家の家臣数人が昼夜警備に当たることで納得した。
◇
三成が次に顔を出したのは『武器庫』である。伊奈図書に会いに来た。
相変わらず五人もの家臣に三成は脇を固められている。
「この弓矢は『公式』のものではありませんね」
伊奈図書が警備の人数に驚きながら言った。
手には今朝ほどの弓矢を持っている。
鏃の形状が武器庫に備えてあるものの中には見当たらないという。
三成はデカい男に周りを固められてるため図書の顔が遠く、頗る話しづらい。
一旦、武器庫の入り口に警備の家臣を待機させる。
三成は手で口元を隠した。
「例の火縄銃……大谷刑部が持って行ったと噂になっていますが……」
「もちろん日付を調べましたが、大谷刑部殿が出奔してから《《後に》》盗まれたものと思われます」
伊奈図書は真剣な顔つきで応える。
「でも……確かに彼は武器庫の鍵を持つ数少ない人間なわけですから、誰かに頼んで運び出させて後日、東軍領内に持ち込むことは可能ですね」
『武器庫』の鍵を持っているのは、大谷刑部、伊奈図書、執務室メンバー、安国寺恵瓊、警察機関の長である平塚為広のみである。
三成が持っている鍵は左近や勘兵衛が使用することもある。
「刑部だと思いますか?」
三成は伊奈図書の表情を窺い見た。
「可能性は高いと思います。鍵がこじ開けられたような様子は無いですし……」
鍵を持った大谷刑部出奔の前後で火縄銃の盗難があったのだから、可能性は高いとしか言えない。
「彼を信じてらっしゃるんですね?」
図書が目を細めて微笑む。
「いや……分かりません」
三成は唇を少し歪めた。
西軍領内だけでも地下組織『もぐら』のことといい、三成が把握していない事実が山程ある。
人の心は変わらない、なんてことはない。
三成にも分かる。
ふと武器庫の所蔵品に目をやると、拘束具が掛けられている壁がある。
「なにやら、物騒ですね」
手鎖と手錠である。
足首や首を拘束するものまである。
「平塚殿が作らせました……縄だと噛みちぎろうとする者が出るそうで」
伊奈図書が手錠を手に取りプラプラさせた。
「拘束具も日々、数えるのですか?」
三成は気になって質問する。
意外とキッチリした性格なので、こういった事務的作業が嫌いではない。
「いえ、矢と一緒で消耗品ですから。月末のみですね。
少なくなったら棚から補充します。
ま、滅多に使うこともないですけど」
伊奈図書は手錠を壁掛けに戻した。
西軍領内はそれほど犯罪が横行しているわけではないが……酒の席でのケンカや盗み程度はたまに起こる。
その度に平塚為広や小西清左衛門の部下らが出動して取り締まる。
みな国民も脇差しや短刀くらいは常備しているので、刺股等で制圧する時に油断すれば反撃されて命を落としかねない。
昼夜を問わない、苦労の多い仕事だ。
「黒田筑前が東軍領内に帰るらしいですね?」
伊奈図書が話題を変えた。
黒田長政には引き続き、夢の輿入れについて家康と交渉してもらう予定だ。
「はい……もしかして、貴方も東軍が恋しいですか?」
三成の質問に図書は目を伏せて笑った。
「……些か」
「申し訳ありません」
三成には、伊奈図書が東軍を結果的に追われた経緯について責任があるのは間違いない。
「貴方が悪いわけではありません!」
図書がブンブンと手を振った。
「ただ……上様の御恩に報いたかったと思うこともなくはない、と。
かわいがっていただきましたから」
図書は懐かしそうな目をする。
「今は……私は私の意志でここにいます。私が上様を想う気持ちは変わらず……しかし、たとえ衷心であったとしても、否、衷心であったからこそ道を違えることもございましょう」
正しいことのために、心から仕える主君であったとしても、離れなければならないこともある。
心から仕えるからこそ、主君が間違いを起こせば、諌めるために態度で示さなければならない。
「くれぐれも……気をつけて」
伊奈図書が三成の背中に手を添えながら言った。
三成は再び家臣らに囲まれて武器庫を後にした。
暗殺未遂事件を起こした者の名前は、すぐに判明した。
明朝、伊藤盛正と家臣団の屋敷はもぬけの殻になっていたという。
夜に揖斐川を渡ったらしい。
「殿と大蔵様(長束正家)の命を手土産にしようとしたのですねぇ〜」
左近がなぜかニヤニヤしながら言った。
一旦、これで厳重な警備体制は解除である。
「やっぱり、付け届けくらいじゃ効かなかったかぁー」
伊藤盛正には居城であった大垣城を無理矢理接収してしまったという引け目があった。
事あるごとに付け届けなどは欠かさなかったが……やはり恨みを買っていたことになる。
「元々、市松と仲も良かったしな」
伊藤盛正は福島正則と懇意である。
「……伊藤盛正も、『もぐら』の一員であったとの噂ですよ」
左近が眉を顰めながら三成に囁く。
もし、今回の件が『もぐら』による組織的犯行だったら、地下組織『もぐら』に対する警戒レベルは最高レベルまで上がることとなる。
もはやテロ組織である。
そして『もぐら』の中心人物であった、大谷。
大谷もまた最大限の警戒対象となる。
「敵、になるのか……」
今更ながら、実感がヒタヒタと足下から湧き上がる。
幼い頃からお互いを誰よりも知る人物が……敵になる。
怖気が最後、首に周り、三成は思わず自身の首に手を当てた。
第150話に到達いたしました。
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