第149話 怯む心はない!
東軍が揖斐川の向かいに陣を張る場所から下流に五キロ。
雨が上がるとすぐに、東軍の歩兵小隊は夜半に揖斐川を越えて集落をひとつ奪った。
戦闘にもならずにやすやすと侵入されてしまったものだから、西軍国民の上層部への不満は高まるとみられる。
「揺さぶりをかけてきますなぁ」
渡辺勘兵衛が悔しそうに話した。
「明らかな約定違反だ」
三成は腕を組んで目を瞑る。
なりふり構わず、伊吹山を獲る作戦なのだろう。
他を獲って、西軍国内での厭戦気分を高めるつもりらしい。
流石の西軍国民も大方が逆で……今現時点で徹底抗戦の構えの方が多い。
各隊、見張りを増強し、集落の突出した東軍部隊を取り囲んだため、東軍方はすぐに夜陰に紛れて敢え無く撤退となった。
後ろから射て掛ける意見も出たが、開戦の決定打にならないよう威嚇のみでことを終わらせた。
しばらくは、モグラ叩きのような状態が続くだろう。
その内、東軍は西軍首都・大垣城との地理的な要衝を得れば兵を増員し、居座る可能性も出てくる。
補給路を断たれたら万事休すである。
三成は街道に網目のように兵を配置する。
なるべく塹壕を掘り進め、本格的侵攻に備える。
「ネズミが出て、かなわん」
安国寺恵瓊が首の汗を手拭いで拭きながら言った。
塹壕を掘るのもかなりの労力である上に、ネズミが駆け回っている。
それでも兵士達は黙々と砦を築き、塹壕を掘る。
いつか、気持ちが途切れないか心配になる。
「ああ! もう!!」
三成は自らの太ももを叩く。
帷幕の中のテーブルに突っ伏してイライラした気持ちを抑える。
「殿……もう限界です」
夜半に三成の部屋を訪れたのは石田家家臣の磯野平三郎と小幡信世である。
磯野は普段、弱音を吐かない男である。
磯野の浅黒い顔にクマがハッキリと浮き出ている。
信世はふっくらとした頬が特徴だったが酷く痩せてしまっている。
「今まで……耐えましたが……石田家家臣団、みな疲労困憊です」
磯野は訥々と話した。
「うん、うん。休もう」
三成は深々と頭を下げた。
「申し訳なかった……」
家臣団に無理をさせてきたのは三成自身がよく分かっている。
「とにかく、無理をせずに週に三日は休みとしよう。おぬしらが斃れてしまっては元も子もない」
「私は、まだやれますが……」
信世が声を上げた。
信世はまだ23歳の若者である。
「いや、ダメだ。休みなさい」
三成は頭を下げて他の部隊に負担を頼むつもりでいる。
今まで危険で過重な労働は石田隊が引き受けてきたのだ。
反対意見はそう多く出ないはずだ。
「刑部様は……本当に殿を見限られたのでしょうか?」
ハッとして三成は磯野の顔を見る。
磯野平三郎は……関ヶ原の後は八十島などと共に藤堂高虎の家臣となった。
正直、すぐにでも高虎の元に奔ってもおかしくはない。
それなのにここにいてくれている。
「大谷隊の一部……特に側近だった者たちは不安になっているようで……自分たちも見捨てられたのではないかと」
「刑部が家臣を見捨てることはないだろう」
近々、揖斐川を渡れと言ってくるに違いない。
「行かせるのですか?」
信世が驚いて言った。
「致し方あるまい」
「殿はみすみす……東軍に加わる戦力を無傷でお渡しなさるおつもりか?」
磯野の目が剣呑になる。
磯野はたとえ主君相手でも物事をハッキリしなければ気がすまない質である。
「そうだ。大谷隊には恩がある。そういったことを棄てたらそれこそ我々は終わりだ」
石田隊は各隊の模範でなければならない。
「それに大学(吉治)がこちらにはいる。
大谷隊は今は大部分が大学が率いているから、それほど多くは揖斐川を渡らないだろう」
大谷刑部の息子・吉治は大谷隊の大部分を既に預かり、日々訓練を重ねていた。
「お互い仲の良い者も多い……揖斐川を渡る気配があったら、説得にあたってみます」
磯野が目線を上げた。
意志の強さを物語る良い目である。
◇
三成が明朝、尋ねたのは伊吹山の屋敷に常駐の湯浅五助である。
三成が馬を曳いていくと、五助は黙って頷いて厩舎に馬を繋いだ。
「刑部の逆心……聞いておったか?」
「いいえ。全く」
五助の声は少しくぐもっている。
口数は少ないが、丁寧にゆっくりと話す。
「しかしながら……」
五助は小さな目を細かく瞬かせる。
「あの方はよく『天命』という言葉を使ってましたね」
「天命……?」
三成は首を傾げた。
「何でも『天命』に従う……というような。貴方様の方がご存知なのでは?」
「さぁ……俺には刑部がたまによく分かんないところ、あったかな」
三成は苦笑する。
「とにかく、東軍陣地に大谷家の旗印が立って、あちらサイドで軍議に出たのは事実なのだから、分かりやすく『裏切り』なんだろうな」
五助とは伊吹山の屋敷の周りを散策して話しをした。
三成は足で道端の大きな石を脇に寄せた。
「炭鉱運営など……性急すぎたのがマズかったかな?」
目線を足下に落としながら三成は言った。
「あの方は……貴方様を貴方様以上によく理解しておいでで」
五助は久々の雲の晴れ間を眩しそうに見ている。
「あれは……経済発展というよりも、共同事業の意味合いが大きかったのだろうと普段から申しておりました」
「……」
「だから石炭が採れる採れないに関わらず貴方様はやるべきことと判断したのだと」
内側から意識を変える。
対立項ではなく、一緒に真剣に取り掛かるものを創る。
秀吉の時代の城普請などがそうであった。
確かに途中から三成は視点を切り替えた。
「五助……主君に会いたいであろう」
三成は五助の心情を慮った。
「いえ。全く」
五助はニコリと微笑む。
「心が繋がっているものですから、離れていようが何も変わるところはありません」
「……」
「私は私のなすべきことをキチンとなすまでのこと。あまり、距離は問題ではありません」
「妬けるな。その信頼関係が」
三成も家臣たちと築けていると思いたい。
「夢は……息災か?」
屋敷から今日はまだ琴の音が響いてこない。
そのことを気にかける自分がいることを三成は自覚する。
「表向きは元気ですが……あまり食欲がありませんので心配しております」
五助は遠慮がちに窺うような目をする。
「お会いになられますか?」
「いや……きっとストレスになるだろう」
夢にとって三成は明確な敵である。
五助は急に立ち止まった。
「治部様……この度の戦争、勝ってください」
五助は身体ごと三成に向き合う。
「勝つためならばこの湯浅五助……身命を賭します」
五助の顔から柔和な笑みが消えている。
「この世に正義の御旗を打ち立ててください。それが出来るのは貴方様しか居られないのだから」
雲の合間から日差しが差して五助のあどけない顔立ちを照らしている。
「人は……たまに正し過ぎるだけでは愚か者と変わらない、と言いますが、むしろ正しさを持たぬ者など……私に言わせればただの臆病者です」
五助の胸の前で組まれた指先を三成は見つめた。
泥に汚れた爪と太い指。
働き者の、実に良い手である。
「臆病者と愚か者であるならば……私は愚か者でありたい」
五助が指に固くグッと力を込める。
「悪に怯む心など、武士が持ってはならぬのです」
五助は祈るような形になって奥歯から言葉を絞り出した。
「あの方も紛れもなく愚か者なのだと私は思います。治部様」




