第148話 信用はない!
大垣城本丸の明石全登の部屋は扉が固く閉ざされて静まり返っている。
三日ほど前から降り出した雨がシトシトと暗い廊下の壁を打っている。
この一角は廊下も全て雨戸まで閉ざされている。
全登はいつもは乱れの無い前髪が額にかかっている。
「治部様……私がすぐに自害しないのが意外ですか?」
全登はその頬に穏やかな笑みを浮かべた。
「掃部頭殿(全登)ほどの人に自害してもらおうなんて、露ほど思いません」
三成は静かに応えた。
雨の音しか聴こえない。
「貴方とお話するまでは……死なないつもりでした。貴方も分かっていたのでしょうね。貴方はそういう人だから」
明石全登はクリスチャンである。
自殺は厳罰だが……部下に介錯してもらうのならば――可能だ。
「何故、夢に協力したのですか?
あのような仕業、協力するようなバカなこと、普段の掃部頭殿だったらしないでしょう?」
三成は不思議に思う。
善意を利用されたのだったらいくらでも引き返せる途はあった。
なぜスルスルと張られた蜘蛛の糸に捕らわれてしまったのか。
「……もしかして、私が色香に惑わされて夢殿に助力したとでもお思いですか?」
全登は白い歯を見せながら笑った。
「普段だったら、そんなことないでしょうが、なにしろこの世に女が他にいないのでね……」
三成は苦笑する。
全登は三成の目を真っ直ぐ見つめたまま、ハッキリとした口調で言った。
「……貴方には理解し難いかもしれませんが、茶々様のために行いました」
「……」
「貴方は……大坂城を経験していないから、知らないのです」
全登は一呼吸置いた。
「あれは、武士が死に場所を求めて行く死地です。ヴァルハラです。彼女は……追い詰められていた」
北欧神話におけるヴァルハラは主神オーディンの神殿で、乙女ワルキューレに選ばれた本物の戦士だけが辿り着ける聖なる館である。
「片桐且元が、徳川方に奔って……大野が必死に抑えようとしましたが、無駄だった。全てが呑み込まれて行きました」
徳川家康とは交渉を粘り強く行っていたが、最後は取次だった且元が家康の元へ奔り、治長と茶々、秀頼が自害して豊家は幕を下ろした。
城内の男たちは殺気立ち、少しでも停戦に向かおうとすればその場で叩き殺されるような雰囲気だったという。
「正直言うと、私だって死に場所を求めていたから、人のことは言えません。
でも茶々様は生きたかったはず。せめて、息子を生かしたかったはず。
ずっと怖かったはずです」
――みんなの期待が怖かった。
以前、大垣城の中庭で、三成は茶々から確かに聞いた。
「私は当初から、西軍の面々の間で彼女が再び神格化され、男たちに利用されるのが怖かった。
彼女が望んでいない方向に向かうのが怖かった。だから……夢殿に助力しました」
夢に他の野心があることも知っていたという。
また、夢という存在に強烈に惹かれたというのも確かだという。
「東軍領内では……茶々様は蛇のように疎まれ、西軍領内でも。
傷つくとは思わなかったのですか?」
「傷つくくらいだったらまだ良いかな、と。彼女を旗印に戦争が起きるほうが怖いですから」
全登は淡々と話した。
三成は別の質問を投げかける。
「掃部頭殿……『もぐら』の存在はご存知ですか?」
――果たして『もぐら』は明石全登なのだろうか?
三成としてはここで一気に解決したい。
「貴方方、執行部メンバーと呼ばれる上層部が内府とやり合っている間、執行部以外の者たちの間で緩やかな連帯が出来ました……それが、通称『もぐら』です」
いつぞや、島津豊久に言われたことがある。
『お前らがお城で遊んでる間に』と。
全登はオブラートに包んでくれたが、兵士達の認識は少なからずこうなのだろう。
「地表には現れずに、地下を這うように巡らせる、という意味で『もぐら』」
全登は垂れた前髪を直した。
『もぐら』は西軍の地下組織だという。
「貴方も『もぐら』の一員ですか?」
三成は核心を突く。
「いえ……でも、『もぐら』の中心人物は貴方もよく知っている人ですよ」
三成はハッとした。
「刑部なんですね」
貞慶寺で会合が催されることが多いという。
大谷刑部は頭巾をして頻繁に参加していたという。
三成としては悔しい。
地下組織を作られるよりも、選挙で意見を吸い上げたかった。
もっと公の場で議論を戦わせたかった。
でも、そういった意見を俎上に乗せる場がまだ無い。
男たちにとって、上からの命令は絶対命令。
議論を戦わせるのは戦国の世であれば御法度に近い。
なぜなら、兵士だから。
だから、意見のある者は非公式の場を求める。
でも……! 大谷ならば自分の思想を分かってくれていると思っていた。
「ずいぶんと前から……刑部様はなにやら画策しておいででした。
最新型火縄銃を盗んだのも、刑部様なんでしょうね」
「刑部が、なんで?」
三成は弾かれたように全登を見た。
「私は……貴方がけっこう好きですよ」
全登の頬には薄っすらとエクボが出来る。
「でも『好き』という気持ちと『信用できない』という気持ちは両立できる、とは思いませんか?」
「『好き』だったら、信用するけどな。俺は」
「貴方が大谷刑部を好きでも、無条件に信用して良いとは限らないでしょう。逆もまたしかりです」
三成は息を吐いて腕を組んだ。 納得はしない。
西軍の機密情報を持ち出して一体何になるのだ。
徳川家康に味方して何になる?
それに、大谷が茶々を裏切るはずがない。
「でも、大谷刑部しかいないですよ。あれだけ大規模な捜索をして、見つからないのだから」
見つかったのは東軍の間諜の証拠が三名。
盗まれた火縄銃は見つからなかった。
「貴方も……俺のことを信用できませんか?」
「出来ませんね。離反が多すぎる」
全登は即答である。
ストレートな言葉に三成は意外にも自分が大いに傷ついているのを感じる。
「でも、左衛門尉(真田信繁)が……貴方に懐いてましたね」
全登は話題を変えた。
「……懐かしいですね」
あの真田信繁の、人懐こい瞳が。
「左衛門尉がこの場にいたら、どうなってましたかね?」
全登の問いに頷く。
もちろん、大いに活躍してくれたはずだ。
名将・真田昌幸から戦をとことん学んだ男だった。
「掃部頭……貴方に付きっきりで死なないように忍びを付けていたかもですね」
戦だけでなく、人情も知る男でもあった。
「あと、とっくに内府の首を治部様に献上してくださったかも」
全登が歯を見せて笑った。
信繁は目的のためには手段を選ばない男でもあった。
「動機は分かりました……」
三成は深くため息をついた。
「処分は『切腹』ですか?」
「いいえ。死なないことです」
「……」
全登は押し黙る。
「貴方のような誇り高い人はすぐに死のうとする。辱めを受けるとスグです。
止めていただきたい。迷惑です」
三成は早口でまくし立てた。
「おめおめと生き恥を晒してください。耐えられないでしょうが、そうしてください。それが貴方に課せられた刑ですから」
長い期間の処分になると思う。
何もせず、ゆっくりと暮らすことに果たしてこの男は耐えられるのだろうか……。
「刑罰を全うせずに死んでも茶々様にヴァルハラ行きには選んでもらえませんよ」
三成は少しだけおどけた。
「夢殿は……可哀想な女だ」
全登が口元に手をやりながら言った。
「あの女を救ってやりたかった。もう、叶わないのでしょうが」
夢を想う気持ちは確かに全登の中にある。
三成はヒシヒシと感じた。
「貴方なら……救ってやれるかも。あの女は高邁な思想を持っているから貴方とは気が合うと思いますよ」
確かに揖斐川深瀬も、夢は決して嫉妬心なんかで動いていたわけではなく、理想とする世の中のための革命を思い描いていた、と話していた。
「救いませんよ。俺はあんたを救うんだ。掃部頭……これからの世の中に、あんたみたいな人が必要だ」
三成は全登の腕を掴んだ。
「俺は、こんな性格だから離反も多いし、全体まで気が回らない。
兵士達の不満だって、めちゃくちゃあるだろうけど、さっぱり掴めていない」
三成は必死で訴える。
「あんたは将校の気持ちも下士官の気持ちも分かる。だから……死なれると、俺が困る」
明石全登は根っからの軍人である。
軍人は三成の最も好む人種である。
「死なないでくださいよ。夢なんかより、よっぽど俺が可哀想ですよ!」
「情けない……女と張り合うなんて」
全登は思わず笑ってしまった。
三成の言い草が哀愁を誘う。
「可哀想なのは俺ですよ! 親友には逃げられるし、俺のことなんて家臣ですら全く心配してくれないんだから」
「……」
「死なんでくださいよ」
正直、死ぬことはいつでもできる。
まずはそれ以外の選択をして欲しい。
「……はい」
全登はようやく頷いてくれた。
「……そのかわりその立派な髭を剃るっていうのは?」
「それだけは勘弁してください」
全登との面談は終わった。
火縄銃を持って行ったのが大谷刑部なのであれば、彼の離反の本気度合いは高いのだろう。
信じたくはないが……領内隅々まで調べ上げて出てこないのだから、時期的にも大谷刑部が持って行ったと考えるのが自然である。
三成は二の丸へ続くどんよりとした暗い道を雨に濡れながら足早に歩いた。




