第142話 食えない!
夢の短刀は太陽の光を受けて一瞬煌めいた。
派手な水音を立てて深い湖の底へ沈んでいく。
「痛い! 放せ!」
夢は凄まじい形相で叫んだ。
「ずいぶんと勇気があるんだな」
三成は細い手首を放してやる。
「……食えない男!」
夢は手首を擦った。
小さな肩が震えている。
「よく言われる」
「私を……殺すの?」
はたと湖の上に二人っきりであることに思い至ったようで、夢は唇を震わせた。
夢の命は間違いなく、目の前の男に握られている。
「まあ、確かに女が失恋のあげく、入水自殺するのはそう珍しいことじゃないわな」
三成は軽く笑いながら言った。
夢は身構える。
「軍人というのはな……夢。箝口令を敷かれたら絶対に喋らないものなのだ」
三成の目が異様に光る。
「明石全登ほどの軍人だったら……絶対に銃の紛失の件は口に出さない。
上から口止めされてんだから。
俺の顔を見てよっぽど、慌てたのだ。話題を逸らしたくて」
三成は夢の震えて歪む唇を見ている。
「それに無意識だろうが……全登は言っていたぞ。こんなことは、『男のすることじゃない』……男のすることじゃない、女なんだよ。犯人は」
三成の追求に、夢は目を伏せた。
「君しかいないんだ、夢。君だけだ。
揖斐川深瀬をあれだけ陶酔させることができるのも。こんなデマチラシを作ろうとするのも」
夢はボートの淵に突っ伏した。
肩を大きく震わせる。
「……茶々様が、羨ましかったの!」
涙声が静かな湖畔に響いた。
夢の黒髪がサラサラと彼女の肩口を覆う。
「貴方からも、みんなからも愛されて……羨ましかった!」
「夢……違うだろ。
そんな理由じゃないだろ? お前は俺を追い落としたかったんだよな」
三成は耳の裏に掻きながら面倒くさそうに呟く。
虫が飛んでくる。
夢は素早く起き上がって髪を整えながら胡乱げな瞳で三成を見つめた。
「性格悪いって言われない?」
「自分ではそう思わないけど……よく言われる」
三成は素直に応えた。
「夢、お前の誤算が生じたのは……まぁ、はじめからか……」
はじめから、夢の誤算は続いてしまった。
「まずは宇喜多秀家に取り入ろうとした。でも秀家は熊に惚れた。
意外だったろうな。お前からしてみれば。そこでまずはアテが外れた」
美貌の夢だったらけっこう自信があったに違いない。
「その後、目をつけたのが俺だ。でも、俺は誰もが認める朴念仁だから……上手くいかなかった」
三成は三成で、何とも言えない捉えどころの無さがあっただろう。
三成は自分でも恋愛には不向きであることは自覚している。
「お前は西軍の大将の嫁になるのが目的だろ?
そのためにはまずはこの俺を失脚させなければならない……だから、他の者に協力を仰いで俺を失脚させようと試みた。
成功したな。見事だった」
デマチラシの他にも、わざわざ大垣城まで出向いて、衆目を集めて三成を追い込んだ。
湖に気持ちの良い風が吹き抜ける。
傍から見ると牧歌的な午後である。
「茶々様を貶めて、取って代わろうとしたのも西軍内で自分の影響力を高めたかったからだ。どんだけ野心家なんだ? 君は」
実際、茶々よりも夢派……という人間が増えた。
「明石全登に白羽の矢を立てたのは、秀家が熊と会っている間、警護に付いてたのがきっと全登だったのだろう。
全登は人の良い男だから、最初はお前の企みには気づかずに、親身になってしまっただろうな」
三成はチラリと夢の表情を確認する。
憮然とした顔はかえってその美貌を引き立てている。
「きっと、画を習いたい、なんて言って揖斐川深瀬を紹介してもらったんだろう? 文字はお前が書いたのかな? 文才はなかなかだ」
揖斐川深瀬を巻き込んでからは、深瀬のツテを使ってデマチラシの作成にはすぐに取り掛かることができただろう。
「ペラ一枚だし、城下町にバラ撒くまでそう時間はかからなかっただろうな」
彫りも刷りも甘かったがそこは問題では無かった。
「どうせ、深瀬に家紋の入ったあの意味深な手紙を残して失踪させたのも、お前だろ? あの四人を……スパイ小説に準えたりなんかして、追っ手を撹乱させようとした」
揖斐川深瀬ははじめから何も怖がってなどいなかったのだ。
失踪したのも、夢の指示である。
「あの中に協力者である全登を入れたのは、彼が捕まっても良いと思ったからだ。
正義感が強すぎて、今後はあまり使えないだろうと判断したのだろう。
でも、捕まっても君の名前を出すことはあり得ない。彼はそんな男じゃない。
だから君は逃げおおせる」
巻き込まれた全登は『男らしさ』が仇になった。
抜けられない蜘蛛の巣に捕らえられる。
「明石全登にしても、揖斐川深瀬にしても、たとえ捕まったとしても、自分の名前は死んでも明かさないだろうと踏んで。
よっぽど君は自信があったんだな」
そのために、何を利用したかは大方想像がつくが……。
「褒めたいよ。女だてらに良くやった」
夢は唇を真一文字に結んでいる。
夢の完璧な美貌に難があるとすれば……その薄すぎる唇だろうか。
「徳川家康に嫁げよ。もはや、お前に選択肢はない。そうだろ?」
夢はボートの底を見つめながら、真剣な瞳で呟く。
「それだけは……イヤだ」
「なんだ!? このまま、湖を泳いで帰りたいのか?」
三成はボートの淵を蹴飛ばす。
ボートが大きく揺れたので、夢は悲鳴を上げて淵にしがみついた。
夢はたまらず三成を睨みつける。
「言っちゃなんだが……お似合いだぞ。お前と内府は」
まさしく腹黒い徳川家康には夢はうってつけである。
「内府の側で、おとなしくするんだな。徳川家康はお前の性根が分からないくらい愚かな男じゃないぞ」
「私が家康と組んだら……おっかないと思わない?」
夢は掠れた声で話す。
「思わないね……君は分かりやすいから。内府を憎んでるようだし。
お前に内府を騙し通せるほどの力があるとは思えないしね」
湖の辺で、左近が心配そうにこちらを窺って待っている姿が小さく見える。
「かわいそうだ、とは思う」
三成は夢に向き合った。
「俺ら男が悪いのだ……お前をそこまで駆り立てたものが何だったのかは知らない。
けど、女はいつでも……哀れなものだ」
夢は不敵な笑みを浮かべた。
三成の顔を憎しみを込めた目で睨みつける。
「フン、勝ったつもりでいれば良いわ」
「その憎しみを内府に向けろよ! 内府の寝首をかけるのはお前だけになるのだから」
三成は左近の元へ戻るためにボートを漕ぎ出す。
「そしたら、俺が娶ってやっても良いぜ」
「ほざけ! 腐れ下郎が!」
鼻にシワを寄せて夢が悪態をついた。
「フフフ……そうやって、正直な方がよっぽど魅力的だぞ」
夢は湖岸に着くと疲れた表情で、体育座りをしている。
「明石全登殿はどうされます?」
左近が小声で三成に尋ねた。
「チラシの作成には関わってないと思う……ただ夢を大垣城まで運んだり……資金の出どころは掃部頭(全登)なんだろうな……」
三成は深いため息をついた。
「事情を聞いてみてからだけど……死人が出たわけでもないし、謹慎処分かな?」
大坂の陣の英雄を処分するとなると、けっこう難しい。
何の咎なのか公表するかも含め考えなければならないだろう。
夢の一連の仕業で息子の信吉が被害に遭ったのだから左近は納得いかないだろうが。
そう心配を口にすると、左近はゆるゆると首を振った。
夢に対しても全登に対しても、左近は重い処分を下したい訳ではないらしい。
「結局『もぐら』は明石全登殿だったわけですかね?」
「さぁ……『もぐら』が本当にいるかどうかも、もはや分からんな」
揖斐川深瀬のハッタリかもしれないし、小早川秀秋お得意のデマカセなのかもしれない。
三成は湖に陽が差し掛かる光景をジッと見つめる。
「夢はどうでした? 承服しましたか?」
左近は最も気になっていたことを尋ねた。
「泣いて喜んでたよ。内府に嫁ぎたいって」
三成はとぼけた表情で応える。
「殿……いつか、ホントに刺されますよ」
左近は主君のある意味、手段を問わない無節操さにこれ以上の言葉が出ない。
三成はくるりと振り返り、胸の前で指を組んだ。
「左近! その時は守ってね♡」




