第141話 デッサンがなってない!
「嘘でしょ?!!」
茶々が大きな瞳を見開いた。
「いや、それが本当なのですよ。あの島津義弘と甲斐姫が……」
三成は食事を終えたトレーを横に置いてニヤリと笑った。
意味ありげな視線を茶々に送る。
「絶対に嘘! 無いよ、無いって」
「それが、あったらしいですよ! な、左近?」
左近は腕を組んで二人をテーブルの脇から見下ろしている。
「なに、下世話なゴシップで盛り上がってるんですか? 情けない……」
既に昼過ぎである。
食堂で茶々が一人でいたところを、三成は変装用の眼鏡をして近づいた。
茶々が異様に元気がないオーラを出していたので、『静養中』の三成はマズイとは思いながらも思わず声をかけてしまった。
茶々は夢の件で三成のことを多少怒ってはいたものの、ゴシップを話すと途端に瞳を輝かせて食いついてきた。
「まあ……私もゴシップには事欠かないのだけどね……」
「何かあったのですか?」
左近は小声になって、周囲を見渡す。
バレバレの変装をした三成と茶々を遠巻きに眺める男たちの視線とかち合う。
男たちは視線を逸らした。
「これ……」
茶々は懐から一枚の紙を取り出して、テーブルの上に広げた。
花嫁のウェディングドレスをビリビリに破いて奪い、泣いている花嫁を足蹴にしている蛇のような女が大写しで描かれている。
「これは……酷い」
三成は唸った。
そもそも熊のウェディングドレスを仕立てたのは茶々である。
茶々は裁縫の才がある。
婚礼に間に合うように夜通し縫ってドレスを完成させた。
茶々の縫った真心のドレスは熊の体型にピタリと合っていた。
「それに……殿、この画、エスカレートしてますよ」
左近が眉間にシワを寄せる。
茶々はますます猛々しい顔になり、異様に大きな乳房が着物から溢れて剥き出しになっている。
素人臭いので、今回作画を担当したのは絵師の揖斐川深瀬では無いのだろう。
「こんな……酷い」
デッサンが完全に狂っている。
「こんな……乳が……タワワに……! どう考えてもおかしいだろ!」
紫電一閃。
三成の伊達眼鏡が吹き飛んだ。
次の瞬間、茶々は席を立っていた。
「イッテ!」
三成は左の頬を押さえている。
「左近は殿に同情しませんよ」
左近は呆れたように言った。
周りの男たちの歓声が上がる。
嬉しそうにガッツポーズしている奴までいる。
左近が睨みつけると、途端におとなしくなる。
「左近……俺はどうやったら人に恨まれなくなるのだ?」
三成がグズグズと呟く。
「修行です。人生修行が足りないのです。
殿の場合は何回か生まれ変わらないと難しいですね……」
左近は悟りを開いたような顔をして言った。
食堂は茶々が去っていよいよ閑散としてきた。
先ほどまで空を覆っていた雲が早い風に乗って追いやられ、清々しいような晴れ間が差している。
「さて……ヒマですね。殿、これからどうします?」
三成は『静養中』。
本来は食堂への立ち入りも禁止されているものの、向かいの席の主君はあまり意に介してないようだ。
「夢に会いに行く」
三成は曲がった眼鏡のフレームを直そうとしているが、難しいようで諦めてテーブルに乱雑に置いた。
「殿、左近は呆れております」
「まあ、そう固いこと言うなよ」
三成は苦笑いした。
「茶々様に振られたからって、すぐさま夢に、ですか?
いつか殺されますよ。いや、むしろ左近が責任取ってキチンと殺して差し上げます」
三成は反駁した。
「何だよ? 左近だって、夢は魅力的な女子だと申しておったではないか?」
三成はウェーブがかった前髪をわざとらしく撫でつける。
「夢だって、たまにはデートに誘ってやらないと。夢の癇癪玉が爆発して、俺の評判落ちちゃうだろ?」
「何ですか? そのときめ◯メモリアルみたいなシステム?」
左近は往年の名作ゲームを引き合いに出した。
◇
「夢、嬉しい! 治部様が誘ってくださるなんて!」
三成の腕に夢は縋り付いた。
伊吹山の屋敷からほど近く……湖があり、深 い緑色の美しい湖面を湛えている。
休日の兵士たちは、よく湖に遊びに来ては、魚を釣ったり、ボートを漕いだりして思い思いの時を過ごす。
いわばこの湖は兵士たちの保養所のようになっている。
夢は跳ねるような足取りで、三成の腕に白魚のような手を絡ませる。
三成は夢の手を取ってボートに乗せた。
「きゃっ」
ボートが少し傾いて夢の小さな顔が三成の胸に当たる。
夢は照れたように歯を見せて笑った。
この上なく美しい笑顔だった。
三成はボートを漕ぎ出した。
初夏の日差しが柔らかく二人の頭上に降り注ぐ。
緑色の湖面がキラキラと輝き、青々とした樹木が風に煽られて揺れている。
ボートを加速させると心地良い風が一気に吹き抜けた。
三成は湖のちょうど真ん中辺りで漕ぐのを止めた。
ここから見える世界は、まるでこの世の美しさを凝縮したかのような絶景だ。
「俺の……どこが好きなの?」
この世界には夢と自分しかいない。三成はそんな幻想に駆られる。
「いや……一度も聞いたことなかったかなぁと思って」
ちょっと小首を傾げた夢に三成は遠慮しながらも尋ねた。
「出来れば……後学のためにも教えて欲しいかなって……」
夢は細い指を小さな顎に当てている。
「強いて言うなら……」
「強いて言うなら???」
夢は微笑んだ。
「徳川家康に対抗できる唯一の男だからでしょうか」
夢は照れくさそうに黒髪を耳にかける。
長い髪が風を受けて、キラキラと輝いた。
――美しい女というのは、毛髪の先まで美しいのだな。
三成はぼんやりと思った。
「ほら? 愛なんて、理屈じゃないでしょう♡ 治部様♡」
「なるほど……」
三成は一瞬真剣な顔になって、夢に顔を近づけた。
手で夢の頬から唇にかかった髪を避ける。
夢の瞳は吸い込まれそうなほどに光った。
赤い小さな唇が微かに開く。
「夢……君は、一体誰だ?」
夢の瞳が驚きの色を浮かべる。
「夢……お前、一体何者なんだ?」
夢は懐の短刀を抜いて、三成の首元目掛けて飛びついた。
三成は躱して、夢の手首を強引に掴む。
ボートの淵に夢の手首を叩きつけて、短刀を湖に叩き落とした。




