第140話 言葉にできない!
「その店、ボッタクリですよ」
「えっ?!」
秋葉原である。
大通りの交差点から少し入った電気街に安藤がネットで見つけて入ろうとした店はあった。
安藤は唾を飲み込んでから言った。
「ハードディスクなんですけど……」
「それだったら、ウチでもやってますよ」
今時、牛乳瓶の蓋のような眼鏡をかけた人物と先ほど来から会話している。
小柄で、髪をひとつで結んでいる。
声は高いが、女なのか、男なのかすら分からない。
清潔感が無く、しっとりとした黒い髪が束になっている。
「じゃ、じゃあ、お願いします!」
意を決して安藤がハードディスクを委ねた。
「アザース!」
雑居ビルの細い外階段を上がっていく。
安藤も慌てて付いていった。
ひとつ結びの人物はカウンターに入ると、安藤に向き合って黄色いエプロンに名札を付けた。
『八十島穂積』と書かれている。
「アザース! 担当の八十島でぇす!」
「よ、宜しくお願いします……」
一抹の不安がよぎる。
「中身は何スか?」
「昔、作られたゲームなんです。パスワードが分からなくて……」
「ゲームのパスワード?」
通常、ツ◯ール製のゲームを起動する際にパスワードを設定することはほとんど無い。
主人公などの名前を入力するイベントコマンドを利用して設定する方法も無いわけではないらしい。
「中身が壊れてるわけじゃないんスか?」
「うーん……中身も壊れてるかもしれません。出来れば解析もお願いしたいです」
八十島はちょっと首を傾げた。
「ま、見てみますね」
しばらく店内で待っているとカウンター奥から奇声が聞こえた。
「うっひょ~お客さん! これ凄いッスねぇ!」
「はい?」
「これ……独自の進化を遂げちゃってるよ!」
相互変換モジュールを使って書き換えられているらしい。
その情報量が膨大なようだ。
「なんとも言えないけど、これひとつが所謂生命体みたいっつか」
八十島は妙な動きで小躍りしている。
安藤が全然乗ってこないので、八十島は照れくさそうに咳払いした。
「とにかく、時間がかかりそうだから……」
八十島は預かり票を書いている。
「文字、すっごい上手ですね」
「書道五段なんで!」
八十島は自信満々に言い切った。
「岐阜? お客さん、岐阜から来てんの? はぇ~!」
安藤は住所を記入しながら愛想笑いをした。
苦手なタイプだ。
「どのくらい……料金かかりそうですか?」
「うーん……成功報酬だから」
八十島は周りを確認して、小声で言った。
店長らしき中年のエプロン姿の男は奥の部屋にいる。
「格安でやったりますよ」
八十島は厚底眼鏡の真ん中を押し上げた。
「そのかわり、この中身が一体何なのか、外的事情を教えてくださいねぇー!」
◇
秋葉原から調布に移動中の電車の車窓に小粒の雨の痕がついた。
勘伝久仁彦に会う日はまた雨である。
久仁彦は玄関を開けて安藤の顔を見ると無言で彼を引き入れる。
「勘伝先生……どうされましたか?」
「……」
久仁彦はグレーのグラデーションの付いたハガキを安藤に見せる。
「なるほど……ご友人の杉山さんは本当に亡くなられていたんですね」
安藤は明らかに憔悴している久仁彦になんと声をかけていいか分からない。
「丸二年、行方不明だと……そうなるわな。しかも戦地で」
久仁彦はぞんざいに言う。
埼玉で県議会議員をやっていた杉山光男の父親からは、彼が行方不明になってから連絡があり、日本の外務省から聞いていた話を久仁彦にも共有してくれていた。
ただ父親も現地での杉山の動きを詳しくは知らされていなかった。
何でも政府が関わっていたので、機密情報だったらしい。
遺体が無いので、『認定死亡』を受けるにはかなりのハードルがあったものの、杉山の母親の憔悴が酷く父親は区切りとして苦渋の決断をした。
死亡日も便宜上五月にしたが、これすらも詳細は不明である。
「お茶、淹れてくるから」
久仁彦はブルーのパジャマにくすんだ赤の上掛け姿である。
フラフラした足取りで隣の台所の長い珠ノレンを潜る。
「あ! お構いなく……」
柱時計がボウッと鳴った。
時計はちょうど12時を指している。
「お昼時に……お伺いしてすみません」
客間の窓を雨が叩いた。
先ほどから雨は勢いを増して、時折強い風が窓を叩きつける。
突然、安藤のテーブルの目の前に四角い紙が放り出された。
四角い紙の向こうから、正面を向いた若い男の顔が見つめてくる。
端正な顔立ちのアーモンドアイ。
「治部さん……これ! 治部さん!」
安藤は叫んだ。
「写真、それしか無くて。財布に長い間入れてたから」
「……」
「他にも写真は撮ったんだけど……この男、フザケてばかりだったから変顔ばっかりなんでね。
卒業アルバムくらいしかまともに写ってるの、無いんだよ」
久仁彦は自虐的に笑って、安藤の前に湯気の立ったマグカップを置いた。
「長いこと、切り取って財布に入れてたから。御守り」
久仁彦は定位置であろう、自分の一人掛けソファーに包まりながら膝にブランケットを乗せた。
「家族葬にも行ったよ。この前……杉山のお父さんに呼ばれたから。
そう言えば遺影も、なんだかピントがボケてて大昔の写真だったな」
喪中ハガキで杉山の死を知ったわけではないらしい。
柱時計の針が進む音が響く。
久仁彦は顔を伏せた。
「……こんなはずじゃなかったんだけどな……」
マグカップを持つ長い指が震えている。
「こんな気持ち……墓場まで持ってくつもりだったのに、あんた方が来ちゃうんだもん。ホントに参ったよな……」
久仁彦は細い肩を震わせた。
「なんで来たの? なんで……」
安藤は答えられない。
何かに導かれた、としか言えない。
「オダツは……深刻なんだよね。オダツ……俺のせいなんだ。杉山とオダツが結ばれなかったのは、俺のせい」
久仁彦は言葉を詰まらせながら話す。
「俺は……学生時代に作家デビューして……華々しくデビューしたのに……でもどうしても二作目が書けなくて……精神的に病んで……」
杉山と篤子がゲーム研究会の部室で見つめ合う姿を思い出す。
篤子の若い笑顔が弾けて、杉山はそれを愛おしそうに眺めていた。
「あの時……オダツと杉山が結ばれてたら、俺の精神は持たなかった。だから二人は……二人は凄く優しかったから……!」
手を握り合っていた。
隣の治からは見えなかったのだろう。
あの時の衝撃をいまだに忘れることは出来ない。
薄々はわかっていたのに、久仁彦が感じた痛みは簡単には消えなかった。
「優しかったから!俺が命を絶つんじゃないかって怖くて……二人は怖くてお互いに距離を取ったんだ。想い合ってたのに、俺が……俺のせいなんだ!」
久仁彦の頬を涙が伝った。
「オダツは家族のこと、お袋さんとのことで悩んでいて……いつも泊まりに来ては夜通し話して、励まし合ってた。
そんなオダツとも俺は卒業後は一方的に距離を置いて、拒んで、無視して……あんなに、優しかったのに!」
電話もメールも。
久仁彦は篤子の連絡に返答することは無かった。
最後のメールを思い出す。ひと言。
『私、もう、長くないみたい』
返事はしなかった。
怖くて出来なかった。
「あんなに、助けを求めてきたのに。あんなに……たった一人の親友だったのに……!」
久仁彦は大きく肩を震わせて伏せた。
自らの膝を骨ばった細い手で打つ。
「僕は、なんで貴方の作品に心惹かれたのか、今ようやく分かった気がします」
安藤はポツリと言った。
傍若無人で皮肉屋。
でも勘伝久仁彦の書く小説には人間への止め処ない愛が溢れていた。
「勘伝先生、本当にすみません……そして、ありがとうございます。正直に話してくださって本当にありがとう」
安藤は頭を下げた。
久仁彦はそれを見ないで静かに泣いている。
「茶々様は僕が救いますから。貴方のことも、僕が救いますから。
絶対に約束しますから」
安藤は独り言のように呟いた。
四人が抱えた言葉にできない痛みを取り除いていく旅なのだ。
「……あの世界が何のための世界なのかも……僕は今、ようやく分かった気がする」
――茶々こと早瀬篤子を救う旅なのだ。
これは、まぎれもなく篤子の物語なのだ。
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