第139話 ひとりしかいない!
「殿! 揖斐川深瀬が見つかりました!」
左近が廊下を走って知らせてきた。
なんでも、深瀬は若衆茶屋の伊三郎のところにのこのこと顔を出して、張っていた平塚為広の部下に敢え無く捕縛されたそうである。
「そうか……この事件、案外早く片付きそうで良かったな」
三成は顔を洗ってさっぱりしたところである。
静養中とは言っても、早く大谷刑部離反の件について本格的に取り掛からねばならない。
そのためには、デマチラシの事件は早めにとっとと解決せねばならない問題だった。
三成は伸びをしながら、揖斐川深瀬が収監された取調室に赴く。
左近は先に取調べの準備をしてくれていた。
「何だ? なんの取り調べだ?」
途中、小早川秀秋が目を輝かせて格子に歩み寄る。
「いっちょ噛みしてくんなよ」
ウンザリしたように三成は応えた。
「ヒマなのだ……」
秀秋が恨みがましい目線で訴える。
「自業自得だろうが」
三成は一瞥して廊下を奥へと進んだ。
平塚為広が取調室の前にいた。
軽く労いのアイコンタクトをして、部屋に入る。
揖斐川深瀬は小柄な優男であった。
鼻が高く、花粉症なのか、たまに布で鼻を拭った。
「何も話さないよ」
深瀬は腕を組んで目を瞑った。
不遜な態度である。
三成の隣で左近はニコニコしている。
ダァァァン!
突然、左近は自身のデカい拳をテーブルに叩きつけた。
「ヒィ! おっかねえ」
深瀬が飛び上がってびっくりする。
「知らねぇとは言わせねぇぞ!!!」
左近が廊下中に響き渡るような声で怒鳴った。
巻き舌がヤクザ顔負けでおっかない。
三成は逆に黙って、茶々が描かれたデマチラシを丁寧に広げた。
深瀬を下から睨めつける。
「言論の自由ですよ……権力者は公人でしょ」
深瀬は悪びれることなく、堂々とした態度で言い張った。
「民衆には『知る権利』もあるでしょ」
深瀬は挑むような目つきで口を尖らせた。
「『知る権利』ったって、売るために嘘を流布しちゃダメだろう」
三成は諭す。
「売って利益は得てないですよ。罪に問えなくないですか?」
深瀬は反駁した。
チラシを売って収益を得たことは無いという。
「権力者の非を面白おかしく風刺するなんて……あんたが目指す自由で平等な社会ってやつでは当然なのでは?
こうやって権力者自ら弾圧するなんて……全く持って戦国時代さながらですねぇ」
深瀬は大胆にも少し笑った。
不揃いな前歯がのぞく。
「嘘の流布は、たとえ利益を得ていなくても立派な犯罪になる」
三成はチラシを指で複数回叩いた。
「刑法の信用毀損・偽計業務妨害・名誉毀損の罪に該当するぞ」
増田長盛と膝を突き合わせて『刑法』をまとめていた甲斐があった。
「ましてや……茶々様や島信吉は公人とは言えないだろ? 傷つくと思わないのか?」
三成としては深瀬から反省の態度を引き出したい。
そうじゃなきゃ、茶々や信吉が可哀想である。
「やってることが非道なんだったら……描くだけさ。
女だから、加減しろなんて言いたいのかい?」
深瀬は意に返さない。
「お前……茶々様が小早川秀秋に対して、本当にあんなこと言ったと思ってるのか?
金吾が収監されてから二人は実際に会ったこともないんだぞ」
ましてや関ヶ原に飛ばされてから、小早川秀秋と茶々が直接顔を合わせたことは無い。
佐和山炭鉱セレモニーの時は、秀秋は腹痛を訴えて欠席だった。
実は仮病で、その間、秀秋は長宗我部盛親を襲っていたのだが。
深瀬は目を伏せる。
まつ毛が細かく震えている。
不遜な態度とは裏腹に怖いのだろう。
「島信吉が……本当に親父の権力を振りかざして惣次郎に迫ったのか?
そんな事実が無いことはとうに、知っているのではないか?
かわいそうに。若い信吉は、あれから塞ぎ込んで部屋から出られずにいるのだぞ」
三成は左近の横顔を見た。
左近は唇を噛み締めている。
信吉は幾分、元気にはなったもののいつもの本調子とは程遠い。
「こういったデマが命を奪う可能性だってあるんだ。
言論弾圧だなんて、己だけ被害者ぶるのはダサいぞ」
「……文章は俺じゃない。俺は挿し絵を依頼されただけだ」
深瀬はあくまで逃げ切るつもりらしい。
「それに……文章は本当だと思ってる。あの方が俺に嘘をつくわけがない。
あの方は……怒っていた。あんたらの非道なやり方に涙を浮かべて憤ってた」
三成の目が鋭く光った。
「あの方? あの方ってのは誰だ?」
「……死んでも言わない」
深瀬が不敵な笑みを溢す。
「たとえ拷問されても、言わないよ。あの方に忠義を誓ったんだ」
深瀬は前のめりになって、三成の顔をのぞき込んだ。
「あんたも、男は忠義のために死ぬべきだと思うだろう?」
「忠義の種類によるな。忠義と言っても盲目的に主君を信じているだけでは忠義とは言えまい」
主君が間違えていたら、戒めるのもまた忠義である。
自分だって、秀吉には随分諫言してきた。
晩年は……全て撥ねつけられるような状態だったが。
「あの方は……けっして嘘をつかない」
「嘘なんだよ。全て」
三成は断言する。
「嘘じゃない! じゃあ、あんたに関する記事まで嘘だってのか?」
三成は目線を上にやった。
『政権交代カウントダウン!』といった三成に関する記事は……まぁ、嘘とは言えず一般的に許容範囲内である。
公人だし。
「俺は……あの方を信じる」
深瀬は思い出を噛み締めるみたいに話す。
「あの方の眼差しは……美しい。正義を成そうと爛々と力強く燃えている。
誇り高く勇敢……あんなに本気でこの世の中を変えようとしている人はいない。
俺は死ぬまであの方を信じる。何を言われても俺が心代わりをすることは無い」
三成は小さくため息をついた。
深瀬は罪に問われたとしても、反省することも改心することもないだろう。
盲信した人間には……たとえ正論を話しても、エビデンスを示したとしても、自ら目が覚めるまで響くことは無い。
揖斐川深瀬は平塚為広に手に縄をかけられて、取調室を出ていった。
「これで、やはり、犯人はひとりしかいないな……」
深瀬の背中を見送ったあと、三成はため息交じりに言った。
「もう既に分かったので?」
「たぶん……」
既に犯人が掴めたらしく、三成はデマチラシで折り鶴を折りはじめる。
スルスルと器用に紙を畳んでいく。
最後に息をかけて膨らませた。
美しい出来栄えである。
「左近は?」
「あの口ぶり……思わず深瀬が心奪われるような眼差しが美しい人なわけですよね。ということは……」
左近は大きな手を口に当てて探るような目つきで主君の横顔を見た。
「島津義弘様?」
あの四人の中で、島津義弘以外は無骨で男らしいので、深瀬の使った『美しい』という表現はそぐわない。
三成がテーブルに頬杖をついたまま、視線だけ左近に寄越した。
「左近って、たまに面白いこと言うよね?」
「な、何ですか? そのさも人をバカにしたような顔は?」
左近は三成の表情がとてつもなく頭にくる。
「いや……ちょっと……面白いなって、ごめん。左近」
三成は肩を震わせて笑い出した。
左近の太い二の腕に手をかけて顔を伏せて笑っている。
「なんなんですか? マジで? 本当に殺したい! 主君といえども殺したい!」




