第138話 ただものじゃない!
「あら? 左近様?」
夢は左近を見ると少し怪訝な表情を浮かべた。腕には三味線の袋を抱えている。
「どうも……夢にご用?」
帰り支度をして、伊吹山の屋敷に帰るところである。
夢の帰りのお伴は宇喜多秀家が用意した。
因みに秀家と熊は、城ではなく、これからは城下町に屋敷を構えることとなる。
「婚礼の儀の準備のために、早めにお城にいらしてたのですかね?」
「……」
夢は曖昧な笑みを浮かべる。
「どなたが……貴女をこの城にお連れしたのか聞きたくてね」
左近は鋭い目線で夢の白い顔を見つめる。
「先に、我々に言ってくれれば、あのような混乱は無かったのに」
三成の部屋の前。
大勢の人の目の前で醜態を晒してしまった。
「言えば治部様にお会い出来なくなる。そうは思われませんか?」
夢は微かに震える長い睫毛を伏せる。
「貴方様が真っ先に反対なさるでしょ? 左近様」
夢は唇を噛んだ。
「何が目的ですか?」
「目的……? 目的とは?」
夢は瞳を見開いて左近の顔を見上げた。
美しい眼差しを間近で見ても、左近の厳しい表情は変わらない。
「左近様は女というものをわかってらっしゃらないのね」
夢はフッと微笑んだ。
「女というものは愛のためなら死ねるものなんです……かわいそうで、いじらしくて。そんなものなの」
頬を寄せるように左近に少し近づく。
左近は女の体温を感じる気がする。
「ご理解いただけないのかしら?」
「理解し難いですね」
左近は夢から少し離れた。
「殿は……小さい頃から寺に預けられたので、今で言う男子校出身みたいなものです」
「はぁ……」
夢は小首を傾げる。
「その後だって、宇多様とご結婚するまで周りはそれこそ男だらけですから!
だから! 貴女のような、臈長けた美女に押されたらコロッと簡単にイカれちまうのですよ! 本当にコロッとね」
「フフフ」
「おかしいですか?」
「あの方は簡単にはコロッとはいかないと思いますよ。左近様、心配のしすぎです」
夢はイタズラっぽい笑みを頬に浮かべる。
「わかってます。恋愛結婚なんて……そんなもの、この時代にきっと叶わないのね」
夢の瞳は少し潤んで、キラキラと輝いた。
「夢も……そういった経験をしてみたかった。要するに殿方から見ればただのオママゴトね。
だって、いつだって運命は殿方がお決めになる。そうでしょ?」
「……」
「夢に選択権はありませんわ……だって、きっと夢は徳川家康に……」
夢は少し眉を顰め苦悶の表情を浮かべる。
「茶々様と違って……夢が家康に嫁いだら護ってくれるものなど何も無い。
夢はただ狭い鳥籠に押し込まれるだけ。夢には命の保障すら無い」
夢は小さな赤い唇でため息をついた。
「だったら……少しくらい殿方の心を引っ掻き回しても、バチは当たらないでしょう?」
夢は左近の分厚い胸板を華奢な指で押す。
「左近様も……引っ掻き回しましょうか?」
「マズイな」
左近は驚いた。
見た目は若くとも、もう自分は壮年を通り越して老年の域である。
なのに……この小娘に思うがままに翻弄されている自分に気がつく。
「どなたが……連れてきてくださったかは、お答えできません」
夢は困ったように肩を左右に揺らした。
「夢はどなたか、知らないのです。
夢が伊吹山の屋敷を着の身着のまま出て行くと、知らないお武家様が通りかかってお馬に乗せてくださったのです」
「ど、どんな特徴の男でしたか?」
「さぁ……頭巾で顔を隠されていたので、分かりませんわ」
「大柄でしたか? 小柄? ヒゲは?」
「さぁ……お馬から一度も降りられなかったから……体格はよくわかりません。
でも、色白で……おヒゲは……どうだったのかしら?」
突然、夢は左近の胸に縋り付いた。
「左近様……きっと、夢は家康のお城で毎日泣いているわ」
夢の指がワナワナと震える。
「夢は……本当は行きたくない。どうしても、ここにいたい。夢のささやかな望みは本当に叶わないのかしら」
夢は左近の胸の中から左近の顔を見上げた。
「治部様を説得してみてくださいな。お願い♡左近様♡」
「……アレはマズイ」
左近は夢と別れて独りごちる。
あのような女は世界中探してもおそらく居ない。
滅多にお目にかかれない。
三成に近づけてはならない。
女色に溺れていとも簡単に破滅するだろう。
左近はひとり背中をブルブル震わせた。
◇
「どうなってんの?!」
「何がですか?」
「何がじゃないでしょ? 大谷刑部はなんでこんなことになってんの?」
長束正家に詰められているのは戸田内記である。
内記の傍らには戸田勝成と渡辺勘兵衛が控える。
揖斐川を挟んで東軍陣地――城普請の場所には大谷刑部の家紋・対い蝶紋の幟旗がはためいている。
「知りません。なんで僕が知っていると?」
「だって、治部の名代でしょ?」
「知りませんよ、そんなの」
内記は顔を伏せてあくびを噛み殺した。
朝から石田家家臣団に叩き起こされ、家宅捜索を受けた。
何を探しているかは言えないが、かなりの人数をかけて一気に城下町の屋敷まで大規模に行われたらしい。
もっぱら……間諜の炙り出しが目的との噂であった。
いきなり石田治部の名代と言われても、頭にハテナマークが浮かぶ。
――なんで、自分が?
普通ならば、せめて父親の戸田勝成だろう。
ところが、勝成は息子の晴れ舞台だと感じたのか、ホクホク顔で満足気な表情を浮かべている。
「よ! 名代! サマになってる!」
勝成が掛け声をかける。
ただの親バカである。
渡辺勘兵衛がそんなフワフワした状態の親子に複雑そうな視線を送る。
不安すぎて、今日学校で与田真佐人とすれ違ったので、シンクロしてもらおうと頼んだ。
近くにいてもらおうと考えたのだ。 しかしながら……それは不可能だった。
早瀬家の人間以外は今のところ『シンクロ』出来ないようだ。
長束正家はこれ見よがしに大袈裟なため息をついた。
今のは何かしらのハラスメントになるのではないかと、内記は思う。
「坊っちゃん、ちょっとよろしいですか?」
低いダミ声が後ろから聞こえてきた。
振り返ると黒田長政が藪睨みの目で内記の顔を見つめている。
「坊っちゃん……ちょっと、こっち」
長政は手招きして、急拵えの帷幕の内に引き入れる。
「今朝の家宅捜索って、何が目的だったのですか?」
長政は扇子を開いて口元を隠しながら話した。
「さぁ……」
「……ホントに何も知らないの?」
「うーん……」
「あの人が謹慎になってから、全く情報が降りてこないのですよ。
堀靱負も、おいそれとは勝手に動けないし」
長政は眉をハの字に曲げた。
三成の秘書の堀靱負は長政の元間諜である。
「『謹慎』じゃなくて、『静養』です」
そうでしたっけ? と長政がどっちでも良いことのように呟く。
「お母さんには、お父さんのこと、話したの?」
「いいえ……特には」
お父さん――こっちでいう大野治長が西軍陣地に来たことを茶々には言えないでいた。
「話した方が良い。だって、この世界はあんたら家族の問題が大きいから」
長政は大野治長に帰りの途々でいろいろ聞いたようだった。
「プレイヤーの望みは何でも叶うんだよね」
「そうなんですか?」
「金吾の受け売りだけどね」
長政も小早川秀秋から聞いたから、定かではない。
そもそもソースが危しい。
「今まで、なんか叶った?」
藪睨みの目が内記の頬を捉える。
「ええっと……そうですね……天気が」
「天気?」
「ええ。雨が降らないかなぁっと願ってたら雨が降ったり、止まないかなぁって思ったら」
「止んだりするの?」
「タイムラグがあるのですけどね」
長政の藪睨みの目の奥が光った気がした。
「それって……もしかして、プレイヤー全員が同じこと願ったりすると、叶うんじゃないの?」
「えっ?!」
そうか。
今までバラバラなことを願ってたから、プレイヤーの願いは叶わなかった。
「全員が、お母さんを現代に戻したいって願えば叶うんじゃない?」
なるほど。
やってみても良いかもしれない。
――でも。
「お母さんが……願うかな? お母さんは……帰りたくないと思う」
「どうして?」
「お母さんは病気だから。身体がひどく辛そうなんだ」
「よく……話し合ってみてよ」
長政は優しく諭す。
背の高い内記の肩をポンっと叩いた。
「それと、女の子……めちゃくちゃ降らせてよ」
「……」
「雨とかより、女の子降ってくるべきでしょ。異世界転生なんだから。
異世界転生でも、今のところ、この世界、良いとこ一つも無いじゃない」
「はぁ……」
「何も、自分が女に興味があって、どうしてもってわけじゃないよ。
ただ……混沌とし過ぎでしょ。この世界」
長政はひとりで頷いている。
内記の顔を藪睨みの目で見上げた。
「坊っちゃんも、ハーレム作っていいからさ。頼むよ」
絶対にこの世界に女の子を降らせることは無い。
内記はそう固く心に誓った。




