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第136話 飛ぶ夢を見ない!

「なに、勝手に出歩いてるんだよ?」


 増田長盛は、執務室前の廊下で三成の姿を認めると軽く睨みつけた。


 三成はデマチラシを長盛に渡そうとする。


 チラリと目を通すと、長盛は三成にすぐさま返した。


 長盛は歩きを止めない。


「今は、それどころじゃない……!」


 長盛は普段は気のいい物腰の柔らかな人間だが、言葉が荒くなってくる時がある。


 今がその時。


 完全にキャパオーバーである。


 家康が伊吹山奪取を見据えて揖斐川の対岸に東軍側の城普請を始めたことと、最新型火縄銃の紛失が重なったことが原因だろう。


「何で、この俺に報告が無いのだ?」


 三成は火縄銃の紛失に関して長盛をなじった。


 静養中とはいえ、西軍全体にとって由々しき問題である。


 報告があってしかるべきだ。


「伊奈図書や他のみなにも、おぬしへの報告はワシが口止めしてたからな……」


「なんで?!」


 増田長盛は急に立ち止まって振り返った。


「大谷刑部が東軍で動き回っているのを知らないとは言わせないぞ!」


 長盛は口角泡を飛ばす勢いで言った。


「おぬしらが何を考えているかは知らないが……ワシにとっては不穏な動きにしか見えないからな!」


 三成は長盛の勢いに肩をすくめた。


「……俺にだって刑部の動きはよく分からんのだ」


 二人は執務室に入った。


 まだ誰も来ていない。


 初夏の木漏れ日がダークブラウンの執務室のテーブルに落ちている。


 三成は再びデマチラシを長盛に見せた。


「この画を描いた絵師……揖斐川深瀬というのだが……おぬしの家紋を紙に残して失踪したのだ」


 長盛は驚いて目を剥いた。


「ワシの家紋?」


「この揖斐川深瀬に心当たりはないか?」


 三成はチラシの画を人差し指で叩く。


「なるほど……おぬし、ワシを疑ってるのか?」


 長盛は歯を剥き出しにして笑った。


「俺がおぬしでも、疑うだろ?」


 三成は素直に認める。


「疑わないね。仲間だと思っているから」


 長盛も腕を組んで椅子に背を預けながら、チラシに目を落としている。


「思って()()、に訂正する」


 長盛は頬を数度、指で掻いた。


「バカバカしい! 何のために身を粉にして働いていると思っているのだ? おぬしのためだろう?」


「……俺のため、なのか?」


 三成は長盛の意外な言葉に唖然あぜんとする。


「おぬしのバカバカしい理想とやらのためだろう?!」


 長盛の太い指がチラシを握ってクシャクシャにする。


「もう、草臥くたびれた。好きにしてくれ。お前がやりたいようにやれば良い。勝手にしろ」


「そうやって……あの時も内府に味方したのか?」


 目の座った長盛は三成の顔をめつける。


 普段の人の良さそうな笑みから一変するから、はじめての者はそれだけで縮み上がるだろう。


「ほら、みろ。本音が出た。

 だから、今日は左近がいないのか。お前は相変わらず卑怯なやつだな」


 長盛は皮肉たっぷりの目線を三成に投げかける。


「家臣の前ではエエカッコしいだからな……こんな恨み言……聞かせたくないわな」


「いつか、本音で話し合わなければならぬ、と思っていただけだ」


 三成としては……長盛の本当のところが知りたい。


 こちらに飛ばされてきたから無し崩し的に味方をしているだけでは、長盛の頭脳はあまりに危険すぎる。


「お前が……大坂城の金蔵を開けてさえくれれば……『勝っていた』」


 三成は関ヶ原以前……味方へ引き入れるための調略や武器の調達などで、大坂城にたんまり眠っている金が喉から手が出るほど欲しかった。


「俺らは『勝っていた』んだ。仁右衛門! 勝利は目前だった。

 俺が何のためにちまちまと大坂城の金蔵に金を貯め込んでいたと思ってるんだ?

 あの時のためだろう? 乾坤一擲(けんこんいってき)……あの時に使わねばいつ使うのだ?」


 佐和山十九万石という小身ながら、東西を分かつ未曾有の大合戦まで漕ぎ着けた。


 あとは金さえあれば、もっと大胆にもっと自由に戦えた。


「ワシのせいだと言いたいわけだな」


「責めない」


「責めてるではないか!!」


「責めない……だから、今からはヤケを起こさずに俺に協力して欲しい」


 三成は長盛の目を真剣に見て訴える。


「言わせてもらえば……こちらにだって言い分はある」


 長盛の目は鋭さを増す。


「おぬしは、人気が無さすぎた。

 同情する部分もあるが……力のある大名は、みな徳川家康に取り込まれていったではないか……あの様子では関ヶ原は勝利してもいずれ豊家は崩壊した」


 一気にみなまで言わねば気がすまない。


「それに……のこのこと野戦に引き摺り出されるようじゃ、あの家康には勝てないぞ!

 佐和山を滅ぼしてでも、関ヶ原に出るべきじゃなかった」


「じゃあ、何でおぬしは……ここに居るのだ?」


 三成はポツリと言葉を溢した。


「デマチラシは本当におぬしなのか? やはり今回も内府に味方して、茶々様の足元をすくうのか?」


 三成の声は掠れた。


 長盛を見る目が爛々と燃える。


 机を思いっきり叩いた。


「俺のことはどうだっていい! 茶々様は護れよ! 豊家の家臣だろ? 男だったら! 今諦めてどうすんだよ!」


 長盛を疑いたくはない。


 ただ一番……疑わしいのはやはり彼である。


「自由というのは、良いものだ……」


 長盛は小声でそう応えた。


「お前のため、と言ったが……正確には違うな。やはり自分のため、なんだろうな」


 長盛は自嘲気味に話す。


 顔を両手で覆った。


「ここに飛ばされてきて、はじめて……自由に息が吸える気がする。

 泣いたり、わめいたり、ののしり合ったりしながら……自由を感じている気がする」


 関ヶ原以後、自由でいられるのは夢の中だけだった。


 夢の中では自由に青い田畑を飛び回った。


「このワシが……その自由を手放すわけがない」


 長盛は拳を顔の前で血が出るくらい握りしめて震わした。


「茶々様を誹謗して、何になる? おぬしのダメなところを喧伝けんでんして、何になる?

 ワシは……おぬしはワシを信用できないかもしれないが、関ヶ原以後を生きたワシは……ワシなりの地獄を見てきたのだ」


 類稀なる才覚を持ちながら、息を潜めて周りの視線をおそれ伺う日々を送ってきた。


 家康からはもう一生信用されない。


 厳しい監視の目は家族にも、家臣にも向けられた。


 何もせず……何も考えず……ただひたすらときが過ぎるのを待った。


 臆病な心でジイっと膝を抱えたまま、己の命が尽きるのを待った。


 それなのに、そんなにまで我慢したのに、次男はついに大坂に味方してしまった。


「出来うるならば……あの時、おぬしらと一緒に死にたかった! 死んでしまいたかった!」


 長盛は涙を流した。


 堪えようのない涙が手の甲を伝った。 肩が大きく震える。


「仁右衛門!」


 三成は長盛の肩を掴んだ。


「死ぬな! 死んではいかんぞ!」


 三成は長盛の顔を覗き込むように諭した。


「今度は先に逝かないから、仁右衛門も死んではならない……今度は勝とう!

 全力で立ち向かおう! 勝機は必ずある! 俺らでやってのけよう」


 たとえ光が差さない道でも、その先は続いているのだ。


 長盛の知恵という光があれば……今度はもっと上手くその先を進んで行けるはず。


「今度こそ、望むように生きよう」


 長盛の涙に嘘はない。


 三成はそう確信する。


 関ヶ原の記憶は、思ったより昏く、根深く、人々の心を押しつぶさんばかりに。


 誰しもが重い十字架を背負わされていたのだった。

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