第134話 かけがえない!
大垣城本丸の宇喜多秀家隊の白い『児文字紋』が強風に煽られている。
青空は高く、日差しが心地良い。
三成と左近は宇喜多隊の実質的指揮官・明石全登の元へ歩み寄っていった。
全登は難しい顔をして、立ったまま黒い手帳に万年筆で記入している。
「こんにちは! 掃部頭殿! お元気ですか?」
「あ! 治部様、左近殿! お久しぶりです!」
掃部頭こと明石全登はトレードマークの黒々とした口髭に人懐こい笑みを浮かべた。
「ご体調は大丈夫なのですか?」
三成の『静養』が発表されたばかりである。
全登が心配そうに声をかける。
三成は曖昧に頷いた。
「何をご記入されていたのですか?」
「風速です……風速を測って、火縄銃の飛び方をチェックしていました」
手帳をパラパラと三成に見せる。
毎日の天候と風速……そして、試射。
玉の飛び方を熱心に研究しているようだ。
火縄銃は特に天候に左右される。
雨が降った天王山の戦いで明智光秀の鉄砲隊が機能しなかったのは有名な話だ。
本丸の庭では20人ほどの宇喜多隊の面々が火縄銃を片手にフォーメーションの訓練をしている。
時折、本物の銃声が空高く響く。
本丸の風物詩となっている。
三成は懐から例のデマチラシを取り出した。
風で飛ばされないように、全登に渡した。
「……初めて見ました。酷いですね」
だいぶ広範囲に配られていると思っていたが、糟屋武則も全登もチラシの存在を知らなかった。
「城下町にはこのようなものが蔓延っているとは……由々しき問題ですな」
全登は濃い眉を顰める。
三成は全登の正義感に満ち満ちたこの双眸が好きだ。
全登はチラシを暫し見つめて三成の顔に視線を移した。
「このこととはおそらく関係は無いのですが……」
全登は濃い眉を顰める。
「ご存知ですか? 武器庫から火縄銃がひとつ消えたようです」
「え……?!」
三成は息を飲んだ。
左近も目を鋭くする。
「ここだけの話……雷管式の……最新型です」
未来(前世)で自衛隊に勤めていた者も多かったので、飛ばされた当初から火縄銃の改造には力を入れていた。
火縄銃は黒色火薬を使用する。
ライフリングのない滑空銃身で鉛の玉を使用することから、現代のライフルと比べると殺傷能力はそれほどでもないとされている。
が……口径が大きく、弾丸も重いため威力はデカい。
長距離での直進軌道が安定せずに命中率が低かったとしても、ひとまず当たれば命はない。
雷管式は日本では1833年に吉雄常三が製造に成功しているが火薬の調合時の実験で命を落としている。
あまりにも感度良く発火する火薬「雷汞」に硝石を混ぜて安定させるのは幕末の江川太郎左衛門の登場を待たねばならない。
雷管式が盗まれたとすると……西軍の安全保障を根本から脅かす重大事態で、ハッキリ言ってデマチラシの犯人探しをしている場合ではない。
但し……武器庫の鍵を持っているのも西軍のごくごく一部の人間である。
――もしや、この件と繋がっているのか?
デマチラシと火縄銃の紛失。
一連の流れが繋がっていることも否定できない。
「情報ありがとうございます」
伊奈図書からはまだ何の報告も無かった。
三成が表向き『静養中』だからだろうか。
「このデマチラシの挿し絵を描いていた者が、行方をくらませていて……貴方の名前が記されたメモを残していったのです」
三成の言葉に全登は目を瞬かせた。
「えっ?! それは……どういう……?」
全登の唇が少し震えた気がした。
「私が……このチラシに関わっていると?」
「いいえ! そういった訳ではないのですが……この絵師に心当たりがないかと……」
全登は目を細めながら、今一度、デマチラシの画をじっくり時間をかけて観察した。
「さぁ……申し訳ありません」
全登は微かに首を振る。
「殿(秀家)にも訊いてみましょうか?」
申し出に三成は肯定の意味で頷いた。
「……茶々様は……私にとってかけがえのないお方です」
全登はポツリと話し始める。
「信じてもらえないかもしれませんが……茶々様のためなら、この命いつでも捨てる覚悟です」
「わかっています。信じています」
三成は慌てて言った。
1615年――丸裸の大坂城――絶望的な闘いの中、知恵と勇気を振り絞って明石全登は茶々と秀頼を戴いて戦った。
己の全てを投げうち、己の全てを喪っても、残酷な刻の流れに抗った。
「こんな……卑劣な形で、彼女を貶めようなんて……男のすることじゃない」
チラシを持つ指に力が籠る。
「疑ってもらっても構いませんが……私が関与したことはありません」
「わかりました。掃部頭殿、ありがとう」
三成の言葉に破顔一笑。
安心したように全登は白い歯を見せた。
「わが主が、貴方とお話したがってます。後でぜひお部屋を訪ねてみてください」
宇喜多秀家の部屋の扉をノックすると、秀家が三成と左近の顔を交互に見て、嬉しそうに微笑んだ。
秀家は週末に熊との婚礼の儀をひかえている。
三成も婚礼の儀には出席予定であったが、『静養』が発表されたので実際に出席できるかは微妙だ。
「絶対に! 治部には出席してもらいたい!」
小姓が茶を運んで出ていった後、秀家は涙目で訴える。
「少しの時間で良いのだ! 治部に寿いでもらいたい!」
テーブルに置かれた三成の両手を子供のように掴んで離さない。
三成は苦笑した。
「少しの間であったら……顔を出します」
宇喜多秀家にとって三成はなんだかんだ言って親代わりである。
熊との仲を取り持ったのも三成だし、秀家が誰にも言えない弱さを吐露するのも三成だけである。
秀家にとって結婚式に出席してもらいたいのは当然である。
他の参列者がどう思うかは別にして。
「夢は……あれほど空気を読む女子はいない」
話題は巷で噂の夢に移った。
夢の存在感は日を追うごとに増している。
茶々を凌ぐ勢いで人々の口の端にのぼっている。
「私が熊に会いに行くと……ニッコリ会釈して席を外して、しばらくすると戻ってくる。
あれは世間で言われているようなワガママ女ではないぞ。
私にとっては……まるで可愛い妹ができたみたいなのだ」
秀家は静かに光を湛えた瞳を三成に向けた。
「治部……夢の想いを受け止めてくれないだろうか?」
秀家は手を離さぬまま、三成に訴えかける。
「万事に気を遣う夢が……そなたにだけ、夢中で甘えているのだ。
男として……気持ちに応えてやるわけにはいかないだろうか?」
「……いや。夢の説得は続けます」
三成の決意に、仕方なく秀家は手を離す。
「女の心を傷つければ、その分そなたに返ってくるのだぞ」
秀家は長い睫毛の目を伏せて言った。
――良いのだ。
たとえ女のいじましい恨みが己に返って来たとしても、ここは心を鬼にして徳川家康に嫁いでもらわねばならない。
西軍の国民、四万人近い人間の命が懸かっている。
夢に犠牲を強いなければならない。
人権や民主主義や……平等といった名前の三成の理想と理念は、女の犠牲の前にはただの綺麗事であることは百も承知である。
いつだって女を犠牲にしたことは己に返ってきてその都度、三成の心の柔らかな部分を抉った。
己が喪うものの大きさに震えた。
――たとえ、そうであっても。
「げに恐ろしきは女……」
左近の呟きに三成は弾かれたようにその横顔を見つめた。
「そう思いませんか? 女の情念は何物にも代えがたく、恐ろしいってね」
左近は人の悪い笑みを浮かべている。
左近なりの今までの経験が言わせているようだ。
「いや……女はいつだって哀れだ」
女はいつだって弱く、いたいけで、勝手な男どもの犠牲になってきた。
いつかこんな世の中を変える。
三成は人知れず決意した。




