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第132話 いちゃダメってことはない!

「ほう……」


 徳川家康は底光りする目を細めながらため息交じりの声を出した。


たで食う虫も好き好き、と言いますから」


 井伊直政が遠慮がちに家康に目線を送る。


 東軍領内でも新しく西軍に現れた夢という美しい女性のことで話題は持ちきりである。


 なにしろ容姿はアイドル並み。


 石田三成に懸想けそう中らしく、彼の後を追いかけ回しているという。


「三成の奴、情をかけた女スパイをワシに充てがうつもりだったか……?」


 情を極限まで排除した汚い方策を使う。


 奴の考えうることだ。


「いやぁ……そこまで深く考えてないんじゃないですか?」


 暢気のんきな声を上げたのは村田新左衛門である。

 

 井伊直政が睨みつけると分かりやすく縮み上がった。


 しかも夢という女は、徳川家康などに嫁ぎたくないとわめいているらしい。


「興味があるな」


 夢という女。


 家康は俄然がぜん、夢に興味が湧いた。


「本当の男がどのようなものか知らぬのではないか……?」


 三成ごとき女の腐ったような男と比べられると無性に腹が立つ。


 頬を二、三度ひっぱたいてその目を覚ましてやりたい。


「この縁談……進めますか?」


 井伊直政が恐る恐るお伺いを立てる。


「いや……まだだ」


 もっと考えてから。

 満を持して。


 三成の小賢しい思惑をもう少し暴いてからでも遅くはない。


「上様……大谷刑部様がお見えです」


 小姓の声に村田新左衛門は飛び上がって驚いた。


 大谷刑部が家康の元へ気軽に立ち寄る仲になったとは思えないが。


「うむ」


 家康はさも当然のように頷いて、村田新左衛門に穏やかな目線を寄越す。


「新左衛門、同席しろ」



  ◇



「なんだって……夢は城に現れたのかなぁ。誰か手引きした者がいたってことだよね?」


 三成は狭い自室で、鰻の骨せんべいをポリポリ食べながら左近に呟いた。


 伊吹山の麓から大垣城まで女の足で移動するのは無理がある。


 ましてや……女がひとりで歩いたら目立つ。


 どんな危険な目に遭うか分からない。


 馬に乗れたとしても、馬を用意した者がいるだろう。


「左近……ちょっと、それどころじゃないんです……」


 左近は先ほど来から頭を抱えて苦悩している。


「これ……読んでみてください」


 左近はガサガサの藁半紙を三成に渡した。


醜聞スキャンダル!! 西軍首脳陣の某大物武将! 息子が泥沼三角関係!


 町中でひときわ目立つ背の高いモデルのような男! 何を隠そう西軍大物武将の一人息子・島信作(仮名)である! 


 信作はとある恋愛トラブルに巻き込まれ、騒動の真っ只中に居るという! 


 お相手の名前は今をときめく舞台俳優・高坂惣次郎! 言わずと知れたスター俳優・与田真佐人の相手役をこなす女形! 


 私生活プライベートでも二人は恋仲カップルであったが、突然割って入って来たのは意地汚くよこしまな心を持った島信作!


 父親の権力を笠に着て二人の仲を引き裂こうと画策し……』


 挿し絵のタッチは例の茶々のデマチラシの時に似ている。


 信吉ではなく、惣次郎らしき人物のしどけない様子である。


 たぶん同一人物……揖斐川深瀬が描いたものに違いない。


 行方はくらましたが、深瀬が殺されている……というようなことはなさそうだ。


 三成は左近の横顔をチラリと見た。


 気の毒なくらいに打ちひしがれて、表情にいつもの人を食ったような太々しさがない。


「自分のことならまだしも……信吉がターゲットとなると……」


 三成は頭を抱えて髪をクシャクシャにしてい左近におずおずと尋ねる。


「本当なのか……?」


「ん?」


「これ、本当のことなのか……?」


 ようやく左近が目を合わせる。


「一部、本当です」


「じゃあ、しょうがないだろ」


 信吉が二人の間に割って入ったのは事実なわけである。


「で、でも! 権力を笠に着るなんて! 信吉はしませんよ! あくまで、自由恋愛です!」


 左近が唾を飛ばす勢いで言った。


「邪な心なんて……嘘です! 信吉は親身に惣次郎の悩み相談に乗ってやっただけなんです」


 三成は頷いた。


「そうだろうな……こんな記事、誰も信じないよ」


 信吉を知っている者だったら、信吉がいかに爽やかで感じの良い若者か知ってる。


 悪しざまに書かれた内容と信吉の姿はまるで結びつかない。


 放っておけば、その内こんな醜聞は忘れ去られるだろう。


「事態を甘く見ると……取り返しのつかないことになりますよ!」


 左近は目元を赤くして三成に訴える。


 現に信吉は外出もままならず、自室に籠ったきり姿を現さないという。


「ましてや……殿と夢の件もあっという間に知れ渡るだろうし……」


 左近は唇を噛んだ。


「早く刑部様に帰ってきてもらいましょう!」


「なんでだよ?」


 三成は反駁する。


 せっかく休みに入った大谷を早速頼るなんてカッコ悪いことしたくない。


「あのね、殿。殿の隣にいつも穏やかで感じの良い刑部様がいるから、ついでに何となく殿も存在していても良いかな、って雰囲気になってたんですよ」


 ついでに存在して良い存在なんて聞いたことがない。


「殿単体だったら、男たちのヘイトを集めに集めまくるに決まってるじゃないですか?!」


 三成はなんだかムカムカしてきた。


 なんでひとつも悪いことをしていない人間が我慢したり、都度、醜聞に対処したりせねばならんのだ。


「こんな……風評被害ごときで大のオトナが引きこもってどうする?!」


 三成は無意味に立ち上がった。


 拳を胸に当てる。


「俺は、気にしないぞ! 信吉も、こんなことで挫けちゃならん! 若いんだし、これからどうとでもなる! 悪意あるデマゴーグに屈してはならんのだ!!」


 古代ギリシャで生まれた民主主義を滅ぼしたのは悪質なデマゴーグであった。


 悪意ある扇動に民衆は簡単に踊らされてはならない。


 為政者も、揺るがない信念の元、毅然とした態度でいなければいけない。


――その夜のことだった。


 三成の部屋を訪ねてきたのは安国寺恵瓊である。


 文机は煌々(こうこう)とした灯し油で照らされ、三成は夜中まで帳面と決裁書のたばと向き合っている。


「治部……夜中までご苦労さんだな」


「なに? そんな改まって」


 三成は白い歯を見せた。


「恵瓊殿こそ、こんな遅くまで。何か心配事でも?」


「うーん……」


 恵瓊は坊主頭の少し掻いた。


 言いにくそうに口を開く。


「治部……すまないが、おぬし、しばらく皆の前に姿を現すのを控えてもらえぬか?」


「えっ?!」


 三成は少なからず衝撃を受けた。


「いや! ワシはわかってる。

 おぬしほど、みんなのために動いて働く者はいないことは分かっている。

 しかし……こういったことは理屈ではないのだ」


 恵瓊の額は汗で光っている。


「潮目はすぐに変わる。

 炭鉱のテロ事件の時の一体感のようなものは、再び沸き上がるかもしれない……但し今は……おぬしには茶々様とのこともある」


「……」


「心配するな。おぬしの代行はワシが、この安国寺恵瓊が責任持って遂行する。

 ワシとおぬしとは一心同体。

 おぬしが考えることや感じたことはワシを通して、執務室の連中や増田長盛に逐次伝えていくつもりだ」


「このことは……執務室のメンバーはみな承知なのですね……」


 三成は尋ねた。


「……その通りだ」


 ということは、既に自分抜きの会合が粛々(しゅくしゅく)と行われていたことの証しである。


「分かりました」


 三成は筆を置いて目を伏せる。


「なるべく……この部屋を出ないようにします」


「こ、この廊下は出て良い。そもそも石田隊しか居ないし」


 慌てた恵瓊が両手を振った。


 ともし油の火が揺れた。


「いや……気を付けます。言いにくいことを、言っていただいてありがとうございます……」


 三成はしおらしく恵瓊に深々と頭を下げた。

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