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第127話 フラグ立てない!

「あたし……何も知りません」


 若衆茶屋の番頭に声をかけると、着流し姿の伊三郎が現れた。


 華奢な体躯。


 大柄な男たち三人に囲まれて小作りな顔の唇が震えている。


「深瀬なら今朝、血相変えて出ていきましたよ」


 伊三郎は明らかに目を泳がせていて顔色が悪い。


 茶屋の店先で左近はニコリともせず、伊三郎をジッと見つめた。


 伊三郎の白いうなじをジリジリと朝の日差しが焼いている。


 突然、伊三郎は肩を震わせて顔を手で覆い隠した。


「あんなこと……! するんじゃないって言ったのに!」


 細い指がワナワナと震えた。


「島様が探してるって噂になってたから、あたし言ったんです。

 あんな……茶々様を虚仮こけにするような画を描いたりして……お咎めが無いわけないじゃないですか!」


 伊三郎はかの島左近が近々、深瀬を捕縛しに来るのを予測していたという。


 深瀬ははじめこそ暢気にしていたが、伊三郎の剣幕に圧され……着の身着のまま今朝、出奔しゅっぽんしたという。


「深瀬は……逃げる前にどこだかの旦那に会うって言ってました。挿絵を頼んできた偉いお武家さんのご家来だと思います」


「その偉いお武家さんの名前は? 隠し立てすると良くないぞ」


 左近はつばに親指をかけた。


 普段穏やかな瞳は底光りしている。


「ヒィィ!」


 伊三郎は可哀想に悲鳴を上げる。


「ほ、本名は知らなんだ! なんだか、『もぐら』だとかなんとか……」


「もぐら?」


 内記が問い返す。


「西軍の凄く偉い将校さん……だから、ヘタを打ったら、そこで『俺は消されるだろう』とか言ってて」


 伊三郎は、深瀬は島左近が怖かったに違いないが、その『もぐら』をより恐れているようだったという。


 だから出奔しゅっぽんする前に仁義を通す必要があると話していたという。


「……深瀬は、どうなるのでしょう?」


 伊三郎は唇を震わせて、左近に縋った。


 深瀬を心の底から心配している様子である。


「……投降してくれたら、身の安全は保証すると伝えてくれ」


 伊三郎に会いに戻るかもしれない。


 逃げるにしたって……領内はそれほど広くはない。


「隠し立ては他にないか?」


 伊三郎は一重のスッキリした瞳を表通りに素早く走らせて、懐から一枚の紙を取り出した。


「これ……島様が来たら、渡せって」


 左近の胸元に押しつける。



ティンカー(修理工) 竹丸に桐


テイラー(仕立て屋) 三盛り左三つ巴


ソルジャー(兵士) 丸十


プアマン(貧乏人) 枡



 謎の言葉の右側には絵師らしく家紋が器用に描かれている。


「『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』……ル・カレの小説のタイトルですね」


 紙を覗き込んで内記が言った。


『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』はフランスの作家ル・カレの代表的な有名スパイ小説である。


『裏切りのサーカス』の名で映画化もされた。 ソビエトの二重スパイとイギリスのMI6(通称:サーカス)の攻防を描く作品である。


「あの中で確かに二重スパイは『もぐら』と表現されてました」


 内記が断言する。


「この中に犯人はいるはずです!」


 左近は期待を込めて訊いた。


「で、誰なの?」


「は?」


「小説……読んだんでしょ?」


「さぁ……どうだったかな? 誰だったっけ?」


 名探偵! しっかりして! 左近は唇を噛みしめる。


「もう! 何でその人の名前をズバリ書かないのよ!」


 左近は伊三郎にキレ気味に尋ねる。


「深瀬も……本当は知らなかったんじゃないですかね」


 伊三郎はようやく落ち着いたのか、左近の目をシッカリと見て話す。


「だって、西軍の超有名な将校さんが自ら深瀬に会いに来たら目立つだろうし……だから、家名を隠してご家来を寄越して依頼したと思うんです」


 伊三郎は唇に細い指を当てた。


 薄茶色の目が朝の光を浴びて光っている。


「でも……深瀬はわりに臆病なたちだから、独自に調べてその四名に的を絞ったのじゃないかしら?」


「貧乏人だけシンプルに悪口なのが気になるな」


 与田真佐人が紙を見ながら頷く。


「これ見て、左近殿は誰が誰だか分かるの?」


 内記には暗号のようでさっぱり分からない。


「おおよそは……まぁ、殿に見せてみますよ」


 左近は紙を丁寧に折りたたんで懐に深くしまった。


「そういえば治部様はどうしたのですか? こういうのは、治部様は得意でしょう? 

 ネチネチネチネチ追い詰めそうじゃないですか」


 内記が口の端を上げてちょっと皮肉めかせて話す。


 左近は遠い目をした。


「あぁ……ねぇ……」



  ◇



「ちょ、ちょっと待った! 何で許可なく工事を始めるんだよ!」


 揖斐川の中州で三成と渡辺勘兵衛ら家臣数人が対峙しているのは東軍・田中吉政と山内一豊である。


 その背後――揖斐川の向かい岸の東軍領内には千を下らない兵士たちが今か今かと待機している。


「だから! これから梅雨に入ると揖斐川が氾濫するでしょ。

 その前に俺ら東軍有志で、ダム建設をしようって話ですよ」


 田中吉政が親しみを込めて軽い調子で話す。

 

 顔には薄っすらと、人懐こそうな笑みを浮かべている。


「分かりますでしょ? 治部少殿?」


 田中吉政が肩を触ってこようとする。


 思わず三成は肩を引いた。


「東軍領内で行うのと、こちら側で行うのは話が違うでしょ! そんなの認められるわけがなかろうが!」


「主張は分かりますが……田畑や領民を犠牲にする気ですか? 治部少殿は?」


 そう言った山内一豊はでっぷりと太り気味で戦国武将らしい佇まいである。


 三成の顔を見ずに少し視線を落としている。


 優しげなおっとりした目を瞬かせる。


「渡ってきたら……流石に撃ちますよ」


 三成は仕方なく脅す。


「こちらは親切で肉体労働するっていうのに?」


 田中吉政が大袈裟に眉根を上げた。


 酷薄そうな唇を曲げて、変わらず笑みをうかべる。


「炭鉱では共同作業で力を合わせてやりきったじゃないですか? この度もそのように」


「……あの時、おぬしらは何もしなかったではないか」


 三成は小声で呟いた。


「何かおっしゃいましたが?」


 背の高い吉政が三成の顔を覗き込むために顔を近づける。


 三成はすぐさま顔を背ける。


「とにかく……これは明確な約定違反だ! 帰って内府に伝えろ! 魂胆はミエミエだってな! クソがッ!」


 石田家家臣団は炭鉱調査からそれほど休む間もなく伊吹山に続く三箇所で急ピッチで長い塹壕ざんごうを掘っている。


 三成自慢の統制の取れた家臣団も、流石に疲労の色が濃い。


 今日のところは田中吉政と山内一豊の軍勢はおとなしく引き揚げて行った。


 話し合いの後、渡し舟は三成らを乗せて、揖斐川の西軍側の岸に向かっている。


  舟の上で渡辺勘兵衛が心配そうに主君の顔色をうかがった。


「戦争になりますかね……?」


「これまでで一番のピンチだな」


 残念ながら徳川家康に時空のヒビが伊吹山の洞窟にあると知られた日から、避けられない争いが起こっただけである。


 いずれ……家康は伊吹山の領有権を主張してくるだろう。


 その時に過去の約定が意味を成すとは限らない。


 今は竜の歯のように、所謂いわゆる、堅牢な防御用障害物を並べて(この場合ほとんどが木製でしかないが)、東軍の部隊が渡河しないように目を光らせておくしかない。


 防御体制の準備を整え、とにかく戦争準備に入る。


「いよいよ、戦争になるか……」


 揖斐川の河川敷で宇喜多秀家が青白い顔で呟いた。


 熊との婚約の儀を終えて、幸せな結婚生活のスタートまであと僅かである。


「この戦争が終わったら……熊にキチンと伝えたい……この熱い想いを……」


「ちょっと待って! そういうのフラグ立ちますから、ちょっと止めましょう!」


 縁起でもない。


 想いは先に伝えておいてもらいたい。


「炭鉱と一緒で共同開発ってのはどうなのだ? 領有権を等分にしてお互いが持つってのは」


 河川敷には長束正家も駆けつけてくれている。


 正家らしい合理的で建設的な意見である。


――が。


「ここで約定違反を侵してくる以上……そんな長閑のどかな考えは内府に無いんだろうよ」


 三成が頭を抱えた。


 結局、無し崩し的に武力を背景に追い出される可能性もある。


 炭鉱と違い、東軍領内に()()()()()


 一度許せば堂々と侵食してくるだろう。


「全面戦争かぁーー! 生き延びたと思ったのに!」


 悔しそうに正家は天を仰いだ。


「女を……用意する」


 三成は空を睨んで言った。


 情けない策だが、夢を早めに嫁がせるしかない。


 水面下で黒田長政が動いてくれている。


 長政が今回の東軍の伊吹山奪取計画を報せてくれた後、徳川家康に打診して女をひとり()()()()計画を立てている。


 所詮時間稼ぎだろうが、まずは本格的な衝突を回避するために、長政の策にかけるしかない。


「夢を嫁がせる。

 と同時に『時空のヒビ』の使い方を事前に報告することや、誰かが大坂から飛んできた時にすぐさま内府に報告する、というような約定をすれば……」


――家康は反故ほごにしないだろうか?


 残念ながら、確証はない。


 ただ臆病と罵られても、今、全面戦争に突入することは避けたい。


 三成は唇を噛み締めながら河川敷の小石に落とした己の影を見た。

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