第125話 ありえない!
座敷牢は陽が入らないので、昼間の一、二時間は小早川秀秋の手首に紐を巻きつけて、係の者が中庭を散歩させる。
秀秋は眩しそうに五月のうららかな日差しを浴びている。
三成はそのノンビリした姿にムシャクシャする。
近寄りたくないが……仕方がない。
「おい、金吾。お前がこんなもの書かせたのか?」
件のデマチラシを指で摘んで秀秋の前にぶら下げる。
「何だ? これは」
秀秋が鼻で笑った。
「こんなもの、知らんぞ」
秀秋には清潔な着物を着させて、身なりもある程度整えさせている。
なだらかな頬と整った髪で、優雅に散歩中。
手を拘束されていなければ、とても罪人の拘留中には見えない。
「嘘をつけ。茶々様への嫌がらせでこんなもの、ばら撒いたのだろう?」
秀秋は眉根を顰めた。
「俺がこんな惨めったらしいもの、刷らせるわけがない。何が『哀れ! 金吾』だ」
秀秋は不快なものを見る目で吐き捨てた。
「俺は自らの意志でいろいろやったのだ。淀に唆された、と言われたら心外だな」
秀秋は無期懲役という沙汰が下ったので、既に開き直っている。
太々しさに三成は内心舌打ちする。
「淀は大丈夫なのか? こんなものばら撒かれて……俺が慰めてやろうか?」
秀秋はエクボを見せて笑う。
三成はデマチラシを懐にしまって秀秋を睨みつけた。
「前にも言ったが……西軍の中の『もぐら』を見つけ出した方が良いのではないか?」
秀秋は西軍内の不満分子を『もぐら』と表現した。
「誰が本当の裏切り者なのか、お前は見抜けるのか?」
秀秋は薄ら笑いを浮かべる。
「相変わらずの節穴だろうけどな」
◇
「よお! スパイ君!」
清洲城の奥座敷に続く廊下で陽気な声をかけられた。
木下頼継が村田新左衛門の後ろから肩を掴んだ。
その目は笑っている。
「よくここまで逃げおおせたなぁ。感心、感心!」
「あの……おおっぴらに言うの止めてもらって良いですが?」
事実ではあるが、居心地は悪い。
「スパイ君は内府の懐刀なんだろ? 俺にバンバン情報流してくれよな!」
あけすけ過ぎる。
頼継のキャラで何とかなっている会話である。
「し、静かにしてください! バンバンなんて情報流せるわけないでしょ!」
村田新左衛門は廊下に他に人が居ないか、慌てて見渡す。
「なんでだよ! 西軍の暮らし、なかなか楽しかったでしょ? だったらバンバン情報流して、東西友好カマしちゃってよ!」
頼継によると、西軍に情報を流せば流すほど東西友好に近づくらしい。
「お役目でしたから! 今回もお役目です! 楽しかったとかそういうことでは無いですから!」
「チェ! 固いな〜スパイ君は」
この機会である。村田は気になっていたことを頼継に訊いてみた。
「お父様の大谷刑部様とお会いになられたそうですね?」
「そうそう! よく知ってるね! 城下町でね、親父は細川忠興サンの秘蔵の茶碗見に行ったらしい」
頼継は興味が無かったので参加しなかったが、茶碗を愛でる会の後、父親とは再会した。
「忠興サン、関ヶ原にまで茶碗持ってきてて。凄いオタクだよね! 茶道オタク?」
細川忠興は当時、長岡忠興と名乗っていたが……便宜上、本人も細川に変えたらしい。
将軍足利家幕臣・細川藤孝の嫡男。
織田信長にも覚えが目出度く彼の家紋・九曜紋は織田信長から授けられたものである。
明智光秀の娘で絶世の美女と謳われた玉子を娶り、光秀が信長に謀反を起こした際にも離縁せずに匿った。
関白秀次事件の際には秀次に大金を借りていたとして、危うく連座させられるところをかろうじて生き延びた。
風流人で千利休の高弟でもある。
因みに趣味の茶道に熱中するあまり金遣いが粗く、かつて三成から金の遣い方を手紙でクドクドと厳重注意されたこともある。
「刑部様は、越中守様(忠興)と仲がよろしかったんですね……」
「いや……この前の、テロ事件の捜査の時から良く話すようになったらしいよ」
頼継は大あくびをした。
父親の交友関係にはさほど興味がないらしい。
「初様は……ご健勝ですか?」
「うんうん。忠吉サンと仲睦まじいよ。妬けちゃうくらい」
頼継は人差し指で鼻をこすった。
「マジで二人が夫婦で良かったなぁって!」
よっぽど相性が良かったのか、忠吉も初も穏やかで楽しい日々を送っているらしい。
「頼継ーー! 食堂でアンコが出るんだって!」
廊下の向こうから頼継の友達らしき侍数人が手招きしている。
「おー! 今行くわー!」
「な、馴染んでますね!?」
「スパイ君、またな」
頼継が器用にウィンクした。
家康の居所である奥座敷の前で跪き扉を叩くと中から井伊直政が出てきた。
白面の顔の美しい眼差しがヒンヤリと冷たく新左衛門を見下ろしている。
「……兵部様、ご機嫌麗しゅう」
「入れ」
直政は鋭く言葉を放って、その場を蹴って入れ替わりに出ていった。
少し乱暴な態度に部屋の中の家康を伺い見る。
家康は直政の態度をあまり気にしてないようだった。
家康は村田新左衛門を見るとニヤリと笑って、碁盤の向かい側に扇子の先をやった。
座れ、ということらしい。
「伊吹山を獲る方途を練っていた」
「伊吹山をですか??」
村田は驚いて声が裏返る。
「おぬしだったら、どうする?」
「いいえ……皆目見当もつきません。初様のお輿入れの際に約定を交わしましたし……」
揖斐川から南は西軍領。
福井の方まで線引きし、ご丁寧に地図まで付けて争いの余地の生まれないように細かく色で指定した。
両軍とも地図が添えられた約定に東軍は家康や藤堂高虎ら、西軍は宇喜多秀家や三成らが花押と血判を押している。
「初……ね」
家康は小声で囁くように話す。
「あの嫁は気に入らない。子を孕まないし……なにより不義密通の疑いがある」
「な、な、なんと?!」
「……大谷刑部の息子とどうやらデキているらしい。忠吉には傷つくだろうから言っていないが」
深く憂いを帯びた目で家康は嘆息する。
「そんなはずは……」
ありえない。
絶対に嘘である。
頼継は確かにチャラい若者であるが、そのような大胆なことを仕出かす人間ではない。
西軍のみんなに迷惑がかかるようなこと……ましてや大好きな父親に泥をかけるようなことは起こさないと確信を持って言える。
「ワシもはじめはそう考えていた……だが、目撃証言があってな」
家康は目を瞑って腕を組んだ。
鼻からふうっと息を吐く。
「初を斬って捨てるのは忍びない。女は貴重だからな。
しかし、相手の木下頼継もろとも……斬ってしまうしかなかろう」
家康は村田の顔をチラリと見た。
「そこでだ。伊吹山を寄越せば初と頼継の命は助けてやろう、というのはどうだろう?
西軍に返してやっても良い。女はまたすぐに手に入るだろうし」
碁盤の上に……以前、村田が渡したボタン電池が置かれる。
家康は太い指で器用に小さな電池と磁石を碁盤に並べる。
「わ、私に別の考えがあります!」
「ほう……申してみよ」
家康の目が剣呑に光った。
「揖斐川の川筋を変えまする!」
何としてでも初と頼継を助けなければならない。




