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第124話 忘れられない!

「で、内府の側近になることに決めたのですか?」


 一方、清洲城下である。松野重元は驚きの表情を隠せない。


 村田新左衛門のあどけない表情を伺い見る。


「大胆ですね〜新左衛門殿。死にますよ」


「……信念は死にませんから」


 重元にはもはや村田新左衛門が何を言っているのか分からない。


「まぁ……決めたのならしょうがない。頑張ってくださいね」


 重元としては三成から村田を預かった手前、せっかく助かった命を無駄に散らせたくはない。


 かと言って、本人が望むのだったらそこは戦国の世。


 己の信ずる道を進むしかない。


「治部殿には私から報告はしておきますね」


「はい……治部様にも、『内府の懐に入るよう』申しつかっておりますゆえ」


 重元からしてみると、懐に入り過ぎである。


「はいっらっしゃーい!」


 十佐の勢いある掛け声が飛ぶ。


 松野重元と十佐は清洲城城下町で、煮干しベースのラーメン……ではなく蕎麦屋を始めた。


 狭い店内には次々とお客が入って来る。


 村田新左衛門の前にもアツアツの蕎麦が運ばれてきた。


 これが頗る美味い。


 村田が視線を送ると十佐がなぜか親指を立てて頷いた。


 怪しげな眼帯も相まって、もはやラーメン店のこだわり店主にしか見えない。


「バレそうになったら、逃げてくださいね」


「もちろん。すぐに逃げます」


 村田としても救われた命である。


 無駄に散らすわけにはいかない。


 志半ばで逝った鈴木文右衛門や能勢三郎のためにも、立場は違えども精一杯生き抜くつもりだ。


「そういえば……先日、大谷刑部殿を清洲城下で見かけました」


 重元は声をひそめた。


「何やら……声の掛けにくい雰囲気でしたね……」


 誰かと待ち合わせた後、すぐに路地に消えていったという。


「相手はどんな男でしたか?」


「そうですね……小柄で妙に親しげでした」


 重元は思い出すように上を見た。


「頭をこう、クシャクシャと刑部殿が頭を撫でて……お相手は喜んでいたようでしたね」


「ああ! それは分かりました。ご子息の木下頼継様ですね!」


 村田は親子がそのように楽しげに触れ合う光景を大垣城で幾度も見た。


 初の嫁入りに伴い、大谷家の次男・木下頼継は花嫁に付き従って清洲城に入っていた。


 城下町で父親と会ったのだろう。


「そうですか! 安心しました。私はてっきり大谷刑部殿が東軍の誰かと通じたのかと……」


 重元は胸をなで下ろす。


「刑部様がですか? それは無いでしょう」


 大谷刑部は言わずと知れた石田三成の大親友。


 ましてや、茶々のことを裏切るはずがない。


「いや……人の気持ちは移ろいやすいもの。何がどうなるかなんて分かりませんよ」


 目の前で小早川秀秋が寝返った衝撃を重元は未だに忘れることが出来ない。


 あの出来事が無ければ、重元とてここまで人を疑って生きることは無かった。


「私が信じているのは結局、石田三成ただひとりなのかもしれません……他の人は誰も信用していないのかも。寂しいですね」


「いえ……気持ちは分かります」


 村田自身が散々人の信用を利用してきたのだから、人を信用できないと言う重元に反論することは出来ない。


 その資格がない。


 はじめに仕官を許された小西家にだってキチンと詫びを入れることさえできていなかった。


「松野様に信用していただけるよう、精一杯頑張ってみるつもりです」


 こんな自分の身を案じたり、温かい蕎麦をご馳走してくれる気持ちがありがたい。


「くれぐれも気を付けて!」


「松野様も!」



  ◇



「オダツの……ははぁ、なるほどね」


 勘伝久仁彦は面白そうに呟いた。


「で、あんたら何を聞きたいわけ?」


「まずはオダツ……早瀬篤子さんとのご関係を」


 安藤がおずおずと尋ねる。


「ご関係って……ただの大学の日本史研究会の同期ってだけで、何も。当時は確かに親しかったけど?」


 久仁彦は頬に手を当てながら、さもつまらなそうに話した。


「卒業してからずっと会ってないなぁ……結婚式の招待状は届いたけど行かなかったし。

 むしろ、元気にしてるの? オダツは?」


 久仁彦の問いに安藤と真美子は顔を見合わせる。


「ん?」


 久仁彦は何も知らないようだ。


「早瀬治さんとも同級生? ですよね」


「そうそう。まさか本当に結婚するなんて思ってなかったな。

 治は確か……情報学部だったかな? 治がオダツにベタ惚れだったのは周知の事実だったけどオダツは選び放題だったから」


 久仁彦は八重歯を見せて苦笑した。


「やな女だったよ」


 久仁彦は左の口角を上げた。


「オダツは周りの男たちがみんな自分を好きになるのを面白がってたね。

 確かに男だったらみんな、オダツが好きだったんじゃないかな。

 手玉に取って弄ぶようなところがあったね」


「……杉山さんは……?」


「杉山?」


 真美子の質問に意外そうに応える。


 杉山の名が出るとは思わなかったのだろう。


「ああ……アイツもオダツの取り巻きのひとりだな。アイツとは大学を出ても何度か会ってたよ」


 久仁彦が目を瞬かせた。


「まったく……大学を出ても定職につかずにそのままプラプラしてたのは、杉山と俺だけだったから。

 杉山は政経学部だったし、親父さんが県会議員だったから政治家にでもなるかと思ったけどあっさりドロップアウトしてたな」


 久仁彦は再び口角を上げる。


「まぁ……アイツもよくわかんない奴だったから、社会不適合者だったんじゃないの?」


 皮肉を言うときは口角を上げ、さも楽しげな目になる。


「オダツは文学部で……確かロシア語専攻だった。珍しいよね。ロシア語なんて」


 久仁彦は安藤と真美子の様子を伺った。


「昔話聞きに来たわけじゃないんでしょ? そっちの情報教えてよ。そしてとっとと帰ってちょうだい」


「……早瀬篤子さんは、重篤な病のため今は意識不明の状態です」


 安藤が現状を説明する。


「そして……篤子さんの意識は戦国の世……すなわち関ヶ原の地に飛ばされています」


 安藤はなるべく冷静に淡々と話す。


「戦国の世とこの世を繋ぐもの……それは貴方です。勘伝久仁彦先生」


 安藤は久仁彦の目を真っ直ぐ見つめた。


「勘伝先生……貴方があの世界の秘密を握っているのです」


 安藤と真美子が久仁彦に既に玄関まで追い詰められている時、ドアが開いて老婦人が姿を現した。


 ふんわりしたブラウンのパーマに、赤と白のストライプの入ったお洒落なスカーフを巻いている。


 ヒラヒラしたイエローの上着が少し雨に濡れている。


 外は雨が降ってきたのだろう。

「あら? 久仁ちゃんのお友達? 珍しい!」


 老婦人の長閑のどかな声が響く。


「もう帰るから。友達じゃないし。ちょっとお二人とも頭がオカシイみたいだから」


 久仁彦は母親に早口で説明する。


「篤子さんの件、本当に何か知りませんか??」


 真美子が必死で久仁彦に問いかける。


「うるさいなぁ! もう! こちとらオカルト話に付き合ってられるほど暇じゃないんだよ!」


「本当に篤子さんの命がかかってるんです。勘伝先生、今一度思い出してもらえませんか?」


 安藤もなんとか追い縋る。


「ったく、早く帰れよ!」


「篤子さんって……織田のあっちゃん?」


 広くはない玄関で花柄の傘の雫を落としていた老婦人は安藤と真美子に問いかけたあと、久仁彦に顔を向ける。


「久仁ちゃん……織田のあっちゃんは大学時代、よく遊びに来てたじゃない?」


「お袋! 余計なことを」


 久仁彦は噛み付くように応えた。


「あがって。私もあの子のことは気になってたの。凄く綺麗なのに寂しげでね……お茶淹れますね」


 老婦人は真美子の背中にそっと手を遣る。


「ちょっと……! お袋!」


「ありがとうございます!」


 安藤が腰を折って礼を言った。


「泊まりにも来てたわよねぇ?」


「泊まりにもですか??」


 真美子が驚く。


 実家とはいえ男の家に泊まるなんて、よっぽど親しかったのだろう。


「チッ、余計なことを」


 再び安藤と真美子はリビングの革のソファーに腰掛けた。


 久仁彦の母親は紅茶を運んで来てから、なにやら奥の和室でゴソゴソしている。


「あったあった! これこれ! 卒業アルバム!」


「お袋! もう黙って!!」


 久仁彦の母はまるで息子の言うことを聞かない。


 勝手にアルバムを開き始める。


「そうそう。このページ。これがあっちゃん」


「凄い……美人!」


 真美子が感嘆の声を上げる。


「ちょっと表情が固いわね。実物の方がよっぽど可愛かったわよ」


「これが……旦那様か。早瀬くんね」


 学部が違うので違うページだが、早瀬治はこちらに、はにかむような笑顔を向けている。


 ラガーマンのような肩幅が印象的だ。


「そして……久仁ちゃんが一番親しかったのは」


「ちょっと! 返してよ!」


 久仁彦がアルバムを奪おうとするが、母親はお構いなしである。


「あ! あった! あれ?」


 政経学部のページの杉山光男。


 写真の部分はポッカリと穴が空いている。


「写真が……ない」


「燃やした」


 久仁彦がポツリと話す。


「え?」


 真美子の眉間にシワが寄った。


「あまりにムカついたから、アルバムが出来上がった初日に日本史研究会の部室で燃やした」


 久仁彦は遠い過去を振り返るかのように表情を止めた。


「治も……杉山の日頃の言動にはめちゃくちゃ頭に来てたから部員みんなで最後に杉山の写真を灰皿で燃やした。

 あの時は妙にスッキリしたなぁ」


 まるで卒業の儀式である。


「確かに、ちょっと横柄なとこあった子だものね」


 杉山光男に関する母親の評価も良くはないらしい。


「でも……あっちゃんは、杉山くんと結婚するのかと思ってた」


 母親の柔らかい目元がふんわりと綻ぶ。


「それが蓋を空けてみたら早瀬くんだった。人は分からないものね」


 小さなてのひらで閉じたアルバムの革の表面を撫でる。


「何でも言って。あの子の役に立ちたい。あの目……私、忘れられないの。

 あの子の寂しさを分かってあげたかった。もっと甘えてもらいたかった。悔いが残ってるの」

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