第120話 ままならない!
「え? 何で?」
徳川家康は困惑している。
「ワシが……小早川秀秋の処遇を決めるのか……?」
いや、むしろ決めてくれよ。そこは。
家康は心の中で独りごちる。
「……地味に難しいな」
小早川秀秋は関ヶ原大勝利の立役者。
しかしながら、この度は「誤って」非道なことを繰り返したと供述し誰が見てもこの世界の治安を乱している。
ともすれば……どんな処分を下したとて、全員の納得感は得られまい。
「勝手に処分しろよ!!」
家康は報告に来た井伊直政が出ていった後、碁石を盤面に叩きつけた。
松平忠吉がその様子を興味深げに見ている。
「ん? 何だ?」
「いや……父上がいつになく、取り乱しておいでで」
忠吉の口元には思わず笑みが溢れてしまっている。
家康はイラつく。
――こんな時、佐渡がいたら。
家康は思う。
佐渡守こと本多正信は家康の家臣になる前は、一向宗の門徒で一向一揆を率いた、いわば反家康の急先鋒であった。
散々、苦しめられた家康は正信を味方に引き入れた。
この知恵の回る本多正信と、小賢しい三成から繰り出される策への対応を膝を突き合わせて考えてきたのだ。
ところが、その正信は家康の嫡男・秀忠と共に、真田が守る上田城に釘付けで関ヶ原には現れなかったのだから、仕方がない。
いつものクセで、家康は爪を噛みそうになる。
「クソッ」
死刑にすれば、東軍内で動揺が走る。
関ヶ原で味方した功績があるからといって安泰ではない、というメッセージになる。
影響力を持つ福島正則などはいずれ自分も、との思いから西軍に走るかもしれない。
かと言って、処分を甘くするとテロや殺人などの犯罪を起こしたりするような輩を放置するのか、という誤ったメッセージを送ることになる。
やはり家康が裏で糸を引いていたのだ、と痛くもない腹を探られることにもなる。
「無期懲役……これしかないか」
西軍内での無期懲役刑。
ここが落としどころだろう。
結局、既に用済みの小早川秀秋を簡単に処分することさえままならない。
「上様がお呼び?」
村田新左衛門は清洲城の廊下を、迎えに来た家康の小姓の後に続いた。
清洲城の廊下は相変わらず薄暗いが閉め切った戸の隙間から初夏の日差しが差している。
村田新左衛門が襖を開けて顔を上げた瞬間、上から家康の声がかかった。
「新左衛門、今日からワシが碁を教えてやるぞ」
徳川家康は奥座敷で立って村田を出迎える。
手に扇子を持っている。
「私は……囲碁はやったことが無くて」
将棋は父がやっていたので、遊んだ記憶はある。
囲碁は全くの初心者なので、流石に名人級の腕前の家康の相手は務まらないだろう。
「だから……教えてやる、のだ」
家康はサッと屈んで閉じた扇子で村田の肩を軽く打った。
「これからはワシのすぐ側に仕え、話し相手をしろ。以上だ」
「はっはい!」
村田新左衛門は畳に額を付けて低頭した。
これは家康の最側近になるということである。
村田にとってかなり意外な申し出であった。
「な……何か凄いややこしいことに……」
――興味はある。
立場は微妙だが、家康の側に仕え、考え方を学ぶことに……間違いなく興味はある。
(ただ……私は二重間諜なんですけど!)
バレたら即=死である。
村田は自身の中に芽吹いた興味を抑えることのできないまま、微かに初夏の陽の漏れる廊下を進んだ。
◇
「誰?」
古びた木製の玄関ドアの隙間から顔を出した男は、吊り上がった細い目元に高い鼻梁、薄い唇の上下に無精髭を生やしている。
背は高く、痩せていた。
作家というのはこういった外見に違いない、という安藤の想像通りであった。
芥川龍之介に少し似ている。
「ぬれぬれスイッチ先生ですよね?」
「誰? あんた」
勘伝久仁彦は慌てて玄関ドアを思いっきり閉めようとする。
「わ、わたくし怪しいもんじゃありません! 先生にお会いしたくて、はるばる岐阜からやって来ました」
名刺を一枚、渡しながらドアを閉められないよう安藤は力を込めて引いた。
ドアを巡る攻防戦がしばし行われる。
その時、玄関ドアをガシッと抑える手が伸びた。
目立たないようにベージュ色の上品なネイルをしている。
「勘伝久仁彦先生ですよね? 大事なお話があります」
本郷真美子が顔を出す。
真美子の気合いに圧され、勘伝久仁彦は力を抜いた。
ドアが勢い良く開く。
「はじめまして! 長宗我部盛親です」
安藤が勢いを持って挨拶した。
「はい???」
「先生の大ファンです!」
勘伝久仁彦は一人掛けの年季の入った布製のソファーに膝を畳んで小さく固まって座っている。
手にはコーヒーカップ。
「それ飲んだら早く帰ってよね」
人を招き入れて、この体勢を取る人初めて見た。
安藤は思う。
安藤と真美子も革製のソファーに並んで座っている。
革のソファーは滑って少し沈むので安藤はたまに体勢を整える。
「凄い……雰囲気のあるお家ですね」
真美子がティーカップに口を付けて言った。
アンティークのお皿やティーカップ、パッチワークのタペストリーが壁を飾り、古びた人形や陶器の花や猫を象った置物、ミニチュア家具が所狭しと並んでいる。
部屋を白く薄い冬の日差しがカーテン越しに照らしている。
季節は12月に入ったところである。
「お袋の趣味」
久仁彦は短く応える。
「お母様は今……?」
安藤が尋ねた。
「……外出中。帰ってくる前にそれ飲んでとっとと帰ってよね」
久仁彦はコーヒーカップを細長い指で両手で包み込んでコーヒーを飲んでいる。
「アメリアヴィジョンの佐久さんから、ご連絡無かったですか……?」
安藤の問いかけに、久仁彦は黙ってコーヒーを飲んでいる。
「私たち、ぬれぬれスイッチ先生……いや、勘伝久仁彦先生を探していて、それで駒井さんや佐久さんにご協力を……」
「駒井さんまで! あの人、もうゼネラルマネージャーでしょ! 何やってんの?!」
頭に来たのか、長い脚を勢い良く下ろしてガラスのテーブルにコーヒーカップを置いた。
「あんたらでしょ?! ラジオで俺の昔のペンネームを流したり! SNSで拡散したり! 一体なんなの? 何の嫌がらせ?」
MEIMOREアカネのラジオリスナーらしい。
「佐久さんも佐久さんだよ! 全く、一介のファンに住所を教えるなんて!」
久仁彦の吊り上がった目はますます尖り、声はうわずった。
「いや……住所は東都大学の卒業名簿で調べました」
慌てて真美子が訂正した。
佐久に抗議をされては困る。
「ん? 卒業名簿……? そんなものあったっけ……卒業アルバムなら……」
久仁彦がかなり小声で言ったので、安藤はかろうじて聞き取れた。
「てか、名簿見てわざわざ岐阜から押しかけるなんて……」
「早瀬篤子さんをご存知ですよね?」
真美子は単刀直入に切り込む。
「早瀬……ああ、オダツね」
久仁彦はソファーに深く座り、ポリポリと中途半端に髪が伸びた頭を掻く。
安藤と真美子に向き合って口の端を上げた。
はじめて久仁彦の目が興味深げに底光りした。
「なに? なに? あんたらただのファンじゃないわけ?
オダツの知り合い? 一体全体、この俺に何の用なの?」




