第117話 殺せない!
小早川秀秋の身柄が揖斐川を越え、今は馬に揺られて大垣城の門の手前まで来た。
陣笠を目深に被り、鼠色の地味な着物を着て両手を前で縛られた姿はさながら落ち延びていく平家の公達のようだ。
「逆効果だったのではないか?」
大谷刑部はその姿を見て、三成に耳打ちした。
同情を買ってしまう可能性がある。
「いや……むしろ、その逆だろ」
三成は西軍領内で身柄の移送を見守っている者たちの様子を窺う。
みな、一様に憎しみを込めた目で、秀秋の姿を睨みつけている。
みなの中に秀秋への処罰感情が積もりに積もっていた。
やはり見せしめに落ちぶれた姿を晒したのは効果的であった。
秀秋は馬から降ろされて、乱暴に両脇を抱えられる。
両脇を抱えたのは、小西清左衛門と平塚為広である。
二人は秀秋を引きずるようにしながら、三成の前に突き出した。
「ご苦労さま」
三成は二人を短く労った。
三成は秀秋の顎にかかった紐を解いて、陣笠を乱暴に剥いだ。
小早川秀秋の紅潮した頬と、燃えるような眼差しが白日の下に晒される。
今度は大谷刑部と三成でガッチリ秀秋を支えて、大垣城北側の取調室に向かった。
窓からチラリと茶々の赤い着物が見える。
「俺も淀(茶々)に会いたいのぅ」
秀秋が嘯いた。
「黙れ」 三成は秀秋を引き摺りながら言った。
――どの口が言う。
東軍領内で悪しざまに茶々の評判を貶めているのも、秀秋の可能性が高い。
「懐かしいな……西軍の軍議に加わっているようで」
取調室に入った秀秋は楽しそうだった。
「このメンバーは懐かしいぞ」
秀秋はまるで親しい関係かのように話した。
「特に治部! 饗応で妙な具合で会うたが、あの時は長宗我部の件で親しく話す場面では無かったからな。
喧嘩別れのようになってしまい、俺も心苦しかった」
書紀の千野伊織が急いでペンを走らす。
取り調べがスタートする前にペラペラと秀秋は話し始めてしまっている。
「その長宗我部盛親を脇差で刺したのはお前だろう」
「あれは……仕方なかったのだ……」
秀秋は途端に垂れた目元を赤くした。
「盛親に、飯田源吾のことで責められ……脅されたのだ。致し方なく……脇差に手をかけてしまった」
秀秋は、前で縛られた手を顔の前に持っていって祈るような形をする。
「まずは……その飯田源吾の殺害事件から供述しろ」
刑部は珍しく尖った声音で秀秋に命令する。
「散々、刑部に話したではないかぁ」
「今度は治部に話せ。詳しくだ」
秀秋は目を伏せた。
「……誤って、撃ってしまったのだ」
斥候隊が西軍陣地内へ向かうというので、いたずら心で加わった。
誰も仲間は小早川秀秋とは気が付かない。
火縄銃の扱いに慣れておらず、たまたま撃ってしまったという。
「フフフ」
三成は臆面もなくスラスラと供述する秀秋の態度が笑えてくる。
「めちゃくちゃな茶番だな。金吾。恥ずかしいと思わんのか?」
火縄銃がたまたま暴発して、遠くの誰かを殺傷するなんてありえない。
通常、暴発だったら最も近くにいる本人が死亡か負傷するものだ。
確かに飯田源吾が息子を助けるために走り出したのはたまたまだったのかもしれない。
少なくとも秀秋は揖斐川の番屋に再度撃ち込むつもりだったのだろう。
中にいる者たちを震え上がらせるために。
そこへちょうど良くターゲットが現れた。
「嘘に嘘を重ねて、欺瞞で塗り固めて供述とは人として恥ずかしいと思わんか?」
秀秋はガバッと取調室の机に突っ伏した。
「……恥ずかしい! 誤って飯田源吾を撃ってしまったことも、怖がって盛親を刺してしまったことも……!」
取調室の机に秀秋は薄いピンク色の爪を立てた。
「俺は……なんて卑怯なのかと……自分が自分でイヤになる」
肩が震えて嗚咽が漏れる。
「じゃあ、炭鉱でのテロ工作は一体全体、どんな理由をつけるのだ? え? あれも誤って、やってしまいました、と言うのではなかろうな!?」
三成の言葉に秀秋は顔を上げて今度はニヤリと笑った。
「フフフ……あれは……おぬしらが悪いだろ」
上目遣いで三成を見上げる。
「鉄を作るということは……武器を作るということ。俺は殊更臆病だからな。
軍拡一直線のおぬしらに警告を出したまでのこと。まさか、中に人が居たとは思わなんだ」
秀秋の頬にスッとエクボが浮かび上がる。
「炭鉱の作業は基本申の刻(17時から日入まで)までであろ?
我々が炭鉱にボタ山を運んで細工したのは酉の刻以降……残業してたなんて、我々に何故分かるのだ?」
「事前に木枠やロープに細工をしていたとの目撃証言があるのだぞ!」
大谷が激しく机に拳を打ち付けた。
秀秋の肩がビクリと震える。
「あれは……俺ではなく西軍の誰かが鈴木文右衛門と能勢三郎を言いくるめてやらせたらしい。奴等はそう供述していると聞いたが?」
秀秋は頭を起こして、今度は椅子にふんぞり返る。
二人の顔を悪びれもせずに交互に見た。
「早めに『西軍の誰か』を探した方が良いのではないか?」
◇
「全然喋る気ないではないか! あのクソガキゃ!!」
取調室を出て、三成は激昂した。
本日の取り調べはここまで。
秀秋は隣の座敷牢に収監された。
「手強いな」
大谷刑部は長い指を頬に当て目を瞑る。
「まあ……理由はどうあれ、処分は出来るだろ」
流石に死刑しかないだろう。
これから引き続き供述は取るが、佐久川喜重郎の殺害も黒田長政の目撃証言があるので、固い。
「粛々と取り調べを行い、早めに処刑しよう」
そうしたら、もう小早川秀秋には悩まされなくて済む。
「何故だ?」
「ん?」
三成は一点を見つめたまま、大谷に疑問を呈する。
「何故、急に供述をはじめたのだ? 刑部、どう思う?」
千野伊織が走ってきた。
「すみません……治部様だけに、オフレコで話したいことがあるそうです」
「俺だけに……?」
猛烈に嫌な予感がする。
「どうする?」
「まずは……行ってこい。俺はここで待ってる」
三成は急いで格子の前に立った。
「ご要望通り一人で来たぞ。話は何だ?」
秀秋は椅子の上で膝を抱えてさめざめと泣いている。
背を丸めて、爪を噛む。
手の拘束は既に解いてやった。
「申し訳なかったと思っておる……こんなに、こんなにもみんなに迷惑をかけるとは……俺自身も思っていなかった」
同情を買う作戦だろうか?
「言いたいことはそれだけか? また明日聞こう……」
立ち去ろうとする三成の背中に、秀秋は低い声で囁いた。
「治部、俺を殺すことはお前には出来ぬぞ」
三成は振り返ると、音もなく近づいて既に秀秋は格子に手をかけていた。
「フフ……治部、おぬしこれで勝ったつもりならどこまでも甘い男だな」
秀秋はフワリと笑う。
目の奥に昏い光を湛えている。
「お前は俺を処分することも、自由にすることも出来ない……俺を懐に入れて大事に、丁寧に飼い慣らすしかない」
三成は秀秋に向き合う。
「俺はお前に死ぬまでしがみつき、お前の苦悶を見続けることとなる。
いやはや、かわいそうな男だな。おぬしという男は」
「……何が言いたい?」
「俺の身に何かあったら……」
秀秋はニコニコとさも愉快そうに続けた。
「俺の身に危害を加えたら……大野治長を殺すぞ」
「は?」
三成には秀秋の話の意図が全く分からない。
「何で……俺が大野治長の身を案じねばならんのだ?」
毛利秀元や松野重元、伊奈図書ならまだしも、大野治長にそれほどの義理はない。
三成の戸惑いに構わず秀秋は目の底を愉しげに光らせた。
「未来での淀の夫、大野治長は我が手中にある。 俺は大野治長の生殺与奪を握っている。
よって、おぬしは俺をどうすることも出来ない」




