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第116話 ラブはしょうがない!

「何なんですか?」


 理科室の扉に安藤が立ちはだかっている。


 早瀬直希は抗議の声を上げて、もう一方の出口に向かう。


 扉を開けると今度は与田真佐人がピアスを触りながら、直希を見てきた。


「な、何ですか? 一体?」


「早瀬くん! ちょっとだけいい?」


 甲高い声。


 与田真佐人の後ろから、本郷真美子が顔を出す。


「本郷先生まで……」


 直希は独りごちる。


 薄暗い理科室のカーテンを真美子が開ける。 直希は眩しくて目を伏せる。


 ここ理科室は直希が所属する「天文部」の部室にもなっている。


 部員は直希含めて三人である。


 まだ直希の他には誰も来ていない。


「早瀬直希くん……正直に全てを話してほしい」


 安藤の目線が真っすぐに直希を射抜く。


 理科室の四角い木の椅子に三人は直希を取り囲むように座った。


 直希も木の椅子に乱暴に腰掛ける。


「安藤先生、これは早瀬家にとって極めて……極めてプライベートな」


「プライベートな問題なんだろ? わかってる!」


 安藤は訴える。


「わかってるけど、僕にとっても……凄く凄くプライベートで、大事な事なんだ! 

 早瀬くん。いや、戸田内記くん。あの世界のことを教えて欲しい! 頼む!」


 安藤の真剣な眼差しを受けて、直希はたじろぐ。


 やがて、目線を下に向けて観念したかのように口を開いた。


「母は……」


 直希は言葉に詰まる。


「母……僕のお母さんは、あの世界に閉じ込められてしまった」


 現実の母・早瀬篤子は伊吹山総合病院に入院中である。


 そもそも重篤な病状で治療中だったが、それとは別に医者も診断のつかない何らかの理由で意識不明。


 眠り続けている。


 もう、時間があまり残されていない。


「僕は、あの世界で母を現実に取り戻すために……! シンクロしている!」


「母って……まさか」


 直希は携帯を取り出して細い指で素早く操作する。


 安藤に一枚の画像を見せた。


 母と父らしき二人と直希がソファーでまとまって笑顔を見せている。


「ガㇵ!!! 噓! 茶々様!!」


 安藤はショックで血を吐きそうになる。


「ちょっと! 大丈夫?」


 真美子が眉間にシワを寄せる。


「こんな……大きな子供がいるなんて……ショック」


「どこにショック受けてんのよ……」


 真美子が呆れた声で言った。


 写真の中の茶々は幾分、歳を重ねて落ち着いている。


 目の色が少し明るい。


 他は特に変わったところは無く、夫の肩口からピースサインを出して美しい笑顔を見せている。


 直希も高校生らしいはにかんだ可愛らしい笑顔を見せている。


 夫はいかにも日に焼けて営業畑のビジネスマン、といった風情だ。


 カメラに自信ありげな目線を向けている。


 大垣城にいる身内の誰でもない。


 安藤は知らない顔だった。


「シンクロ……っていうのね? どうやって?」


 真美子が眉を顰めて疑問を口にした。


「便宜上、僕が『シンクロ』って名付けてるだけですが、杉山っていう母の友達からメールが送られてきて、それで……」

 

 そのメールに記載されたアドレスをクリックすると戦国の世に意識が飛ばされるという。


「杉山……何者ですかね? 会えますか?」


 安藤は腕を組んで考える。


「いいえ。杉山は……既に死んでいる可能性が高いです」


 直希はメールのスクリーンショットを見せていく。


 注意深く、二人の親密なやり取りのメールはスキップする。


「ちょ、ちょっと待って! この『なお』と『久仁彦』っていうのは誰ですか?」


 安藤が質問した。 「なお、じゃなくて『はる』、ウチの父です」


 早瀬治はやせはる……直希の父。


 父の転勤に伴って直希は小学校高学年の時に東京から岐阜に転校した。


「久仁彦は……父と母の学生時代の友達だと思います。杉山もですけど。 詳しいことはあまり聞いてないから分かりません」


 二人とも大学時代に知り合ったというのに、なぜかほとんどその時の話を家庭内でしなかった。


 とにかく、送られてきたアドレスをクリックしてシンクロすると、戦国の世に飛ばされるが、ふと気がつくといつの間にか帰ってきている。


 そして、戦国の世でたとえ数日過ごしても、こちらでは数分しか進んでいないことがままあるという。


「もしかして……俺がクリックしたら、あちらの与田真佐人に『シンクロ』するってこと?」


 真佐人は安藤から、あちらの世界では駆け出しの役者をやっていると聞いている。


「たぶん……そうかも」


 直希は頷いた。


 直希も真佐人のことは噂に聞いて知っているようだ。


「私は? 私も出来るのかな?」

 真美子も尋ねる。


「たぶん……いや、女性はほとんどいないから分かりません」


 直希は頭振った。


「結亜みたいに男になるのかも」


 真佐人が口を挟む。


 真佐人は直希にカノジョの結亜があの世界では、同じく役者の『惣次郎』らしい、と手短に説明した。


 あの世界は男性がほとんど。


 そこはやってみないと分からない。


「僕は、戦国の世で小早川秀秋さんに殺されたからもう無理ですよね。きっと」


 ハッと直希は安藤の顔を見つめる。


「あの、安藤先生は……まだしぶとく生きてます」


「そうなの?!」


「仮死状態ですが……母が毎朝、安藤先生の身体を拭きに病室に通ってますから」


 泣いている。


 秒で安藤は涙を流している。


「ちょっと! しっかりしなさいよ。話が進まないじゃない!」


 真美子が素早く注意した。


「ずびび……すびばせん」


「もしかして『久仁彦』って勘伝先生、よね?」


 真美子が安藤に確認する。


 安藤は真美子から渡されたポケットティッシュで鼻をかみながら真美子に頷き返す。


「勘伝先生って?」


 安藤はジャケットの内ポケットから一枚の用紙を出して、直希に見せる。


『現役作家による文章教室! 生徒募集中! 調布市出身の作家が貴方を直接指導します』


 安藤がプリントしたのは調布市のカルチャースクールのチラシである。


 丸枠の中の写真は顎に手をあてて、鋭い目線をこちらに向けている。


 他の作家は笑顔なので逆に目立つ。


――勘伝久仁彦。

 東都大学卒。ゲームシナリオ作家。脚本家。小説家。


 直希はチラシを食い入るように見つめる。


「東都大学は、父と母も卒業生です。

 両親は東京の大学で知り合ったんです。二人とも出身は関東ですから。

 この勘伝久仁彦さん……に話を聞けば、何かわかるかも」


 直希の言葉に安藤は頷く。


 安藤はティッシュを手で丸めながら言った。


「このカルチャースクールは、去年までで終わってしまって、今は講師に彼は名を連ねてないんです。

 勘伝久仁彦先生に繋がる情報が今は無くて……」


「もしかしたら、家に東都大学の卒業名簿があるかもしれません」


 直希が頬に長い指を当てながら呟くように言った。


「卒業名簿って何?」


 真佐人が疑問を挟む。


「昔は個人情報に緩くて、大学とか高校とか卒業したら、全員の住所が載ってる冊子をもらえたのよ」


 真美子が説明した。


「それはヤバイ」


「母が……それを見て年賀状を書いてたから。随分前だけど」


 直希は記憶を辿るように、母の姿を思い起こす。

 筆まめであった。


「僕ら協力し合えるかな? お母さんを取り戻す方法も一緒に考えられるかもだし」


 直希は逡巡しゅんじゅんしたのち、頷いた。


「早くしないと。治療もそうだし……治部少の毒牙どくがが」


「は?」


 安藤がほうけた声を出す。


「ムカつくことに!! 石田治部がウチの母を狙っているんです! 考えらんない! めちゃくちゃ腹立つ!」


「あー……、なるほど」


 確かに極めてプライベートな問題である。


 安藤は何とも言えなくなる。


 あの世界の男だったら、だいたいみな茶々を『狙って』いる。


 恐れ多いから口に出さないだけで。


「ラブはしょうがない。ラブは」


 真佐人が髪をかき上げて言った。


「しょうがなくないよ! もう!」


 直希が反駁はんばくする。


「こちらからも、分かったことを。まずは『時空のヒビ』のことを説明します」


 安藤は伊吹山総合病院の霊安室に突如現れた『時空のヒビ』について直希に説明した。


 直希も、ワイヤーロープなど、あの世界に現代の物としか思えない人工物が存在しているのを疑問に思っていた。


「それでか……」


 直希は納得する。


「ところが『時空のヒビ』は今、使えません」


 看護師のミナミから真佐人に連絡があり、なぜか病院内に監視カメラが何台も追加で設置されたそうだ。


 霊安室の前の廊下にも監視カメラが設置された。


 ミナミは働きぶりを監視されているようだ、と愚痴っていたという。


 安藤は、三成の秘書の村田新左衛門らしき人物……村山宣之のことも直希に話した。


 顔が瓜二つなことも。


「村田新左衛門は……東軍のスパイだったんですよ」


「ウソぉ!」


 安藤の声は思わず裏返った。


「今は、東軍に逃れてます。治部少がうっかり逃がしちゃって。あのクソボケ……」


 直希はイライラしながら言った。


 だいぶ口が悪い。


 そこで、他の天文部の女子生徒が恐る恐る理科室に入って来た。


 もっと話したいことがあったが……ひとまず話し合いはここまでである。


「勉強……大丈夫か?」


 理科室を後にする際、安藤は直希に声をかけた。


「……まぁ、頑張ります」


「一番初めに会った時、自分は大学生だって言ってたね」


「……はい。中の人が高校生だって思われたくなかったし……あと、願望です」


 直希はちょっと自虐めかして笑った。


「無理しないで、頑張って。困ったことがあったら遠慮なく僕を頼りなさい」


「長宗我部先生……」


 直希のまつ毛の長い目が真っすぐ安藤の瞳を捉える。


 茶々によく似た美しい眼差しだ。


「たとえあの世界に貴方が戻れても、母に手を出したら殺します」


「分かった! 分かったよ!」


 マザコンが炸裂したセリフに安藤は降参の手を上げた。

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