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第114話 真実じゃない!

 徳川家康は襖の隙間から客室でイライラしている表情をした細川忠興をじっくり観察した。


 猫足のテーブルを倒しそうな勢いで立ち上がり、そうかと思えば椅子に腰掛け腕を組む。


 まさに檻に閉じ込めた虎である。


「珍しいな……越中守えっちゅうのかみ?」


 頃合いを見計らって、家康は悠然と登場した。


「上様! 鈴木文右衛門と能勢三郎の切腹、お待ちいただきたい!」


「何だ何だ……そんなに慌てて」


 家康は立ち上がる忠興に手を添えて柔和に応える。


「まだ我らの取り調べが充分に終わっていません!」


「はて、取り調べ……取り調べと言えば、ずいぶんおぬしらは万千代(直政)を締め上げたそうだな。万千代から聞いたぞ」


 家康は目を細めて忠興の顔を見た。


「上様の可愛い万千代を締め上げてしまったのは謝りましょう」


 忠興は憮然ぶぜんとした表情は変えない。


 心から謝るつもりはないらしい。


 家康は忠興に着席を促し、家康も椅子に腰掛ける。


「鈴木文右衛門から、昨晩……万千代に全てを打ち明けると相談があったのだ」


 家康はため息混じりに話した。


「あやつらは可哀想に……万千代も知らぬ内に二人は騙されて西軍の自作自演の片棒を担がされてしまった……いかに温情をかけようにも、切腹しかなかった」


 家康はふぅっと息を吐く。


「上様……新たな事実が出たのならまだ『()()()()()調()()』は終わっていないのです。   

 たとえ井伊兵部(直政)に文右衛門からある種の告白があったとすれ、『我らの取り調べ』はまた別日程で行われねばなりますまい」


何故なにゆえだ?」


 家康は笑顔を崩さない。


「何故、取り調べが必要なのだ?」


 流石に忠興は家康の煮え切らない態度にイライラする。


「真実を()()()()にするためでしょう?」


 当たり前である。


 忠興は訴えた。


「私には、この度の所業が西軍の自作自演とは思わない。真っ先に疑われるのは金吾です。

 既に供述をはじめているのですよ! 上様もお分かりになっているはず。

 金吾という真実に辿りつくには、まずは文右衛門らを生かして細かい部分が符合するか供述させるべきかと」


 小早川秀秋(金吾)は既に供述をはじめているのだ。真相は近い。


「私は、後ほど彼らを処分することに関していささかも反論はありません。でも今じゃない!」


「越中守……真実とは何だ?」


 家康は朱色の華奢な椅子にもたれ、忠興にゆっくりと問いかけた。


「真実とは、果たして何なのだ? 人々が信じたいものが真実なのではないか?」


「人々が……信じたいもの?」


 忠興は家康の言葉を反芻はんすうする。


「真実とは、誤解を恐れずに言うなら……()()()()()


 家康の垂れて柔和だった目が底光りする。


「ワシやそなた、越中守……()()()()()()()

 それにより、人々は我らを信じ、我らに味方する。

 よって、我らの言った言葉は真実となる」


 家康は腕を組んで、口元に笑みを浮かべる。


「話した言葉は真実となる。()()()()()()()()()()


 忠興は、深く眉間にシワを寄せて家康の瞳を見た。


 自信に満ちた深い色をしている。


「敗者の気の毒なところはデタラメを言われても何の反駁もできないことだ」


 家康は眉を下げ本当に気の毒そうに言った。


 少し下を向く。


「歴史にたったひとつの真実があるのなら、逆に教えて欲しい。

 真実はひとりひとり違う。視点も立場も違うからだ。

 よって真実とは脆弱なもの……なんとでもなる、不確かなもの……だから真実は勝者が創る」


 再び家康は視線を上げる。


「だったら、真実を追い求めることに一体何の意味があるというのだ?」


――真実を追い求めることに、意味はない。


 忠興には家康の言いたいことがありありと分かる。


 奥歯を噛みしめた。


「我らは勝つことが目的で、真実を求めることが目的ではない! 違うか? 越中守! 違うなら申してみよ!」


「真実は……ある!」


 忠興は顔を赤くした。


 妻の玉子を失って以来の激情が心の奥に湧いてくる。


「越中守……利口になれ」


 家康はあくまで冷静だ。


「青臭い戦国の世は終わったのだ……これからは如何にして統治していくかの問題になる。

 ひとつ対応を間違えて求心力を失えば途端に戦の世へ逆戻りだ」


 淡々と続ける。


「そのためには、()()()()()()()()()()()()()()()()

 間違えを認めた時点でこの()()()()()()()()


 家康は柔らかく優しい口調で慰めるように言った。


「おぬしは、絶対に三成と一緒にやっていくことは出来ぬであろう? だったら、ワシの理論を黙って呑むのだ」


 忠興は椅子から勢い良く立ち上がった。


 螺鈿を嵌め込んだ猫足のテーブルが大きく揺れる。


「それでも、真実は……我らの心に! ごめん!」


 忠興は家康の客間を後にした。



  ◇



 大谷刑部に届いた細川忠興からの手紙には明日の切腹が差し迫っていることが書かれていた。


「展開が早いな……」


 三成は独りごちた。


 確かに間諜スパイであったら、即刻処分も有り得る。


 現に西軍だって、裏切り者が判明した時点で、村田新左衛門に死刑の判決が下ったのだ。


 まさか、テロの実行犯を西軍の間諜に仕立て上げるとは。


 家康の考えは一歩先を行っていた。


「感心してる場合じゃないだろう?」


 妙に感心した様子の三成に大谷刑部は苦情を入れる。


「と、とにかく即刻の身柄の引き渡しを要求するのだ! 後は時間さえあればなんとか供述してもらえるだろう」


 三成は慌てた。


 急いで家康宛の書状を認め、既に正式の要請を出している。


 家康に鈴木文右衛門と能勢某の身柄引き渡しを要求する。


 そこで小早川秀秋の供述と符合するか真実を積上げて家康に提示するしかあるまい。


「正攻法だな……」


「正攻法の何が悪い!」


 大谷の非難めいた言葉に三成は反駁する。


「いや……今度ばかりは我らは一泡ふかされるぞ」


 大谷は視線を伏せる。


「俺が小早川秀秋という土産話を持って東軍を離れたのも、結果、内府の謀略だろう」


 三成は自身の髪をクシャクシャにする。


「あー、そうだねぇ! しまった」


――流石、内府! 知恵が回る!


「小早川秀秋の供述なんて、後からいくらでも翻すことが出来る。()()()()()()だと、みなが知っている」


「だよねぇ……」


 大谷の言葉に三成は首肯しゅこうすることしかできない。


「結果、こちらで小早川秀秋にたとえ死刑判決を出したとしても、東軍内では西軍の自作自演のテロで責任を取らされたとみる人間が大半となる。

 内府にとっては金吾など、既に用済みなのだ」


 大谷は三成の目を見つめて静かに話す。


「自分の名声に1ミリも傷がつかない……非常に上手いやり方だな」


「あのう……刑部も結果、感心しちゃってるんですけど」


 三成は思わず突っ込んだ。


 翌日の夕刻、川向いから小舟が二隻にそう揖斐川を漂っている。


 白装束の男がそれぞれひとりずつ乗っていて、黒い装束の男が刀を持ってこちらもひとりずつ乗っている。


 白装束の男たちが短刀に手をかけると同時に白刃が舞った。


 水面に赤い血飛沫ちしぶきが広がっていった。


「間に合わなかった……」


 徳川家康との交渉は遅々として進まず、この謀略に満ちた切腹劇を三成と大谷刑部は川岸で見せつけられる。


「クソッ」


 三成は思わず悪態をつく。


 川岸の向かいに中肉中背の陣笠の男がこちらをジッと見ている。


 姿形に見覚えがあった。


 細川忠興だろう。


「伊吹山に人が来るな……」


「既に五助が待機している」


 大谷刑部が応えた。


『西軍』のレッテルを貼られ、揖斐川で命を落とした……伊吹山の洞窟に別の魂が現れる条件を全て満たしている。


「金吾の取り調べは重要になってくるぞ」


 三成としては、小早川秀秋と徳川家康の連携の証拠を何が何でも掴まなくてはならない。


「……期待はできぬだろうな」


 意気込んでいる三成を醒めた目で大谷は見返した。


 何はともあれ、今回は家康の勝ちである。


 今世でもあの古狸と鍔迫り合いをしなくてはならないのかと思うと些かウンザリする。


 結局、初の嫁入り後にした大谷の『引退宣言』は炭鉱事故が起きたことで無し崩し的に立ち消えてしまっている。


 三成はもちろん覚えているだろうが、今、大谷に引退されたら困るのであくまでも知らぬ顔だ。


――巡る因果を断ち切る方途は無いのか。


 大谷刑部は水面に漂う血の色を深く心に焼き付けた。

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