第113話 自作自演じゃない!
徳川家康は奥座敷で跪いている村田新左衛門を見て、駆け寄って肩を抱いた。
「新左衛門! 良かった……無事であったか!」
家康は落涙しそうになっている。
「おぬしが治部らに捕らわれたと聞いたときは……もう駄目かと思った。よくぞ、よくぞ生きて……」
「言うほど……口ほどにも無い男でした。治部少というのは」
村田新左衛門は目線を上げてこう言った。
三成から家康をちょっと油断させるように言われている。
「私は彼奴の剣を奪い、逆に斬りかかってやりました。彼奴はめそめそと泣いて命乞いをし、私は堂々と逃げおおせたのです」
「……ほう」
家康の知っている三成は静かに泣くよりも、己が首を斬られるその瞬間まで理屈をこねくり回そうとするような奴である。
「彼奴は……仲間内で何やらいつもふざけていて、隙あらば賭け事に興じ、人様の大切な庭を荒らしたり、女装して男を騙したり、そうかと思えば淀を口説いたり!
まさに不逞の輩に成り下がっております!」
村田新左衛門が挙げた今までの出来事……時系列は違えども、ひとつひとつはわりかし真実だ。
まとめて口にすると、本当に酷い。
「……治部が口説く? 何やらだいぶ変わったな」
家康は融通の効かない不貞腐れた態度の男の顔を思い起こしている。
色恋とは無縁。
女は邪魔だとさえ思っていた節がある。
ストレスはこうも人を変えるのか。
「これからは上様のお側でお仕えすることができること、この村田新左衛門、無常の喜びであります! 何なりとご用命くださりませ」
「うむ! 新左衛門、頼りにしておるぞ!」
近くに控えていた井伊直政がギョロリとした目で村田を射抜く。
村田は知らぬ顔を押し通して、部屋を出た。
「上様……あの男を信用なさるおつもりで?」
部屋を出たところで、微かに井伊直政の声が聴こえる。
村田は聡いその耳を傾ける。
「いや……すぐさま側には置かぬ」
家康の返答に村田は思わず安堵した。
家康をこの上なく尊敬している村田には些か残念でもある。
但し、御側衆に取り立てられることがあれば、汚れ仕事の用命を受けることになるかもしれない。
今は程良い距離を保ちたい。
村田はその足で、清洲城の外れにある番小屋に足を踏み入れた。
ここに鈴木文右衛門が勾留されていると聞いていた。
番小屋の格子の奥に、文右衛門は無精髭を茫々に生やして、虚ろな目でぼんやりと壁にもたれかかっている。
「文右衛門殿!」
文右衛門の目がゆっくり動く。
村田の顔を捉えると、力を得たのか瞳が輝いた。
「新左衛門! 無事であったか!」
格子に手をかけ、文右衛門はまず村田の身を案じた。
村田も思わずしゃがんで格子に手をかける。
「あの時はすまなかったな……新左衛門。おぬしの言い分もよく分かる」
最後に会った時、村田は小早川秀秋に脅されて何も言えなかった。
文右衛門は心から秀秋に仕えているわけではない。
心中、複雑だったようだ。
「いやいや……何をおっしゃる。私だって、何も分かっていなかったのですから……」
文右衛門の立場に立てば、テロに加わる他に方途はなかったに違いない。
「なぜ、未だに勾留されているのです? 取り調べは終わったのでしょう、だったら」
「いや……俺とこの隣の能勢は、この度の責を取って切腹となった」
能勢、と呼ばれた男を見た。
壁に背を預け寄りかかっていたが、痩せた体躯を曲げて村田に弱々しい会釈する。
見覚えは無いが、あの時、小早川秀秋と共にに西軍領内に押し入った者のひとりであろう。
「切腹? それは如何に」
村田新左衛門は疑問を呈した。
文右衛門らは上からの命に従っただけで、なんなら小早川秀秋からの命をやり遂げただけである。
「西軍で捕まるならまだしも、東軍で切腹などにはならないでしょう」
「新左衛門……良いのだ」
格子の中から村田の手を重ねて握る。
「ワシと能勢はとっくに覚悟ができておるのだ。全ての泥を被って死んでいく……その決意で今までやってきたのだ」
文右衛門の眼差しは強く輝いている。
「我らは明日、西軍の間諜として切腹となる。
この度の炭鉱での事件は、我らが西軍の息のかかった者に踊らされて起こしたもの……そのように供述してある」
「ちょ…ちょっと待ってください! 全然事実と違うではないか!」
――まずいな。
村田は思った。
これは家康に先手を取られた。
大谷刑部らの取り調べが充分に入る前に、そのような形で『処分』してしまうつもりなのだ。
「新左衛門……武士の情けである。このままでは我らは武士としての信念もないとして、斬首になってしまう。切腹は上様のせめてもの温情……」
「どっちも、結果は同じでしょうよ!!」
大谷刑部にすぐさま連絡を取り、切腹は取り止めにしてもらわなければならない。
そうでなければ、真相は闇に葬られる。
ましてや、炭鉱テロ事件が西軍が東軍を陥れるために起こした自作自演であるという根拠のない供述があたかも真実であるかのように人口に膾炙してしまう。
「真実を話すのです! 文右衛門殿! ここに大谷刑部を呼んでくるので、真実を話してください」
「真実は……ワシは西軍の間諜として、自作自演で炭鉱テロを起こした……それだけだ」
文右衛門は格子ごと強く村田の両の手を握りしめる。
手が震えている。
「小早川秀秋がもし、全てを話したら……貴殿らの志がいかに崇高とはいえ、水の泡ですぞ」
小早川秀秋の供述次第では、西軍の間諜だったという事実は否定される。
「そこは……大丈夫だ。金吾様には、お考えがある」
文右衛門は力なく笑った。
「新左衛門……おぬしは生きよ。生きて、生き抜いて我らの分まで生きて上様に奉公するのだ」
文右衛門の手は、村田の細い肩に縋った。
「後生である! 頼んだぞ! 必ずや上様の世を!」
「何か……」
村田は青ざめて唇を震わせた。
「何か、凄いややこしいことに……」
村田新左衛門は番小屋を鉄砲玉のように飛び出した。
勢い余って、陣笠を目深に被った男にぶつかる。
「何だ、貴様……無礼な!」
ぶつかった男の鼻の中間に短い切傷がある。
「し、失敬! 大谷刑部様に火急の用で」
「……刑部は今は西軍領内だ。俺が聞こう」
男は陣笠をチラリとあげて鋭い眼光を見せた。額に大きな刀傷。
「細川越中守忠興だ」




