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第106話 死なない!

「巻き上げろーー!」

 宇喜多秀家が金色の扇を振るいながら音頭をとった。


 屈強な男たちが巻き取り機のハンドルを身を低くして数人がかりで回していく。


 顔や身体を泥だらけにしながら、指を組んで祈る者がいる。


 言葉にならない喚声を上げながら身振りで上がれ! と手を挙げる者がいる。


 いつの間にか安国寺恵瓊が三成の肩を強い力で掴んでいる。


 振り返ると、福島正則と視線が合った。


 正則は泥だらけで頷いた。


 正則の肩の奥に松野重元の姿も見える。


 伊奈図書も口元で指を組んで見守っている。


 ずっと後方で黒田長政がこちらを見つめている。


 長政の傍らで跪いている男がいた。


 増田長盛である。


 祈りの言葉だろうか。

 小さく唇が動いている。


 坑口に詰めかけた男たちはみな固唾かたずを飲んで最後の救出作業を見守った。


 煌めく分銅色のカプセルが見えた時、男たちの雄叫びが上がった。


 通気口の近くで控えていた武蔵と曲直瀬玄朔が走った。


 カプセルが完全に引き上げられると、中から出てきた男の身体を数人で支える。


「まだ目を開けるな!」


 曲直瀬はすぐに傘で日陰を作らせる。


 永井辰之進は横になりながらじっとしている。


 曲直瀬が顔を見て、脈を取り三成を振り返った。


 大きく腕で丸を作る。


「問題ない」


 喚声が地鳴りのように湧き上がった。


 茶々が泣きつかれた顔で三成を振り返った。


 髪を振り乱して茫然自失といった様子だ。


 三成は笑った。


 茶々は笑顔も無くフラフラになっている。


「だ、大丈夫ですか?」


 そう声を掛けると、茶々の瞳はみるみる涙で盛り上がった。


 細い身体を三成に投げ出して茶々は勢い良く抱きついた。


 三成は茶々をクルリと回した。


 耳元で囁く。


「貴女、最高だ」


 茶々は正則に駆け寄った。


 ハイタッチの後、手をブンブンと振り回す。


 茶々は男たちとハイタッチを交わしながら跳ね回っている。


 三成は永井辰之進の元へ行った。


 ゆっくりと瞳を開けているところだ。


 眩しそうに眉を顰めている。


「どうだ? 久しぶりの地上は?」


「治部様……弟と会いました」


 辰之進はまるで夢の中にいるかのように視線を漂わせ応える。


「弟の魂魄こんぱくと会いました。

 不思議なものですね……隆之介にはとっくに弟の姿が見えていたのですね」


「そうか。それで妙に怖がっていたのだな」


 南隆之介は毛布に包まれて既に対策本部に運び出されていた。


「わかるよ」


 三成は頷いた。


「信じてないくせに」


 辰之進の言葉に三成は笑った。


 確かに幽霊の存在を信じてない。


 辰之進は三成の手を取った。


 ゆっくりと宝物のように両手で包む。


「貴方にも……貴方にも、いつか奇跡が起こりますように」



  ◇



 座敷牢の前の廊下に足音が響いた。


 長束正家が木枠から顔を出す。


「三人全員救出できたそうだ」


 正家が村田新左衛門に右手を差し出す。


「おめでとう」


 村田は正家の手を握り返した。


 村田は何もしていなかった。


 ただ未来の村田新左衛門は人の命を助けることができた。


 正家の真剣な表情から嫌味な感じは受けなかった。


 純粋に村田に謝意を現しているのだろう。


「ありがとう……ございます」


 ようやく一言、言葉にすることができた。


「サバを連れてこようか?」


 正家が言った。


「いえ……けっこうです。名残惜しくなるので」


「そっか。そうだな」


 正家はきびすを返した。


 途中、足音が立ち止まったがやがて廊下を進んで聴こえなくなった。


「良かった……本当に良かった」


 村田の瞳から涙が溢れた。


 夜になると城のあちらこちらから華やいだ声が聞こえた。


 城内の男たちに祝の酒が振る舞われたのであろう。


 村田は座敷牢の冷たい壁にもたれかかりながら、その声を愛おしむように聴いていた。


 廊下に足音が聴こえる。


 飽きるほど聴き慣れた足音である。


「酒が振る舞われたぞ。一杯どうだ?」


 座敷牢の木枠の間から白皙はくせきの顔が覗く。


「いえ……けっこうです」


「そうか?」


「シラフでいたいんで」


 三成は南京錠を開けて、座敷牢に入って来た。


 床に座る。


「では俺が一杯やることにするか」


「ここでですか?」


「友達少ないんだよ」


 自嘲気味にそう話す。


「明日になった」


「そうですか……」


 村田は膝を抱いた。


 流石に己の命の期限を通達されると膝が震える。


 震える姿を見られたくなかった。


「新左衛門……世話になったな」


 三成は懐から剃刀かみそりを取り出した。


「明日って言ったじゃないですか?!」


 村田は身構える。


「ああ……髭、剃ってやろうと思って」


「……」


「身なりを整えたいだろ」


「……」


「俺が……あの時は身なりを整えられなかったから、心残りがあったのだ」


 あの時とは六条河原で三成が処刑された時のことだろう。


「自分でやります」


「刃物を持たせるわけにはいかないだろう」


 それでは自害しろ、と言っているのと変わらない。


 三成は村田新左衛門の頬と顎に油を塗った。


「まだ……若いから髭が濃くないな」


「……貴方だって、見た目若いじゃないですか」


「まぁ、そうなんだけど」


 三成は村田の顎をあげて器用に髭を剃っていく。


 村田の瞳から涙が溢れた。


 涙を拭えないからバツが悪い。


「新左衛門……信念は死なないぞ」


 手を器用に動かしながら三成は言った。


「たとえその身が滅んでも信念は死なない。お前が、お前が内府に純粋な心で味方し、信念を貫いて命を全うしたなら、信念は死なない」


 剃刀に溜まった髭を一度布で拭く。


「お前の思いは内府に引き継がれて……俺にも……俺にも引き継がれる。だから安心して逝って良い」


 三成は村田の頬に再び手を触れた。


「人の人を想う心は引き継がれる。内府の世が正しいとお前が信じたのなら、たとえお前が道半ばで命を落としても、お前の勝ちなのだ」


 村田新左衛門の目を三成はマジマジと見つめた。


「心の奥底に……平和を求めて、人々の安寧を求める心の炎が消えなければ、それは負けたことにならない。

 いいか……新左衛門! お前は負けなかったのだ」


 一瞬、三成の手が震えた。


 刃物を皮膚から離す。


「内府の世か、俺の求める民主主義の世か、答えなんて分からない。もはやどちらでもないのかもしれない。


 ただ悲惨な現実をひとつでも減らして世の中を良くしようとする心の光が消えなければ……やがて遠い未来で人類はその答えに辿り着けるはずだ」


 顎の下を剃り終えて、村田の顔を前に向かせる。三成のアーモンド型の目が真正面から村田を捉える。


「最後に芥子粒けしつぶほど残った光が、きっと人類を導くはずだ」


「もっと生きとうござりました」


 村田新左衛門の瞳から大粒の涙が溢れた。


「もっと、貴方の創る世を見たかった。自分自身で招いたこととは言え、無念です」


 大急ぎで涙を袖で拭く。


「貴方の創る世、必ず実現してください」


 三成の手が伸びて村田を抱きしめた。


 三成は決して涙は見せない。


 鼻を啜る音が響いた。


 三成は最後に懐紙で村田の頬と顎を拭って、素早く剃刀を包んだ。


 結局、酒に一滴も口を付けずスッと立ち上がる。


「お休み……新左衛門」

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