第102話 おばけなんかない!
「幽霊が見える!」
南隆之介が喚き出したのは昨晩からである。
換気口からデービー灯を引き上げて油を入れてもらったので、灯は復活はしたものの暗闇の中、丸一日過ごしてしまった後遺症だろうか。
元より不安定だったのかもしれない。
隆之介は突然泣き出したり、そうかと思ったら一点を見つめて微動だにしなかったりする。
幽霊の件は、武蔵も辰之進も参ってしまった。
「幽霊なんていない」
多少ウンザリしながら隆之介に武蔵は言って聞かせる。
ところが隆之介は震えながら幽霊を指差す。
しまいには武蔵や辰之進の影を幽霊だと怯えだしたので、デービー灯も消さざるをえなかった。
そこから通気口の拡張工事が始まったので、流石の武蔵も緊張する。
土塊が落ちないように風呂敷のようなもので工夫してくれているものの、頭上からはけっこうな量が漏れ落ちてくる。
その度にビクビクと隆之介は耳を塞ぎながら怖がった。
もちろん衛生状態も良くないので、虱なども発生している。
「参ったな……」
武蔵は独りごちた。
石田三成からの声がけも初日のみで忙しいのだろうが若干不安になる。
(ちゃんと我々の救出に動いてくれているのだろうか……)
「武蔵!!」
武蔵はびっくりした。
父・新免無二斎の声である。
ハリのある音声が響き渡る。
「もう少しだからな! もう少しで助けられるからな! 待っておれよ!」
正直に言うと、昔気質の無二斎と武蔵とでは考えが合わない。
無二斎は家格や秩序を重んじたし、そのお陰で所謂高等教育のようなものを武蔵は身につけることができた。
父は非常に教育熱心で、書や画の修練にしても、四書五経などの学問、剣の修練にしても武蔵少年が少しでも気を抜けば容赦ない鉄拳制裁が加えられる……そんな按配だった。
口喧嘩の最中、短刀を投げつけられたこともある。
耐えきれなかった武蔵はとうとう自由を求めて逃げ出した。
自立心が強くなったのも、この父に育てられたからとも言える。
だから……きっと武蔵が落盤事故に巻き込まれたと無二斎が聞いたなら、「それで死ぬなら天命だ。放っておけ」くらい言うかと思っていた。
「良かったですね。待ってくれている人がいて」
辰之進が暗闇の中、微笑んだようだった。
素直には喜べない。
辰之進も隆之介も天涯孤独の身であったからだ。
自分だけ身内が居るからといっておいそれと嬉しがるわけにはいかない。
特に隆之介の消耗は激しかった。
「もうどうでも良い……」
寝袋に包まって二人に背中を向けている。
飯もあまり食べなくなった。
「何のために僕は生きているのか分からない」
隆之介はぼんやりと言ったりした。
武蔵や辰之進が背中を擦って元気づける。
本人も十分二人の優しさは分かっている。
分かっているのにどうしようもない無力感と恐怖心に彼は呑み込まれそうになっている。
(隆之介の限界は思ったより早そうだ……)
武蔵や辰之進は大人なのであらゆる面でタフである。
この状況下でも長い期間、精神は正常に保たれるだろう。
隆之介は……まだ子供なのだ。
それもかなり繊細でか弱い。
武蔵は怯えながら寝ている隆之介の頭を撫でながら、頭上の通気口を睨みつけた。
◇
「安藤先生、つまり体調不良では無いってことですか?」
教頭の望月先生がメガネをクイッと上げた。
「はい……申し訳ありません。全て私用でした」
ここのところ飛び飛びではあったが二日。
急に有給休暇を取得してしまった。
現国の授業は急遽自習となり、遅れが生じてしまっている。
「まあ……体調不良で無いのだったら良いのですが。以前、本郷先生も心配されていたので」
やはり真美子から望月先生には相談が寄せられていたらしい。
「休職って手もありますから……安藤先生、真面目でいらっしゃるから。無理なさらないようにしてくださいね」
安藤は勢い良く頭振った。
「休職なんて、とんでもない! 頑張ります」
時空のヒビから何のリクエストがあるか分からない。
お金を稼がねばリクエストに応えられない。
扉がノックされる。
「あのぅ……」
望月先生の返事の後、赤いスカーフをした本郷真美子が顔を出した。
「望月先生にご相談したいことが……」
「今ですか?」
望月先生は渋る。
まだ安藤に話があるのだ。
「お話は以上ですかね? 私はこれで! お先に失礼します!」
安藤は真美子に目配せして教頭の部屋を出た。
「ちょっと! まだ話が!」
背中へ望月先生の声がしたが安藤は振り返らなかった。
校庭に出ると、『西日本アジア製鉄』と書かれた社用車で村山宣之が待っている。
慌てて安藤は助手席に乗り込む。
「アンドゥー! お疲れ!」
後部座席から顔を出したのは与田真佐人である。
「準備はよろしいですか? 出発しますよ」
村山は校庭を急旋回して社用車を発進させた。向かう先は伊吹山総合病院である。
「空調点検です」
作業服はどこに行くにも便利だということに安藤は感心する。
真佐人はダミーとして小さなハシゴを抱えている。
「聞いてないけど……」
守衛室のオジサンが訝しがった。
「あれぇ? そうでした? 今日ですよね」
村山の問いかけに安藤は大真面目に応える。
「ええ。今朝も伺うとお電話しましたが」
「……まあ、いいか。お願いします」
オジサンが言うやいなや、三人はそそくさと病院の裏口から侵入した。
安藤が押す台車には村山が作成した鉄製の板が乗せられている。
軽い素材で作ってもらったが、ひとりで運ぶには重量がある。
そこで二人に協力してもらったのだ。
「空調点検です」
霊安室から出てきた若い看護師が三人を不審な目つきで見る。
「霊安室、使用中ですけど?」
「すぐに済みます」
看護師も一緒に中に入ろうとする。
安藤は若いのにシッカリしてそうな彼女の顔を見た。
点検の立ち合いをしようというのだろう。
「もしかして、ミナミじゃん?」
真佐人がひときわ大きい声を出す。
そりゃそうだろう。
名札に奥村みな美と書かれている。
「だ、誰?」
「オレオレ? 覚えてない? 中学一緒だったじゃん」
その隙に安藤と村山は素早く霊安室に入る。
寝かされた死体には目もくれず一目散に鉄製の板を時空のヒビに通そうとする。
「早く! 光って!」
村山が三白眼で安藤の横顔を見つめる。
「光った!!」
安藤はガシャン! と大きい音を立ててしまった。
扉を恐る恐る見る。
真佐人が上手く誤魔化してくれているようだ。
板は大小23枚である。
慌てて時空のヒビに通す。
音もなく吸い込まれていく。
最後に村山が作成した組み立て図と、ボルトとビスを流し込んだ。
しばらくして光は消える。
安藤はびっしょりと汗をかいている。
村山も額に汗が噴き出している。
「凄い……時空のヒビ。本当なんですね」
霊安室を出ると、女の子の笑い声が聞こえる。真佐人は携帯を取り出している。
「じゃ、またね! ミナミ!」
「もぅー! マサトってマジおっちょこちょいだね! ウケる! またね」
末恐ろしい……安藤は愕然とする。
「真佐人くん、大丈夫だった?」
村山が訊いた。
「ヤバかったッスよ! 途中で俺の勘違いってことにしたから何とかなったっスけど!」
車の後部座席に乗り込むと真佐人は大きく伸びをした。
「時空のヒビ……見たかったなぁ」
真佐人が看護師のミナミを引き留めてくれたおかげで最速で鉄板を送ることができたのである。
「与田くん、ありがとね」
「真佐人くん、素晴らしかった」
安藤と村山が振り返って礼を言うと真佐人が黙って親指を上に立てた。
安藤は願った。
「あとは……治部さん! 頼みますよ!」




