9話 デビュタントの夜
エディとビーチェが初めて出会ってからひとつ季節が巡った頃のこと。エディは兄である国王陛下に呼ばれた。
「兄様、なんのご用かしら?」
「まずは座って。そう深刻な話じゃないよ」
陛下は笑ってエディに座るよう勧める。彼が座ったのを確認して、陛下は口を開いた。
「もうすぐデビュタントの夜会があるだろう? ファーストダンスを君に担当してほしいんだ」
「デビューする令嬢の相手役ね。分かったわ。今回選ばれたのはどこの家の子?」
「チェレスティーニ伯爵家、だよ」
彼は家名を聞いて驚く。デビュタントの夜会で王族とファーストダンスを踊れるのは一人だけ。普通、そのような役目は公爵家や侯爵家の令嬢が務めるはずだ。建国以前からある旧家とはいえ、権勢や名誉に執着しないで有名な伯爵家の令嬢が務めるのはなぜだろう、とエディは疑問に思った。
「ん? どうかしたのかな?」
「ああ、ええと。公爵家とか侯爵家じゃないのね」
「なんだ、そのことか。今年はデビューする令嬢が少なくてね。チェレスティーニ伯爵家が一番高位なんだよ」
「珍しいこともあるものね」
「去年デビューした令嬢が多かっただろう? その反動だね」
「ああ、なるほど」
彼は納得したように頷く。それをみた陛下は「よかった。それじゃあ頼んだよ」と笑った。
ファーストダンスを踊ることになったと知らされた頃から、図書館でビーチェちゃんを見かけることがなくなった。
「どうしたのかしら。体調を崩したのではないといいけど」
エディは大丈夫なのかと心配になる。だが、デビュー前の、しかもミドルネームしか知らない女の子の動向を知るなんて不可能に近い。まして彼女が貴族かすら分からない。
「……案外デビュタントの準備で忙しかったりして」
寂しさを誤魔化すように呟いたその言葉は、春の窓へと溶けていった。
そうして迎えたデビュタントの日。主催側として立つエディは、笑顔を絶やさず来客の言葉に軽やかに応じていた。
結婚相手探し、力関係の確認、将来世代の把握。さまざまな思惑がありながらも、表向きは大人の仲間入りを果たした令嬢たちを祝福しようと集まっている。
やがて令嬢たちが入場する時間になった。今年デビューする令嬢は五人。まずは下位貴族の令嬢たちが入場してくる。皆一様に緊張した顔つきで淡い色のドレスを揺らしていた。
入場した令嬢たちは、まず王族たちに挨拶をする。公の場での、初めてのカーテシーなのだろう。動きが固かったり、手順を一つ飛ばしそうになったりとどこかぎこちない。エディはそのぎこちなさを微笑ましく見守っていた。
「最後になりました。チェレスティーニ伯爵家長女、フェデリカ・ベアトリーチェ・チェレスティーニ嬢のご入場になります」
最後の令嬢の名前が読み上げられる。ビーチェちゃんと同じミドルネームだな、とぼんやり思ったエディの前に立ったのは、令嬢として着飾ったビーチェだった。
彼女が身を包むのは、雪の精のように淡く輝くホワイトシルクのドレス。胸元には極細の銀糸で蔦模様が刺繍され、光を受けるたびに微かに瞬く。肩を覆う薄手のチュールは幼さの残る頬に柔らかな陰を落とし、純白の中にほのかな温もりを添えていた。スカートは伝統的なベルラインで、彼女の凛とした立ち姿が際立つよう仕立てられている。
銀色の髪は緩やかにまとめられ、白い小花の髪飾りが添えられていた。
ドレスに合わせて仕立てたメガネは、華やかな蔓の細工がフレームを彩る精緻な逸品だ。
「お初にお目にかかります。本日デビューとなりました、フェデリカ・ベアトリーチェ・チェレスティーニと申します。この佳き日に、陛下、並びに殿下の御前にて拝謁の栄を賜りましたこと、心より感謝申し上げます」
ぎこちなさを一切感じさせない、流れる水のようなカーテシー。彼女の美しい所作は、古くからある伯爵家の格を存分に示していた。エディはしばしその様子に見惚れてしまった。挨拶を返した国王がごほんと咳払いをする。それに気がついたエディは「チェレスティーニ嬢、よろしければ最初の一曲を、アタシと踊ってくださる?」と手を差し出した。
「はい。よろしくお願いいたします」
フェデリカがエディの手を取った。音楽が流れ始める。
「あら?」
踊り始めてしばらく経った頃、エディは彼女の表情や動きが固いことに気がついた。彼は思わず「ビーチェちゃん、大丈夫?」と声をかける。
「申し訳ございません……、ダンスは苦手でして……」
「大丈夫よ。アタシに身を任せて。リードしてあげるから」
「ありがとうございます……」
「ちょっと失礼するわね」
エディはフェデリカの腰に回した腕に力を込め、簡略化したステップを踏む。彼女の動きが安定したところで再度口を開いた。
「にしても驚いたわ。ビーチェちゃんが伯爵令嬢で、ダンスの相手になるなんて」
「私も驚きました。まさかフィオさんが殿下だったとは。勉強不足で申し訳ございません」
「こっちが隠してたのよ。気づかなくても当然だわ」
エディは彼女を安心させるように笑顔を浮かべる。それに釣られてフェデリカも微笑んだ。
彼は踊りながら静かに考える。自分が王弟だと知った彼女は、もう以前のように親しくしてくれないかもしれない。彼は恐る恐る口を開いた。
「ねえ、ビーチェちゃん。……また、以前のように仲良くしてくれる?」
「フィオさんがよろしいのでしたら。私も同じ言語を勉強している先達がいると安心です」
フェデリカの言葉を聞いたエディは安心する。社交辞令かもしれないが、年下の友人を失わずに済むのだと胸を撫で下ろした、その時だった。
つま先に重みと痛みが走る。足を踏まれたのだ。真っ青になるフェデリカに対して、彼は安心させるように「大丈夫よ」と微笑んだ。
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