7話 二度と袖を通さぬ色
フェデリカとジュリオの婚約が結ばれたのは、ヴァレンティーニ伯爵家とチェレスティーニ伯爵家の共同事業のためだった。顔合わせの日、フェデリカを一目見たジュリオは開口一番言い放った。
「随分と可愛げのない女だな。後の主人を迎えるのに、そのみすぼらしさはないだろう」
「お気に召しませんでしたか。TPOには合っていると思っていたのですが」
「ふん。婚約を結んでやるんだぞ。もう少し俺様に媚びてみろ」
「参考にさせていただきます」
フェデリカはそう言って頭を下げる。するとジュリオは満足したように「ふん」と頷いた。
ジュリオにとってこの婚約はよほど不満だったのだろう。彼はフェデリカをないがしろにした。婚約者として社交を果たそうと提案したお茶会や観劇は何度もドタキャンされた。数カ月後には愛人ができたのか、夜会の際には「急用が入った」と当日にエスコートを断られた。
「あなたも私も、この縁を望んだわけではないかもしれません。けれど私たちの肩には、それぞれの家の名がある。ですので、せめて互いを支え合える関係でありたいのです」
婚約を結んでしばらくした後、フェデリカはジュリオをそうたしなめた。彼は面白くなさそうに鼻を鳴らしたが、少しの沈黙の後、「なら、せいぜい俺の顔を立てろ」とだけ吐き捨てて去っていった。
その翌日、チェレスティーニ伯爵家にジュリオの名前で小包が届く。中身は目が痛くなるほど鮮やかな真紅のドレスだった。
過剰な装飾が施され、胸元には大粒のルビーを模した硝子石がこれでもかと縫い付けられている。裾には金糸で薔薇の刺繍がうねるように散らされている。一言で言えば成金趣味の派手なドレスだ。
フェデリカは苦笑いしつつも、「ジュリオ様らしいですね」と呟いた。彼女は「せっかくジュリオさまから贈っていただいたのですから」と、数日後の夜会で着用することにした。
数日後の夜会。フェデリカは贈られた真紅のドレスに身を包み、静かに会場の扉をくぐった。
金糸が灯りを反射して眩しく、赤い絹地は彼女の銀の髪と青い瞳をいっそう際立たせる……はずだった。
だが、彼女が一歩足を踏み入れるなり、周囲の視線がざわめいた。
「見て、あの色」
「チェレスティーニ嬢らしくないわね」
「趣味が変わったのかしら」
貴族たちの囁きが波のように広がっていく。ワイングラスを片手にしていたジュリオが、ふと彼女を見た。彼の唇に皮肉な笑みが浮かぶ。
「……君は、本気でそれを着てきたのか」
「ええ。ジュリオ様が選んでくださったものですから」
フェデリカが静かにそう答えると、ジュリオは彼女を嘲笑った。
「まさかあれを本気にしたのか? あれはカテリーナ用に仕立てさせた残り物だぞ。やはり君には驚くほど似合わないな」
彼の周りにいる令息たちもそれに同調する。
「若い娘の真似をしたつもりか? 老婦人もお盛んで」
「はは、やめてやれ。本人はまだ“令嬢”気分らしいぞ」
「令嬢? 冗談だろ。あの融通の利かない鉄仮面だぞ? 頭の中までロマンスグレーってやつさ」
「ははっ、まさに御婦人。いや、老成した貴婦人だな!」
笑いの輪が広がる。そのざわめきを割るように、場の奥でひときわ明るい声が上がった。
「まあ、皆さま。お待たせしてしまいましたわね」
振り返った視線の先にいたのは、淡い真紅のドレスを纏ったカテリーナだった。
フェデリカの着ているものと酷似しているが、こちらは上質なシルクに繊細な刺繍が施され、色も朱を抑えた深紅。彼女が一歩進むたび、ドレスの裾がしなやかに波打ち、光を受けて柔らかく輝く。
「さすがカテリーナ嬢だ」
「同じ赤でも、こうも品が違うとは」
「ヴァレンティーニ卿の隣に並ぶなら、やはりあれくらいでなくてはな」
人々の称賛が渦を巻く。ジュリオはカテリーナに微笑みかけ、当然のように手を差し出した。
「待っていたよ、カテリーナ」
「遅れてしまって申し訳ないわ。ねえ、今宵はエスコートしてくださる?」
彼女がドレスの裾を摘まんで軽く回ると、宝石のような赤がきらめき、場の空気がひときわ華やぐ。
ジュリオは満足げに頷き、隣のフェデリカをちらりと見下ろした。
「な? 同じ赤でも、似合う人間が着ればこうなる」
その言葉に、周囲がまた笑い声を上げる。フェデリカはただ静かに佇んでいた。カテリーナは勝ち誇ったように笑う。
「ねえ、ジュリオ様。まだ婚約者だと思っている負け犬に教えてあげたら?」
「ああ、そうだな。ふん。すぐに貴様の父から話があると思うが、貴様との婚約は破棄になる」
「私たちの婚約は共同事業のために結ばれたもの。そう簡単に破棄はできないと思いますが」
淡々と問うフェデリカに対し、カテリーナは高笑いをあげた。
「共同事業も白紙。でも安心して。アルヴィージ侯爵家がヴァレンティーニ家と協力して同じ事業を行うから」
フェデリカは一瞬大きく目を見開く。震えそうになる膝を叱咤し、スカートをつまんだ。形式的なカーテシーをした瞬間だけ、彼女は本物の気品を身にまとう。
「ヴァレンティーニ伯爵家とアルヴィージ侯爵家のご縁が末永く実り豊かならんことを。貴家のご繁栄と、ご両家の御健勝を、心よりお祈り申し上げます」
彼女はゆるやかに身を翻し、真紅の裾を引いて出口へと歩き出す。扉が閉まる音が響いた瞬間、静寂の中で胸の奥がひときわ痛んだ。
……その後二度と、フェデリカは華やかなドレスに袖を通すことはなかった。
読んでくださりありがとうございました。評価、いいね、ブックマークをしてくださると励みになります。




