6話 変わらない名前、変わった私
エディに連れられて別室に向かったフェデリカとマリーナは、勧められるままソファに座った。そこに王宮の侍女が紅茶を淹れてくれる。紅茶を一口飲んだことで、姉妹も少し人心地がついたようだ。
「助けていただいてありがとうございます」
フェデリカはそう言って頭を下げる。マリーナもそれに続いて深くお辞儀した。
「これくらいお安い御用よ」
エディは軽く笑って答えるが、その声にはまだ少し圧が残っている。マリーナはそれを感じ取ったのか、そっと姉の袖を握った。
そのとき、廊下から早足の足音が近づく。次の瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「マリーナ!」
血相を変えて飛び込んできたのはルカだった。彼はマリーナの姿を認めると、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかった、何事もなくて。殿下から聞いたよ。助けに行けなくてごめん。やっぱりそばを離れるべきじゃなかったな」
「ううん、ルカさまの顔を見て安心した」
マリーナはぎこちなく微笑む。ルカはマリーナの手を包み込み、もう片方の手で彼女の頬にかかる髪を優しく払った。
「一度チェレスティーニ家に帰ろう。大丈夫。落ち着くまでそばにいるから。なんなら泊まったっていい。……女史、いいだろ」
「マリーナがこんな状態ですからね。構いませんよ」
フェデリカは苦笑しながら答える。マリーナは姉を気遣うように「姉さまは?」と問いかけた。
「チェレスティーニ嬢、よかったら少し話を聞きたいわ」
エディはフェデリカと目を合わせながら問いかける。彼女は「承知いたしました」と返事をしてから、ルカとマリーナに向き直った。
「二人は先に帰ってください。卿、マリーナを頼みます」
「おう」
ルカは短く返事をする。そしてマリーナに「立てるか?」と手を差し出した。彼女はその手を取って立ち上がったものの、その足は未だ震えていた。
「やっぱ無理そうだな。悪い、ちょっと支えるぞ」
彼はそう言ってマリーナをお姫様抱っこする。彼女はしばし状況が飲み込めないのか目を丸くしたものの、しばらくして顔を真っ赤にした。
「え? あ、その。ちょっと、ルカさま!」
ルカは「こら、そんな暴れんな。落ちるぞ」と笑う。
「二人とも仲がいいのね。うらやましいわ」
「妹が失礼いたしました」
「いいのよ。ほほえましいもの」
エディはそんな二人を見て顔をほころばせる。フェデリカも柔らかな笑みを浮かべた。
「殿下、それでは失礼いたします」
ルカはそう言って、軽々とした足取りで部屋を出る。二人が立ち去ったところでエディはフェデリカに向き直った。
「久しぶりね、ビーチェちゃん。少し大人っぽくなったかしら?」
「フィオさんもお変わりなく」
二人はかつての愛称で互いを呼び合う。エディはしばし黙ってフェデリカを見つめた。見た目はほとんど変わらないはずなのに、彼女のまとう空気が以前とは少し違っていた。言葉の端々に宿る静かな強さは研ぎ澄まされ、微笑みの奥に影のようなものが見える。彼は紅茶のカップを置いた。
「今夜はヴァレンティーニ卿の馬車で来たのよね。帰りは伯爵家の馬車を呼ぶ?」
フェデリカの指先がカップの取っ手でぴたりと止まる。彼女の視線はほんの一瞬だけ答える言葉を選ぶように揺れた。わずかな思惑ののち、フェデリカは静かに口を開く。
「彼とは、もう一年前に婚約を解消しております」
一瞬、空気が静まった。エディは軽く目を瞬かせると、少しだけ眉を寄せて穏やかな声で言った。
「そう……。ごめんなさい、知らなかったの。無神経だったわね」
「お気になさらないでください。……彼には別に心を寄せる方が居ただけのことです」
フェデリカが紅茶を啜ると、微かに茶葉の香りが立ちのぼった。向かいのエディが何かを言いかけたが、その声は言葉にならなかった。彼の沈黙に気づいたフェデリカは、わずかに微笑む。
そのまま彼女の視線は記憶の彼方へと溶けていった。
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