14話 一度だけ、呼吸を整えて
翌日。朝一番に法務局に訪れたエディは、扉の前で一度だけ呼吸を整えた。
声は平静を装っていたが、手のひらにほんの少し汗がにじむ。意を決して中に入ると、すでに出勤し書類を見ていたフェデリカが顔を上げた。
「おはようございます、殿下。法務局に何か御用でしょうか?」
彼は小さく一呼吸置く。そして自身の緊張をほぐすように微笑むと口を開いた。
「法務局というより、ビーチェちゃんに用があって。話があるから、お昼休みの時間をもらえるかしら? 一緒にランチにしましょ」
朝の風がカーテンを揺らす。ほんの一瞬の静寂が、エディには永遠に感じられた。
「かしこまりました。どこにお伺いすればよろしいでしょうか?」
いつも通り淡々とフェデリカは答える。その揺れない反応に、エディの胸の緊張が少しだけほどけた。
「場所は後で説明するわ。お昼に迎えに行くわね」
彼女は「ありがとうございます」と言って手帳を開く。返す言葉を探して黙り込んだエディの耳に、始業のチャイムが鳴り響いた。彼は慌てて口を開く。
「長々とお邪魔して悪かったわね。お仕事頑張ってちょうだい」
そう言い残して、エディは法務局をあとにした。
◇
昼休憩の鐘が鳴った頃。フェデリカは休憩時間になったことに気づかず、証拠として提出された文書を一枚めくる。横に置かれた法典から該当箇所を探していたところで、「ビーチェちゃん」と声をかけられた。彼女は慌てて顔を上げる。そこにはエディの姿があった。
「集中してるとこ悪いのだけど、もうお昼よ」
「申し訳ございません。すぐに準備しますね」
彼女は机の上を片付け、「お待たせして申し訳ございません」と頭を下げた。
「大して待ってないから気にしないで。次の裁判の準備?」
「いえ、午前に速記した裁判の清書ですね。争点が複雑化していましたので難航していました」
「お疲れ様。お昼はおいしいものを準備しているから、ゆっくり食べてちょうだいね」
そんな話をしながら二人は廊下を歩く。フェデリカは彼が、裏向きの王族が私的に使っている区画に向かっていることに気付いた。
「殿下。こちらは私的区画のようですが……」
「ちょっと内密な話がしたくて。中庭のガゼボを使うのと、侍女や侍従を同席させるつもりよ。それでも嫌?」
「いえ。そういうことでしたら問題ございません。こちらも一度家にお招きしておりますし」
彼女はそう答えながらも「裏向きを使うような話とは、いったい何なのでしょうか」と考えていた。
二人が中庭に着くと、すでに食事の準備がなされていた。新鮮な野菜やハムが挟まれたサンドイッチに、さまざまな種類のケーキ。ティーポットには香りの良い紅茶が用意されていた。ちょっとしたお茶会の様相だ。
「さ、まずはご飯にしましょ」
「そうですね。いただきます」
彼女はそうことわってからサンドイッチを手に取る。シャキシャキとした野菜をちょうどいい塩気のハムがまとめ上げる絶品だ。エディは優雅にサンドイッチを口へ運んでいたが、よく見ると指先だけがほんのわずかに強張っていた。フェデリカは疑問に思いながらも、とりあえずティーブレイクの話題を口にする。
「ミスト王国との会食でご活躍だったと聞いております」
「ええ。ビーチェちゃんが見せてくれたノートが役に立ったわ」
「お役に立てたようで幸いです」
いつもより口数が少ないエディに、フェデリカは「会食での疲れがまだ残っているのではないか」と気遣うような視線を向ける。いくつか軽食をつまんだところで、彼女は「それで、お話とは何でしょうか?」と切り出した。
「そうよね。そのために呼んだものね」
彼はそう言って紅茶を一口飲む。カップをソーサーに置く音がことりと響いた。中庭の静けさがひどく意味深に感じられる。
「フェデリカ・ベアトリーチェ・チェレスティーニ嬢。アタシはあなたに婚約を申し込みたいの」
読んでくださりありがとうございました。評価、いいね、ブックマークをしてくださると励みになります。




