12話 同じ頁を覗き込んで
翌日。エディは図書館でミスト王国のマナーやミスト語のニュアンスを再度頭に叩き込んでいた。
「マナーとか歴史の本は見つかったけど……。小説とかの原語版はさすがにないわね……」
本をたくさん抱えて移動していると、誰かと軽くぶつかった。
「ごめんなさい、怪我はない?」
彼はそう言いながらぶつかった相手を確認する。その相手はフェデリカだった。彼女は「軽くぶつかった程度ですので大丈夫です」と微笑んだ。
「ミスト王国の本ですか?」
「ええ。今度会食があって、アタシがおもてなしすることになったの」
「気難しいと知られる国ですよね。実際に契約書の句読点ひとつで裁判になった判例がありますし、あいまいな比喩を証言で使って裁判が止まったこともあります」
フェデリカは「あの時は大変でした……」と遠い目をする。
「文学作品から引用して皮肉を言う文化があるものね。だから有名な小説や戯曲を読んでおこうと思ったのだけど……」
「図書館には原語版がほとんど置いてない、といったところですか」
エディはフェデリカの言葉に深く頷く。彼女はしばらく考えたのち、「もしよろしければ」と口を開いた。
「我が家にいらっしゃいますか? 主に先々代が収集したミスト語の原本が多数ございます」
「ぜひお願いしたいわ、いいかしら?」
「歓迎させていただきます。今日の午後からでいかがでしょうか」
「分かったわ。お忍びで向かわせてもらうわね」
彼はそう言って席を立つ。フェデリカも「それでは、準備がございますのでこれで失礼します」と言って図書館をあとにした。
◇
正午を過ぎた頃、エディは馬でチェレスティーニ家を訪れた。フェデリカは護衛を使用人に任せ、エディを図書館へ案内した。
「どうぞ。ミスト語関連はこちらに集めてあります」
机に並べられたのは、戯曲・詩集・評論・手紙の初版本など、本格的な原典ばかり。エディは思わず感嘆の息を漏らす。
「本当に圧巻ね……。ここまで揃ってるとは思わなかったわ」
「先々代の収集癖の賜物です。かなり偏っていますが、原文は概ね揃ってますよ」
二人は横に座り主要な戯曲や小説を開く。ミスト語特有の“婉曲表現”の使われ方や、“皮肉としての引用”の癖について意見を交わした。
「この台詞、語気は柔らかいけど裏で刺すのよね」
「ええ。比喩の元になった寓話が暗い結末ですから……。その前提を知らないと読み違えますね」
そんなやり取りの最中だった。
「このセリフって引用よね? どの作品だったかしら」
エディが指さしたのは、『近き星ほど光を競い、空を曇らせる』という言葉だった。フェデリカもしばらく考え込む。
「どこかで見た記憶がありますね。……少しお待ちください。よく引用される表現をまとめたものがあったはずです」
彼女はそう言うと席を立つ。隅に置かれていた木箱を開け、しばらく中を探す。そうして一冊の厚いノートを取り出した。
革表紙が柔らかくなり、ページは読み返された跡でわずかに波打っている。中を開けばミスト語の名台詞、典型的な婉曲句、皮肉に使われる比喩とその出典、シーン背景の簡潔なまとめがびっしりと記されていた。書き手が違うのだろう、ノートには骨格のしっかりした文字と、繊細で流れるような文字が踊る。
「……姉妹でまとめたのね?」
「はい。引用を理解することはミスト文学を読み解くうえで重要ですので」
エディはページをめくる。『近き星ほど光を競い、空を曇らせる』という表現だけでなく、『霧の国では、真実は形を変えて現れる』『雨粒が屋根を叩くように、言葉は胸を叩く』『東の星は嘘をつかず、ただ道を示すのみ』など、定番の表現から息をのむような美しい表現まで古今東西のさまざまな表現が集められていた。
「すごいわ。ちょっとした学術資料じゃない」
「遊び半分で始めたんですけどね。……でも、こうして使っていただけるなら本望です」
二人は肩が触れる距離で、同じノートを覗き込む。図書館の大きな窓から差し込む光の中で、二人の影だけがゆっくりと重なっていった。
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