恋の密談①
地上6階にある食堂の窓から望む空は地平線にわずかな赤みを残し、藍の色と溶けあったばかりの闇が星々を輝かせている。日が沈んだ方向にひときわ大きく光る件の星は、その輪郭をまた一回りも二回りも大きくしたようだとヒネは遠く眺めていた。
「ヒネ様」
後ろから突然声をかけられたヒネが振り向けば、ヒネと同じ年頃で、桃色の頬をした眉の薄い女性が立っていた。
「エンジュ様」
ヒネは顔をほころばせた。
スベラギの塔へやって来て約1か月が経ったヒネは、神事に関する基本的な知識や素養を習う講義に、神呼見習い候補生たちと共に参加することを許可された。しかし候補生の中には打ち解ける相手をいまだ見つけられず、友達らしい友達はヨヲセのほかはまだいない。もっともヨヲセとて、友達ではなく兄弟弟子なわけだが。
しかしガルシャの弔いの儀を機に、ヒネは何人かに声をかけられ、顔を合わせれば食事の席を共にしてくれる者がちらほら現れはじめた。そのうちの一人がエンジュである。
「本日の職務は終了ですか?」
ヒネの問いに、配膳口に繋がる列の最後尾を目指しながら、エンジュが答えた。
「はい、今日は干し場周辺の草むしりが主だったので疲れました。
スベラギの塔には政を担う20の部署があり、それらをまとめて「マツリノミヤ」と一つの分類でくくっている。対してスベラギの塔には、そこで寝起きする約二万人の食事や公的な洗濯物・清掃といった日々の営みを支える人々もおり、それらをまとめて「イトナムノミヤ」と分類している。
エンジュはイトナムノミヤの者で、清掃全般を担う「セイサハクタノウリ」に所属している。
「みなさまとは別行動なのですか?」
ヒネが問うと、薄い眉を上に引き上げたエンジュは少しだけ振り返るように答えた。
「組の皆もいますよ、ほら、あそこ! 私だけ、厠に忘れ物をして取りに戻っておりましたもので」
そう言って、エンジュは桃色の頬を染めながら、えへへと笑った。
イトナムノミヤに所属する者たちは「組」と呼ばれるさらに細分化された組織に割り振られており、寝起きする部屋は大部屋の同室なのだそうだ。さらに食事の時間も同じであるため、まさに寝食を共にする仲間である。彼らは綿密な予定に沿って職務をこなしており、したがって食事の時間も規則的である。
「ヒネ様は? 今日はヨヲセ様と一緒じゃないのですか?」
「ヨヲセは、今日は左官の職務に就いているようです。食事の時間はいつになるかわからないので、今日は私独りでいただこうかと……」
「なら、ちょうど良い機会ではございませんか! 私たちとご一緒しましょ」
エンジュは、ヒネに被せるように提案をした。屈託のない笑顔に、ヒネもつられて笑顔になる。
「ご一緒させていただきます」
ヒネがエンジュの組の皆に挨拶をすると、「ここに座れ」と合図するように、空いている自分の隣の席をタンタンと手で叩きながら、一人の女性がヒネに言った。
「よござんす、そんなことより」
いつも長い髪をざっくり結っており、一日の終わりに会うと、おくれ毛が落ちてボサボサになっていることが多い「サネオギ」という女性だ。ヒネより少し歳上に見える。ヒネがサネオギの隣に腰を掛けると、サネオギはヒネの方にぐいと体を寄せて内緒話でもするかのように聞いてきた。
「ヨヲセ様って恋人はいらっしゃらないんでしょ?」
ヒネは、箸を取りかけていた手を止めて、サネオギを見る。次いでヨヲセの顔を思い浮かべながら答えた。
「多分。よくは存じませんけど」
ヨヲセに恋人がいるかなど聞いたことがないし、考えたこともなかった。しかし、いつもの様子を見る限り、おそらくいないと判断した方が妥当かと思う。
「やっぱりねぇ~」
サネオギは満足そうにうなずくと、自分の膳から主食の穀物がよそってある茶碗を手に取った。
「でもヨヲセ様って、まだ神呼見習いなのでございましょう? それに、正式に神呼になったところで、スベラギの塔では寝泊まりしていないというではありませんか」
別の女性が口を挟む。皆の様子をうかがいながら、ヒネはようやく箸を手に取った。いったいなんの話だろうと訝しみながら、話の腰を折らないように流れをつかもうとする。
「むう~。となると、やはり今、一番の注目株はアマタウズミノムナのハクナム様かしら」
サネオギが、何もつまんでいない箸の先を上に向けたまま考え込む。“アマタウズミノムナ”は娯楽部門全般を扱う部署だったはずだ。“ハクナム”なる人物が誰かは、ヒネは知らない。だが、ここまでで察した部分もある、おそらくこれは恋の密談だ。




