彗星に尾が付いた夜②
ーーあたしは今夜、魂の泉へ旅立つ
「えへ……?」
突然のガルシャの言葉に、ヨヲセは一瞬、何かの冗談かと声に笑いを含ませた。しかし、すぐに真顔になって、ゆっくり器を膳に戻す。
「よしとくれよ、辛気臭い。人はいつか死ぬ、私だって化け物じゃないんだ」
ガルシャは、凍り付いた席に落ちる陰鬱な空気を祓うかのように笑った。だが、すぐに暗然とした顔になる。
「だけど、これからだというときに、あんたたちを置いていくことだけが申し訳ないと思ってね。許しておくれ」
そう言って、二人の弟子の顔を交互に見る。その眼には悔しさと慈愛が滲んでいる。
「ヒネよ、あんたとはわずかな付き合いだったね。何も教えてやれなかったが、あんたはもともと何も教える必要なんかない娘だからね。何しろ、あのカダが認めた神呼だ。だけど、この先で活躍すべき姿を見られないのが何より惜しい」
そう言って、ガルシャはヒネの手をとった。ヒネは驚く。「あのカダが認めた」とは?
「あの、お師匠様。カダ様が認めたとは何のことでございましょうか」
ヒネはスベラギの塔に入属が許された時のことを思い出す。カダはあのとき、明らかにヒネを故郷に帰そうとしていた。認められるどころか、ガルシャの口添えもなければ、今頃はきっと故郷のマガに戻されていたことだろう。
しかし、ガルシャは笑って言った。
「あの者は、ああ見えて不器用な男なのさ。すぐに己の本心と違う言動をとる、16のころからずっとそうさ。だけどいつか言ってたよ。次か次の神呼頭があるとするなら、それはヒネであるだろうってね」
ガルシャはカダを16歳のころから知っているのだと聞いて、ヒネは驚く。それよりもカダが自分を買ってくれているという話で頭が真っ白になり、言葉を失ってしまった。
「あんたと過ごせたこの数週間、あたしはまるで“あの子”と過ごせたようで嬉しかったんだ、本当にありがとうね」
「あの子……とは……」
ヒネは尋ねたが、ガルシャは潤んだ瞳に笑みを浮かべて首を振った。
「こっちの話さ、気にしないでおくれ」
ガルシャは次に、ヨヲセの手をとって言った。
「ヨヲセよ、あんたのことは、無理やり神呼に引きずり込んでしまって申し訳なかったね。だけどあんたは、自分で思っているより、ずっと優秀な神呼だ。あたしはその才能に惚れ込んだのさ、許しておくれ。あたしはよきババ様ではなかったやもしれん、だけどあんたは素晴らしいジジ様になるであろう。いいかい? どんなに辛くたって最後まで流れを降りちゃいかん。どれほど孤独な夜が訪れようとも、あんたは決して一人じゃないからね」
そう言って、潤む瞳でヨヲセをじっと見つめた。ヨヲセは茫然とした様子で
「ババ様……だけど私は……意味がわからん」
と口にする。ガルシャは噴き出し、「このバカ弟子が」と言って、ゲンコツを頭に振り下ろす真似をした。
ヒネは、今夜ばかりはガルシャの家で共に過ごしたいと願い出たが、ガルシャは断った。
「ヨヲセ、あんたもだよ! 今夜はあたし独りにさせとくれ」
「はあ! ? ならば私はどこで寝たらいいのですか。嫌です、今夜はババ様と共に過ごします」
ヨヲセは食い下がったが、ガルシャはそれを制した。
「あたしは独りが性に合ってるのさ。死ぬ時くらい静かに逝かせとくれ。今夜の寝床がないってなら、ヒネの所にでも泊まればいい」
するとヨヲセは前のめりになっていた姿勢をおもむろに戻し、隣にいたヒネに向き直る。
「お断りします」
ヒネがきっぱり言うと、ヨヲセはまた前のめりでガルシャに視線を向けた。
ガルシャは鼻を鳴らして、
「とにかくあの家は、今夜あたし独りだ。それに……」
少し言いよどんでから続けた。
「今夜は久しぶりに、昔の恋人が訪ねて来てくれるような気がするんだよ」
ヒネとヨヲセは、互いに目を合わせた。
「だからあんたたち、邪魔しに来たら承知しないよ!」
そう言ってガルシャは食堂を出ていった。
「ババ様の元恋人って、まだ存命なのか?」
ヨヲセがヒネの方に体を寄せて、声をひそめる。
「神呼や審神者は、年の離れた者同士で連れあうことも多いと聞きました。必ずしも、お年を召した方が恋人とは限りませんでしょう」
ヒネはそう返したが、ヨヲセは怪訝そうな顔をしたままだ。
「あるいは、何かの比喩とか……もはや人ではないとか……」
言いにくそうにヒネが付け加えると、ヨヲセはようやく納得したようにうなずいてみせた。
結局、ヒネはスベラギの塔の入り口でガルシャを見送るにとどまった。
しかし、「せめて送らせて欲しい」と食い下がったヨヲセは、半ば強引にガルシャを家まで送っていった。送り届けたあとは、左官職人の仲間の部屋に一泊させてもらうことになっているらしい。
ヒネは、自室に戻った後で、窓から夜空を見上げる。
今日初めて尾をつけた彗星は、あっという間にヒニシの空に沈んでしまった。
夕刻、彗星を見上げたとき、ヒネは胸が苦しくなるような切ない声を、この空に聞いた気がした。
今はもう、その声も聴こえない。ただ静かな暗闇だけが、あたりを優しく包んでいた。




